どうやら今日は忙しい日のようですね。
老婦人の手当てを終え医務室に戻った途端、医務室には訪問者が代わる代わる現れ、私は大忙しです。
ストレスで胃が痛いから胃薬をよこせと怒鳴る、額に漬け物をつけたまま現れた巨漢の男性社員には、「それは単に食べすぎですよ」と教えてあげたかったのですが、言葉を飲み込み消化剤を分けてあげました。
朝から風邪っぽくて…としなを作り入室してきた女性社員には、「大方裸で寝ていたのではないですか?年を考えてごらんなさい」と心の中で呟きながら、風邪薬を差し上げました。
そして気がつけば、時計の針はやがて午後の3時を差そうとしている。
「やれやれ…もうこんな時間ですか…。今日は時間が経つのが早い。昼食時間も忘れて仕事に専念してしまいました」
白衣のポケットに財布をねじ込み、私は少し遅い昼食を取る為に社員食堂へと足を向けた。
食堂の出入り口に近づくと、後ろから賑やかな女性の笑い声が耳に入った。
声のする方を振り向くと、エプロンを身につけた背の高い若い女性が、楽しそうにはしゃぎながらこちらへ近づいてきた。
(随分と元気な女性だ。これでは新見先生のお力などまったく必要としないでしょう)
その後ろを小さな影が小走りで追いかけてきた。
(あれは…)
背の高い女性に追いつき仲良くじゃれる小さな影、それはミニーだった。
(今日二度目ですよ…これは…ラッキーとしか言い様がない)
ミニーと目が合い、私は軽く会釈をした。
ミニーも私に気がついたようで、私に会釈を返す。
ミニーがとことこと近づいてきた。
(ふふっ…まるでおもちゃのねずみですね)
笑いがこみ上げるのを我慢していると、ミニーは私にペコリと頭を下げた。
「狭間先生、今日はありがとうございました。えっと…お客様は大丈夫でしたか?ちゃんとお家にお帰りになりましたか?」
「ご苦労さまです。えぇ、皆さんの応急処置が的確でしたからね、大事には至りませんでした。それに貴女の電話は非常にわかりやすかった。おかげですぐに現場に駆けつける事が出来ましたよ」
ミニーは「そんな事ないです」と照れた笑いを浮かべている。
チラリと胸元のネームプレートを覗き見る。
(なるほど…ミニーはethlinというのですか…医務室に帰ったら早速名簿をチェックしてみましょう)
私は気になっていた事を、思い切って聞くことにした。
「ところで貴女の体調はいかがですか?先日医務室でお会いした時は随分と顔色が悪かった。あの時お渡しした薬は役に立ちましたか?」
「あっ…はい。痛みはすぐに治まりました。あの後も飲んで…もらったお薬は全部飲みきってしまいました」
ミニーは赤いをして俯きボソボソと答えた。
(飲みきった…飲みきったと…今はっきりそういいましたね?私はあの時6錠渡した。6錠も飲めば十分常習性が出てもいいはずだ)
しかしミニーが医務室に来る様子はない。
どうやら見たところ、ミニーは恥かしがり屋のようだ。
本当はあの薬が欲しくて欲しくてたまらないのかもしれない。
あの薬が欲しいなどと、恥かしくて言えずにいるのかもしれない。
薬が欲しいと口に出す事ははしたないと…そう思っているのかもしれない。
だからそれを口にする事を、ずっとずっと我慢しているのかもしれない。
かわいそうなミニー。
苦しみから回避されてもなお、新たな苦しみに気丈に耐えるミニー。
案ずる事はありませんよ。
そんな羊の為に、新見先生は日々薬の研究を続けているのですからね。
私はミニーにありったけの優しい笑顔を向けて言った。
「必要ならまた医務室へいらっしゃい。薬は痛みや苦しみを和らげるためにあるのですからね。遠慮する事はありませんよ。苦しいのならいつでもいらっしゃい」
ミニーはきょとんとした顔を私に向け、また真っ赤な顔をして俯いた。
「いえ…毎回毎回ひどくお腹が痛くなるんじゃないし…大丈夫です。今回は特別にひどかっ…あわわ…あっ…ありがとうございます。鎮痛剤は薬局で買ったので大丈夫です。えへへ、また別の機会にお願いしますね」
じゃあとミニーは私に会釈をして食堂の中に入っていった。
(まさか…あの薬が効かなかったのか?それにミニーの様子からすると私が言った『痛みや苦しみ』を、単なる『生理痛』と勘違いしているのでは…)
ミニーと背の高い女はテレビの見える前の方の席を陣取り、楽しそうに弁当を広げ話をしている。
(あの薬が効かない人間がいるとなれば、さっそく先生にご報告しなければ…。二人の会話を聞けば何か詳しい事がわかるかもしれない
私はミニーを観察する事にした。
ミニーの座る席の斜め後ろに腰を下ろし、食事をしながら彼女達の会話に耳を傾ける。
「せんぱ~い、そういえば一週間くらい前に社販してた肉団子、ほら…あの物産展で余ってたパウチされた肉団子ですよ、あれ美味しかったですね~♪賞味が当日じゃなかったらもっとまとめ買いしたかったんですけどね~。そう言えば先輩は2~3袋まとめて買ってましたね。なおさんにもあげたんですか?」
「あっあれ。あの日家帰ってお父さんとお母さんと三人で食べて、一袋残してたから…じゃん♪今日のお弁当はその肉団子だよ♪」
「えっ…ちょっ…さすがにヤバくないですか…」
「ん?湯煎でたっぷり10分加熱したから大丈夫だよ。それにお母さんがつまんで食べてたけど普通に「美味しい」って言ってたし…」
怪訝な顔をする背の高い女に、ミニーは肉団子を差し出した。
「まっ…まさか…先輩、あの時一緒に買ったヨーグルトまで、まだ食べてる最中じゃないですよね?アレは翌日賞味でしたけど…」
「乳製品はね~さすがに早目がいいと思ったからおとつい完食した」
「はぁ~先輩のハートはデリケートなのにお腹はバリケードですね。お腹ゴロゴロしません?」
呆れたため息を漏らす背の高い女に、ミニーは満面の笑みを浮かべて笑いかける。
「全然。お腹ゴロゴロして欲しいくらいだよ。ゆきちゃんだってさ~『3ヵ月前賞味のおせんべいが湿気ちゃった…』って言ってトースターで焼きなおして食べたたって言ってたじゃん。『焼きたてのおせんべいってすごく美味しい』って」
「肉団子とおせんべいは違いますよ~。あれ…ホントだ…肉団子美味しい…」
「でしょ~。でも今日がギリセーフだったと思う」
「な~んだ…なら私ももう一袋買っておけばよかったな~。これ半値以下でしたもんね~」
「結構食べられるよね~。明らかに風味が落ちて味もヤバイやつもあるけどさ~この肉団子は勝ち組だよね♪」
若い娘さん達の話とは思えぬ会話に苦笑いをしながら、私は静かに席を立った。
(ふふふっ…腐りかけのモノを食べても平気とは…それでは新見先生の薬が効かなくてもおかしくはないかもしれませんね…。面白い…実に面白い…。ミニー…貴女には新たな薬をご用意いたしますよ。それまで私がここに居られればいいのですかね…)
やはり今日は忙しい日のようだ。
「早速先生に連絡をしなくては…」
私は楽しくはしゃぐミニーを静かに一瞥し、医務室へと戻って行った。