二人のラストサムライ | ethlinの煩悩毛だらけ

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煩悩さらけ出し日記

28日放送のザ・今夜はヒストリーを見ました。

番組としては面白かったけど正直腑に落ちない気持ちがあり…とにかく泣けなかった。

なんだろう…皆で『武士道を貫いた』って連呼してたけど、私は少し違うと思った。

上手く言えないけど。

私は確かに土方さんは箱館を死に場所に選んだと思うし、死ぬ覚悟もあったと思ってる。

でも、死ぬために箱館に行ったのではないと思ってる。

死のうとしている人がわざわざ孤立した仲間を救いに行くだろうか?

武士道は時代により変化している。

だから土方さんの根底にあったものは『武士道』ではなく『士道』だったのではないだろか。

士道ニ背ク間敷事 士道に背くまじき事

武士からぬ行動をするなって意味だと私は捉えている。

だから自分が信じた武士らしさを貫いて往ったのだと思う。





まぁ…腑に落ちない理由は出演者の中に私の嫌いな人物がいたせいでもあるんだけど。





で、なんかすっきりしないので、ずーっと前に録画したままだった歴史秘話ヒストリアの『ラストサムライ 中島三郎助』を見る事にしました。

日本初の様式軍艦の製造に深く携わった浦賀の役人(浦賀奉行所与力)で、土方さんと同じく旧幕府軍に従事し箱館戦争でなくなった蝦夷共和国陸軍奉行並の人です。

桂小五郎と交友関係があり、新政府軍に仕える道は当然あったハズですが、徳川家のために二人の息子と徳川家のために戦う事を決めたそうです。

土方さんが戦死した5日後、1869年5月16日五稜郭を守る最後の砦であった千代ヶ岡陣屋にて戦死しました。

榎本武揚より降伏するようにと通達があったにもかかわらず、親子三人ここで最期まで戦い抜いた人です。

この2日後に旧幕府軍は降伏宣言をし、箱館戦争は終結しました。

私、この人も土方さんと一緒なんだなって思いました。

武士として生まれてきたんじゃないのに武士として生き、自分の中の武士を貫き通した。

潔く死ぬ事が武士らしさでもあるのかもしれない。

でも私は…自分の決めた道を最期まで行く、自分の死に様を自分で決める、それが最後の武士のあるべき姿であったのだろうと思いました。

ラストサムライ

最後の侍という意味ではない。

最期まで戦い抜いた侍という名誉ある称号。

この言葉は果敢に戦い抜いた彼らのための言葉だと思います。