それから ~うつ日記~ | ethlinの煩悩毛だらけ

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煩悩さらけ出し日記

今『うつ日記って番号振ってたっけ?』で記事の数見てたら15回くらい書いてる事発見。


くだらない日記と並行して15回近くもよく書いたな~って変に感心。


2月半ばに落ち込み始めてから20日くらい?25日くらい経ちました。


最近の記事読んで『お前落ち込んでなんかないやろ手どんっ』ってつっこみは不要です。


ずーっと心に引っかかったまま…今も引っかかったまま過ごしています。


『盆と正月が一気に来た』なんて言葉がありますが、まさにそんな感じでした。


仕事の事、ブロ友さんの事、ニュージーランド地震の事、父の入院の事、東日本大震災の事。


今日久しぶりにうつ日記を書こうと思ったのは、明日父が退院するので少し気持ちを整理しようと思ったからです。


この記事を目にしている皆様の中にはご両親健在の方、片親だけ健在の方、ご両親を無くされた方いろいろいらっしゃると思います。


うちの両親はかなり高齢なのでもう何があってもおかしくはないんですが、やはりそれなりに元気でいると安心しきってしまうわけです。


それが2月の半ばからパタパタと問題が起き始めた途中で、父が『入院しなければいけない』と言い出した時、私は半分冗談だと思っていた。


しかしそれは現実で何度も何度も検査した結果、最悪の事態を目の前に叩きつけられました。


母はかなり動揺してしまいました。


母が動揺しているおかげで私はかなり冷静でいられるんですが(←他の人が動揺してると動揺出来ないタチ)、冷静と言うよりも状況はちゃんと理解出来てるけど、それが他人事のようにしか聞こえない。


泣く事も出来ないし、母を励ます言葉も思いつかない。


ただ母の言葉を黙って聞くのが精一杯で、どうしたらいいかわからない。


もっとはっきり言えば『私にどうにかして欲しいなんて望まれても、私には何も出来ないから困る』って思ってました。


自分の親が病気で大変だっていうのに、本気でこんな事を考えていました。


しかも母に告げました。


自分の口で。


「悪いけど何にもしてあげられない。」って。


非常識で非道だってわかってるけど、出来もしない事を「してあげる」なんていう事は私には出来ない。


その時は検査中で、ある程度治療方法が決まったくらいでした。


母は最悪の事を考えている様子です。


母の言葉を一通り聞き終えてやっと出た言葉。


『行けるところまで行こう。どうなるかなんかわからないし、なるようにしかならない。とにかく行けるところまで行って、そこからまた考えよう。それに治療してくれるって事は、今よりよくなる可能性があるからでしょ?少し様子見て…それから考えよう』


そんな事を口にしながら「いっそこの世から消えてしまいたい…」って考えてました。


逃げたいから、何にも考えたくないから、楽になりたいから。


同時に母の負担を減らすために(母は足悪いから)、車の免許を取りに行こうかな~と考えました。


入院して一~二週間経って、父から「車のエンジンをたまにかけて欲しい」と頼まれまして、エンジンをかけて運転席で五分ほどぼーっと座ってました。


車を運転するってここに座ってこの箱(車)を動かすんだよね…


そんな事考えてたら段々と圧迫感が襲ってきて…車内で一人っきりプチパニックですサー・・・・ッ


そのあと散々考えた挙句母にはっきりと「車の免許を取りに行く事を考えたけど、運転席に座るだけで怖いから、ごめん…悪いけどダメだわ。」と告げました。


母の答えは「そんなんいい。無理にしなくていい。自分が嫌な事を無理にしなくていい。出来る範囲で動けばいいから。あんたは気にしなくていい。」と。


その上「お母さんはあんたに何にもしてあげられん。何にも残してあげられない。本当に申し訳ないと思う。」と言いました。


涙が出ました。


そばにいてなんにも出来ないのは私の方なのに、母は私を責める事なく自分を責めてる。


そんな母を見ても…やっぱり自分は何も出来ない。


それでも母は「あんたが居てくれてよかった」と言いました。


私が生まれた当時家は経済的に厳しかったらしく、母は私を殺そうと思っていたそうです(←母の口から聞いた)。


口に出したわけでもないのに、何かを感じた母の兄姉が様子を見に来ては「いつかはこの子(私)があんたを支えてくれるんだから大事にしなさい。」と言われ続けたそうです。


しかし私は役に立つような人間には育たず、勉強出来ない、鬱になって泣くわ暴れるわ面倒かけるわ、車運転出来んわ、仕事で出世するわけでもないわ…ハズレくじのような人間の出来上がりです。


おまけになんでも出来る姉は嫁に出て、ハズレくじの私が自動的に家に残った。


そんなハズレで本気で何にもしてあげられない私に母は「あんたが居てくれてよかった」と言いました。


私は何にも出来ないけど、何にもしてあげられないけど、この時初めて「生きていてよかった」って本気で思いました。


私がいる事でほんの少しの事でも母が「助かる」と思えるのなら、私が出来るほんの少しを一生懸命にしようと思いました。












今回の退院は『完治』ではなく、今まで施してきた治療がこれ以上出来ないためです。


GW後再検査をし、どうするかを決めるそうです。


考えていてもよくならない。


最初に言った通り『なるようにしかならない』んですから。






明日からまた騒がしい日常が戻ってきます。


この日常が少しでも長く続くように…


もしこの日常が壊れてしまっても…


なんとか生きていけるように、少しずつ前進あるのみです。