風もなく蒸し暑い夜。
『ホタル鑑賞会』と書かれた看板の横をすり抜けると、公園の中はたくさんの人で賑わっていた。
それは恋人同士だったり、小さな子供の手を引く親子連れだったりする。
私はそっと隣にいる人を見上げた。
私はこの人の何者にもなれない。
傍にいる事は出来ても、この人の何者にも…なる事は出来ない。
「忙しい最中に誘って悪かったな。」
「あっ…いえ、今日は朝もお昼もぐっすり眠ってきましたから、全然大丈夫です!」
「ククッ…『寝る子は育つ』って言うが…それ以上育つ気配は一つも見えねぇな。」
がんばって着てきた浴衣姿の私を、頭からつま先までジロジロと眺め、歳三さんはふっと小馬鹿にしたような顔で笑った。
「むっ…これでもがんばって育ったんです!」
クスクスと笑いながら、大きな手が私の頭を軽くポンポンと叩く。
「今日は忙しくて気を張り詰めているお前に…蛍の光を見せてやりたかった。」
私の気持ちに気がついたのか、歳三さんはそれ以上何も言わず、ただ黙って私の手を取った。
「本物の蛍の光をお前に見せたかった。ただ…それだけだ。」
私も「はい。」と小さく答え、黙ってその大きな手を握り返した。
公園の中を流れる小さな川の近くまで来ると、いくつかの小さな光が上下左右へと動いている。
「蛍…うわぁ~本物の蛍ですよ!」
私は初めて見た蛍の光にすっかり興奮してしまい、歳三さんの手をひっぱりながら無我夢中で蛍を追いかけた。
「ほら!あっちにも!すごい!すごい!すごいです!!」
そんな私の声に混じって、子供達の大きな声も響く。
「お父さん!ホタル!ホタル!」
「こら、引っ張るな。蛍は逃げないから落ち着け。」
静かに蛍を見守っていた恋人達の間から、クスクスと笑い声が漏れる。
(はっ…しまった。私…子供と同レベル。)
「お前は単純だな。何事にも喜んで、楽しめるんだからな。」
「それは…」
「なんだ?」
目が合った瞬間、恥ずかしくなって視線を逸らした。
(それは…歳三さんと一緒にいるから…だから…嬉しくて…つい…。)
「それは…電球つけてるわけでもないのに…自分で光ってるから…。」
「蛍が電球背負ってたら、重くて飛べやしない。」
歳三さんは笑いを堪えながら、水辺へとゆっくり歩き出す。
「蛍は英語でfireflyって呼ばれている。だがあの光は冷たい光…『冷光』って言うらしい。炎のように熱いわけじゃない…だが氷のように冷たい光でもない。蛍の光は人の心に温かいぬくもりを与える…お前と同じだな。」
「えっ!そっ…そんなたいそうな事…私には出来ません!出来てません!私なんか…。」
(私なんか…何にも出来ないよ…。)
何者にもなれない。
何もしてあげられない。
私はただ…
貴方の心を守りたくて
貴方の笑顔を守りたくて
だから最後の一人になっても、私はこの人を守り続けたい。
そう思っているのに、どうしても心にもやもやとしたものが渦巻いていて離れる事がない。
(ホント身勝手だな…私…。)
零れそうになる涙をぐっと堪え、歯を食いしばったその瞬間、私の手を握る力が強くなった。
「以前、流れ星を見た…そう言ってたな?」
「えっ?」
「願いごとは出来なかったが、小さな星の光に前へ進む勇気をもらったと…。俺の元にも流れ星は届いたかって…そう聞いただろ?」
「あっ…はい…。」
辛い現実から目を逸らさず、この人の全てを受け止めよう…そう決心しながらもずっと足踏みをしていた冬のある日、私は夜空を渡る流れ星を見つけた。
その星の光から、私はいくつかもらったものがある。
一歩前へ進むきっかけと、自分の足で歩き出す勇気。
現実に立ち向かうための…強くなるための勇気をもらった。
「あの時の返事がまだだったな。流れ星は俺の元にも届いた。いや、その前から…ずっと前から…小さな星の光は俺の元に届いていたんだ。」
歳三さんの長い指が私の髪をそっとかき上げ、私の耳元を飾る星のピアスに触れた。
「ちゃんとつけてくれてるんだな。やっぱりお前によく似合う。ククッ…家宝にするなんて言い出すから…金庫にでもしまい込んでいるのかと思ったぜ。」
「いや…だって…すごく嬉しかったし…その…これは…やっぱり…一生の宝デス。」
その長い指が私に触れているのだと思うと、耳も顔も…体中が熱くなってきた。
「願いごと…言ってみろ。」
「お願いごと…ですか?」
「あぁ、お前が願いごとを言い損ねた流れ星に俺がなってやるから…願いごとを一つだけ言ってみろ。絶対に…絶対に叶えてやる。」
「お願いごとは…。」
「なんだ?」
私が貴方に望む事はただ一つ。
貴方に望む事は…たった一つだけ。
「ずっと笑っていてください。歳三さんが笑っていてくれたら…それだけで私は幸せな気持ちになれるんです。だから笑ってください。その為に私が出来る事があれば…なんでもします。だから…。」
だから傍にいさせて欲しい。
私が貴方を笑顔に出来るのなら、絶対に離れない。
だから…貴方の傍にいさせて。
「よし、わかった。じゃあ…お前も俺の願いごとを叶えろ。俺の流れ星は…ethlin、お前なんだからな。」
「はい…って…私ですか?」
驚いて顔を上げた瞬間、その瞳に私は捕らえられてしまった。
真っ直ぐに前を見据える強い瞳。
迷う事なく前へ進む意思の強い紫紺の瞳を、目を逸らす事も出来ず私はただじっと見つめていた。
「俺の手を離すな。お前がいるから俺は笑える。お前がいるから俺は光を見失わずにいられる。だから…ずっと俺の傍で笑ってろ。」
私のたった一つのお願いごと。
ずっとずっと欲しいと思っていた
私にとってすごく贅沢なお願いごと。
この望みが叶えられるのなら
この望みを叶えてくれるのなら
きっと私はどこまでも歩いて行ける。
「俺がずっと光ある方向へ歩いて行けるように…ずっと俺の傍で…笑っていてくれ。」
目から熱いものがこみ上げてきた。
歳三さんの顔が歪んで見える。
「は…はい…。」
私はゴシゴシと目を擦り、歯を食いしばって涙を堪えながら言葉を続けた。
「約束…します。歳三さんのお願いごと…絶対に…叶え…ま…す…。」
「ったく…雨が降ったら星が見えなくなっちまうだろうが。」
逞しい腕がそっと私の頭を包み込んだ。
「早く泣き止め。あんまり泣いてちゃ…蛍がふて腐れてどこかに行っちまう。」
「ごめんなさい…がんばります。」
「いや…がんばらなくてもいい…。どうしても俺は…お前を泣かせちまうな。泣きたければ泣け。泣き止むまで…傍にいる。絶対に離れないから…安心しろ。」
私は涙を堪えるために、強く目を瞑った。
目をとじた瞬間、ひと際明るく光る蛍の光が見えた。
私達をそっと照らす小さな蛍の光。
今日見た蛍の光を
二人で見た蛍の光を
私は忘れる事など出来ないだろう。
やがて蛍の光も、流れ星のように消えてしまう。
でもきっと…私の心の中でいつまでも切なく光り続けるだろう。
「今のは二人だけの約束だ…誰にも言うな。それから絶対に…忘れるな。」
私を支える腕の力がいっそう強くなった。
私はぎゅっと腕に掴まって、嗚咽を堪えながら頷くのが精一杯だった。
「は…い…絶対に…絶対に…忘れま…せん。」
もし、この人が私の手を離してしまっても
もし、この人が私の事を忘れてしまっても
きっと消えない
きっと忘れない
私の胸にある小さな光は
誰にも消せやしない
消すことなんか出来ない
この光もこの恋も
ずっと…
大切な宝物のように
永遠に…
私の心の中で、輝き続けるのだろう。