今は春。
でもまだ夜は寒い。
前をぼんやりと照らす提灯の灯りだけを頼りに、私は前を歩く土方さんの背中を必死に追いかけていた。
「はぁ…はぁ…土方さん…段々と春めいてきて日が長くなったと思いましたが…はぁ…すいぶんと真っ暗になってしまいましたね。」
「ethlin…お前が帰り際に階段から転げ落ちた上、頭を打ち付けて失神さえしなければもっと明るい内に帰れた。お前は今日なんの為に俺についてきた?あの見事な階段落ちを披露するためか。確かにあれは不逞浪士も顔負けだったがな。」
「はわっ…すっ…いや…申し訳ございません。」
今日は土方さんの外出に同行させてもらったのだか、訪問先で帰り間際に足を滑らせ階段から転げ落ちたのだ。
(たまについていったらこれだもん…役に立たない感丸出しだし…。)
がっくりと下を向きながら歩いていると、前を歩く土方さんの足が急に止まった。
(おっ…お説教開始…)
おずおずと顔を上げると、目の前には大きな桜の木が満開の花を静かに揺らしていた。
「うわぁ~綺麗ですね~。」
感嘆の声を上げる私の隣で、土方さんは黙って桜の花を見つめている。
(やっぱり…土方さんには桜が似合う。)
私はそっと、桜を見つめるその美しい姿を目に焼き付けていた。
「夜桜も綺麗なもんだな。闇に薄紅色がぼんやりと浮かんで…。」
土方さんはそっと手を伸ばし、枝をしならせて桜の花を一輪千切り、私の髪にそっと乗せた。
「?」
「ふっ…小猿にも桜。」
「なっ
…なんですか~どっ…どうせ私は小猿ですよ~!」
拳を振り上げポカポカと胸を叩くと、笑いながら私の拳を大きな手が包む込む。
「はははっ…冗談だ。お前と初めて会ったあの日の事を、あの遅咲きの桜の事を思い出していた。」
「あの桜並木の花も、少しずつ花を咲かせているのでしょうね。」
「そうだな。いくらのんびりしていても、日中の暖かさに誘われて一つ二つは咲き始めているだろう。いや…まだ硬い蕾のままの桜もあるな。」
意味深な笑みを浮かべ、土方さんがポツリと呟いた。
「そんな呑気な桜の木があるのですか?」
「ある。ここ数年様子を見ているが、花が咲く様子はまったく見えねぇ。」
(何年も花を咲かせないなんて…変なの。)
「その桜の木、腐ってるんじゃないですか?」
「正真正銘生きている桜だ。他の花より紅い花をつけると思うんだが…。まぁ…そのうち誰かが掻っ攫ってちまって…その花を愛でる事は叶わねぇだろうな。」
そう言いながら、何故か少し寂しげな顔で笑った。
「ふぅ~ん…。」
(それって…桜の木じゃなくて…もしかしたら誰かの事を例えてるのかな。)
胸がチクリと痛んだ。
「なんだ?おかしな顔しやがって。新しい百面相の練習か?」
「違います…私はどうせ…小猿で…変な顔…ですよ。」
今はこの人の側にいる事を許されていても、いつかきっと別れる日が来る。
先を目指すこの人の背中を、私はいつまで追いかける事ができるのだろうか。
心の中が不安とやるせない気持ちでいっぱいになってきた。
涙と嗚咽が溢れそうになり、顔を隠すように俯き歯を食いしばった。
「…俯くな。前を見ろ。前だけを見てろ。前を…空を…お前の目に前にある未来(さき)を…きちんと見据えろ。」
土方さんの長い指が空を指差す。
私はその指が指す方を黙って見上げた。
「あっ…」
「なんだ?」
「月が…桜の花の間から…月が顔を覗かせています。」
桜の木から見える月を仰ぎ見た。
白く光る桜の向こうに、淡い光を放つ月。
「桜の花が…まるで星のように…まるでたくさんの星が降り注いでいるように見えます。」
そっと手を伸ばしてみたが空に手は届かず、花に触れる事さえも出来ない。
「土方さんならきっと手に入れてしまいますね。桜の花を手にするように、星の光も…春の月の光りも…。」
私の腕に添うように、土方さんの長い腕が伸びた。
肩に置かれた手の温もりが…背中に感じる体温が熱くて、私の顔も熱を帯び始める。
(薄暗くてよかった。私きっと…恥かしいくらい赤い顔してる。)
「そうだな…強く願えば…。」
耳元に静かな声が響く。
耳が熱い。
恥かしさのあまりに体を離したい。
でも離れたくない。
(もう少し…もう少しだけ…このままでいたい。)
「強く願えば…手に入れられるかもしれねぇな…。」
土方さんの長い指が桜の花に触れた。
「星の光も…春の月も…紅い桜の花も…。」
はらはらと薄紅色の花びらが風に舞う。
私達はただ黙って、二人静かに夜桜を見上げていた。
-あとがき-
今年の春は夜桜を何度か見に行き、行くたびに写真を撮っていました。
本文中の二枚目の写真は本当はかなりの失敗作です。
だからその場で消そうとしましたが、ふと「この写真でSSが書きたい。」と思い消さずにお持ち帰り。
そして出来たのがこの『霞む月夜の流星雨』です。
もっと綺麗に写したいんですけど…腕がへなちょこなもんで(苦笑)

