私は静かに眼前に広がる海を見つめていた。
身が切れるほど風が冷たい。
寒さで耳が千切れそうだ。
(海って…暗くて冷たそう。それに…なんだか怖い。引き込まれそうで…。)
想いを伝える事も出来ず、たった一人で海の泡となり消えたという異国の姫君。
彼女はどんな思いで、この海の中に消えていったのだろうか。
「何してる?あんまり端に寄るなよ。」
腕を強く引っ張られ、我に返った。
「ずいぶんぼんやりしていたな。ククッ…故郷が恋しくなったのか?」
振り返ると歳三さんが私の顔を覗き込むように立っていた。
「いえ…海の泡になってしまったという、異国のお姫様の事を考えていました。」
「『人魚姫』の事か?」
「はい。もしかしたら私も…私の想いも…そんな風に消えてしまっていたのかなって…。」
「ふっ…お前は無理だろ。どう転んだって『姫君』には見えねぇ。」
「むっ…どうせ私は『小猿』ですよ。」
ふて腐れてそっぽを向く私の頭を、大きな手がポンポンと軽く叩く。
「そうじゃねぇよ。『姫君』ってもんは、城の中でじっと誰かが来るのを待っている…大方それが定番だろ?お前は待つ事なんざしねぇ…いや、出来ねぇんだろうな。とうとうこんな辺境の地まで…俺を追いかけて来やがった。」
「必死に追いかけて来いって言ったのは歳三さんですよ。それに…私にはコレがありますから。」
私は懐からそっと布を取り出した。
広げると風を吸い込んで膨らみ魚の形を取り戻し、パタパタと風に乗って泳ぎ出す。
姉さまが作った鯉のぼり。
歳三さんが私のお節句をお祝いするためにと、姉さまに頼んで作ってもらった鯉のぼりだ。
「この鯉の背に乗れば、きっと私はどんなところへも行けます。貴方がどんなに遠くに行っても…私は必ず貴方に追いついてみせます。だから…帰れなんて…言わないでください。」
涙が零れた。
零れる涙を拭うように、歳三さんの唇が私の頬に触れる。
「本当に…いいのか?」
今ならまだ戻れる。
ここに居れば命の保障はない。
私の望む幸せなど、この地にはきっとない。
それでも私は…絶対に諦めたくない。
「この命の焔が消えるまで、私は貴方の行く末を見届けると決めています。だから…もう離さないでください。」
嘆願するように、強く腕にしがみついた。
「後悔…するなよ。」
震える体を、温かな腕がそっと包み込む。
「後悔などありません。貴方の傍にいられるのなら…それだけで…私は幸せなのですから。」
人魚姫が流した涙は真珠となり、深い海の中へ消えてしまった。
「俺はお前を手放す気は、一つもねぇからな…必死になってついて来い。いいな…。」
「はい!絶対に離れません。ずっと貴方の傍にいます。私はずっと…貴方の傍にいます。」
私が流す涙は、今確かに貴方の傍にいるという証。
「約束だ…二人だけの…。」
重なる唇から伝わる確かなぬくもり。
後悔などしない…私はあの時に決めたのだから。
全てを捨ててこの人を選ぶのだと…そう決めたのだから。
「そろそろ帰らねぇと…大鳥の野郎がうるせぇからな。」
大きな手が私の前に差し出された。
「クスクス…そうですね。いくら私の事を大目に見てくれる大鳥さんでも、あまり長い時間優秀な軍奉行殿を連れまわしていると、叱られてしまいますね。」
私はその手を取り、しっかりと握りしめた。
「雪道を戻るのは難儀だな。まぁ…今のうちに慣れておけ。」
「はい。でも、私は歳三さんの足跡を歩いていますから、結構楽ですよ。」
「んだと…ethlinてめぇ…俺の先を歩け!」
「えっ!嫌ですよ。私は歳三さんの後ろを歩きたいんです。」
「これから先いくらでも俺の後ろを歩かせてやる。だから今は遠慮するな。」
「嫌だ~。」
じゃれあう二人の唇から、白い息が立ち上った。
そして青い空へと消えていく。
いつか私の想いも
いつか貴方の志も
いつか龍となる、この鯉の背に乗せてあの空へ。
まだ見たことのない遠い空へ
いつか貴方が向かうあの空へ
私が追いかけ続けている
あの浅葱色と同じあの空へ
届くといい。
-あとがき-
密かにそらのむこうへ の続きになってます。
元々続きじゃなかったんです。
そらのむこうへを書き出した後、急に思いついて書き出した嫁妄想SSです。
冬になったのでUPするにはちょうどいいかな~と。
この後二人は幸せを掴むのか、それとも…その答えは私の中に何通りもあります。
もし、この後離れ離れになったとしても、今だけは…一時だけでも幸せを感じられたら…そんな事を考えながら書きました。