あれからどのくらい時間が経ったのだろうか。
(さすがにもういねぇだろう…)
ふらりと玄関の方へ向かうと、そこにethlinの姿は見えない。
(新八もいねぇみたいだな…ったく…なんで家出先がここなんだよ。本当に頭がおかしいんじゃねぇか?)
念の為に屯所の周りを歩き回ってみた。
(その辺で野たれ死んでる…って事はねぇよな…)
ふと顔を上げると、暗闇の中にぼんやりと紅色の桜が一輪だけ咲いている。
紅く膨らんだ蕾も、もうすぐ花を咲かせるのだろう。
(せっかくつけた小さな蕾を、こんな血生臭いところで咲かせようっていうのか?本当におかしな女だ。すぐ泣くくせに頑固な事言いやがって…ったく…)
一回りして屯所へ戻ると、玄関に黒っぽい小さな塊が見えた。
(なんだ?)
「あっ…土方様、お帰りなさいませ。」
それはethlinだった。
寒さのせいだろう、頬と鼻が赤く染まり、鼻をクズクズとさせている。
「お前…こんなところで何してやがる…帰ったんじゃねぇのか?新八はどうした?」
「寒かったので、屯所の周りを一周してきました。えっと…あの大きな男の人は私が『絶対に帰らない』と言ったら、赤い髪の人とどこかへ行ってしまいました。」
(くっそ…新八の奴…)
「土方様、これを差し上げます。途中桜の枝が落ちていました。まだ蕾がたくさんついてますよ。二~三日したらきっと満開になりますね。えへへ…やっぱり土方様には桜が似合います。」
ethlinはニコニコと笑いながら俺に桜の枝を差し出す。
俺はそれを黙って受け取った。
ふいに触れた手が、氷のように冷たい。
「お前、ずっとここに一人でいたのか?」
「ですから少しだけ屯所の周りを…。」
「ずっと…一人でいたのか?」
「はい。だって知っている方は土方様しかいませんし。」
当たり前のような顔をして、ethlinはニコニコと笑う。
「…ついて来い。」
俺は小さな手をひいて部屋に戻った。
なぜその場で追い返さなかったのか…俺にもわからねぇ。
周りに人がいない事を確認して、俺は部屋の襖を閉めた。
「とにかく…そこへ座れ。」
俺は腕を組みながら、おずおずと座るethlinを睨みつけた。
「で、家出の原因はなんだ?」
しかし俯いて何も言わない。
「どうせ…気にいらねぇ縁談が我慢出来なくて…それで家出してきた。そうじゃねぇのか?」
図星だったのか、さらに頭をたれて黙りこくる。
「こんな血生臭いところで生きるより、たとえ気にいらねぇ相手でも所帯を持って生きる方が、お前にとって幸せだろうが。そんな当たり前の事がわからねぇほど、お前は馬鹿なのか?」
「当たり前の幸せって何ですか?」
ethlinは大声を上げ、泣きそうな顔で俺の顔を真っ直ぐに睨みつけている。
「自分が目指すものに向かって走る事は当たり前だと…土方様はおっしゃいました。『出来るわけがない』と最初から諦める方がつまらない人間だと…諦めるなと…やれるだけやって、どうしてもダメなら諦めろと…。私は初めて大切なものを見つけました。自分の人生の全てを賭けてみたいと思うほど、大切なものを見つけたんです。だから…何もせずに諦めるのは嫌です。」
「お前の人生の全てを賭けるほどのものが、この新選組の中にあると…そう言いたいのか?」
「はい。」
「そのためなら何でもすると、本気でそう思っているのか?」
「はい。」
「だったら…。」
俺は言いかけた言葉を一度飲み込み、躊躇しながらもその言葉を口にした。
「お前は俺が夜伽の相手をしろと言ったら…お前はその信じるものの為に、その身を投げ出すのか?」
ethlinはきょとんとした顔で俺の見つめていたが、ようやく意味がわかったのだろう、真っ赤な顔をして俯いてしまった。
「お前が男の振りをしたとしても、男ばかりの中に身を置くって言うのはそういう事だ。諦めろ…って…お前何してる!?」
ethlinは立ち上がり、泣き出しそうな顔で歯をくいしばり袴の紐に手をかけていた。
「馬鹿!お前何考えてる!?」
「私は…私は…やっと見つけたんです。初めて自分で決めたんです。簡単に諦めたくない、後悔したくない。貴方が…貴方が私が決めた事を諦めろと言うのなら、それは自分を捨てろと言われた事と同じです。なら捨ててでも手に入れます。」
「ばか!?やめろ!!」
「やっ!痛っ…。」
手首を掴んで無理やり畳にねじ伏せた。
動けないように体を半分押さえつけると、怖くなったのか嗚咽を漏らし泣き出した。
「出来ねぇもん出来るなんて言うな!自分の身くらい自分で大切にしろ!!」
「だって…うっ…グス…」
「あ~泣くな…泣かなくていい…驚かせて泣かせるつもりだったんじゃねぇ…なんだ…悪かったな…。」
(こんな小娘相手に何をてこずってんだ?俺は…)
あれほど熱くなっていたくせに、まるで無力な子供のように泣きながらぐずるethlinの背中をそっと撫でてやる。
「…お前が見届けたいものってのはなんだ?」
「………」
「言えねぇなら今すぐ出てけ。」
「絶対に嫌です。」
「お前…意外と強情だな?」
「土方様には負けます。」
泣きはらした大きな目が、俺を睨みつける。
「俺が強情だって言うのか?」
「違いますか?自分の信じるものの為に重いものを一人で抱えて、自分だけを犠牲にしている。私には貴方がそんな風に見えます。」
ethlinの小さな手が、俺の腕をぎゅっと掴んだ。
「私は…私は貴方の背中を追いかけたい。貴方が目指す先を…未来を見てみたい。私は刀を握った事はありません。でも、他に何か出来る事があるのなら、私は貴方の傍にいたい。土方様が上へ上へ進むお手伝いをしたい。足手まといになると言うのなら、捨て置いてくれてかまいません。それでも私は貴方に死に物狂いでついて行きます。」
腕を掴む力がさらに強くなる。
それほどまでに、目の前の少女は真剣だった。
「俺にその価値があると思うのか?」
「貴方は自分はそんな価値もない人間だと思っているのですか?貴方が掲げる志は…一人の無力な人間の心を突き動かす力もないのだと…貴方は本気で思っているのですか?」
大きな目が瞬きもせず、ただ真っ直ぐに俺を睨みつける。
その瞳が…その姿が、何故かあの時の俺の姿と重なった。
振り下ろされた鉄扇に目もくれずただ前を睨みつけていた俺は、あの大きな男の目にはこんな小生意気なガキにしか映っていなかったのかもしれない。
それでも俺はあの男を斬り捨て、心を押し殺し…そしてここまで来た。
歯を食いしばりながらどんな屈辱にも耐え…ここまで来た。
全ては己の掲げる誠の心のためだ。
目の前の無力な少女は、己が見つけた誠のために全てを捨てる覚悟だと言う。
「だったら…」
俺は静かに口を開いた。
「俺は絶対に甘やかさない。」
「私は甘えた事は言いません。どんな事にも耐えて見せます。」
「足手まといになったら、俺は本気で捨てる。」
「かまいません。だったら私は本気でついて行きます。」
さらに強い眼光が俺を捕らえる。
「…参ったな。」
ため息が漏れた。
おどおどしていて、すぐ泣くくせに強情っぱりで頑固。
俺が偶然見つけた小さな桜は、俺が思っていたより相当厄介なモノらしい。
ethlinは安堵したのか腕を掴む力を緩め、目に少し涙を浮かべていた。
「俺はとんでもない女にひっかかっちまったみたいだな。お前の望み通り、忙しくて息する暇がねぇくらいこき使ってやるよ。」
偶然見つけた小さな桜の花。
「はい!私がんばります。土方様のお役に立てるように一生懸命がんばりますから!」
まだ蕾のままの一輪の桜の花。
「くれぐれも俺の足をひっぱるなよ。」
俺の胸の奥に、ひと際紅い桜の花びらがふわりと舞った。