近藤さんの命で新八と小間物屋に出かけた際、藍生地に桜の模様が入った巾着を一つ買った。
俺の小姓をしているethlinへの土産だ。
(たまにはいいだろう…ちょっとした褒美だ)
屯所に帰り部屋で物書きの続きをしていると、廊下からギシギシと足音が聞こえてきた。
(ethlinだな…)
途中足音がピタリと止まり、またギシっと音がした。
そしてまたギシリと音がする。
(ったく…斎藤や山崎の真似して足音を消そうったって、お前には無理だ、諦めろ。茶が冷めるだけだからとっとと持って来い)
歩調を緩やかにしたのかギシリ…ギリシ…と廊下は鳴く。
(だから無駄だってんだろ)
つい笑いが漏れた。
足音が止まり「失礼します。」と声がかかった。
「入れ。」
静々とethlinが茶を持って入ってきた。
「お茶をお持ちしました」
そっと茶を差し出す様子はずいぶんと様になってきた。
元々商売人の家の娘らしく、客人の相手に馴れているのか茶を入れる腕はなかなかのものだった。
「美都屋の新茶です。」
湯飲みを近づけるといい香りが漂った。
「いい香りだな。」
「はい!梅光と言う名前だそうです。土方さんは梅の花がお好きですよね♪」
「あぁ…梅はかすかに甘い香りがする。桜とはまた違った趣があるな。」
「梅は春の到来を知らせ、桜は春を満喫させますね。そしてどちらも食べると美味しいです!」
「梅干と桜餅か?お前は色気より風情より食い気だな。」
苦笑いを浮かべながら、土産に買って来た最中と一緒に包みを一緒に手渡した。
「???」
「開けてみろ。土産だ。小間物屋に用事があって立ち寄った。これならお前も使えるだろう。」
包みを開けたethlinは「あ…これ…。」と小さな声を上げ、巾着をマジマジと眺めている。
「どうした?気に入らないのか?」
「いえ…ありがとうございマス。大切に…大切にします。」
ethlinは巾着をギュっと握りしめ、俯いたまま部屋を後にした。
(巾着ぐらいで大袈裟な奴だ)
小さな背中を見送り、机に目線を戻す。
あいつが屯所に押しかけてからどのくらいの月日が経ったのだろう。
ethlinの素性を知る者は幹部連中のごくわずかな人間だけだ。
平隊士達は新選組鬼副長の小姓だと信じて疑いもしない。
いや…間違ってはいない。
実際屯所内での細かな雑用は、ほとんどethlinにやらせている。
女だからといって最初から甘やかすつもりなどなく、平隊士と同様に厳しくこき使っているが、弱音も吐かずよくやっていると思う。
まぁ…ちょくちょく泣いてはいるがな(苦笑)
辛ければ家に帰ればいい。
その方があいつの為であり、幸せになれる。
それでも「家に帰りたい」とは言わない。
どんなに辛くて泣き出しても「家に帰りたい」の言葉を吐かない。
「私に帰る家はもうありません」と言って寂しげに笑う。
押しかけてきたあの春の夜に、一度だけなぜ家を出たのかと聞いた事がある。
どうせ意に沿わない縁談でも持ちかけられて、軽い気持ちで家出してきたのだろうと思ったからだ。
家出の理由の一つは確かにそれだった。
だが、それはきっかけに過ぎない。
あいつが…ethlinが家も家族も平凡な幸せも捨てた理由は…また別のところにある。
初めてethlinに出会ったのは、遅咲きの桜がようやく咲き始めた頃だ。
俺は不逞浪士との斬り合いで腹部に深い刀傷を負い、桜の木の下に佇んでいた。
足元に落ちた薄紅色の桜の花びらが、俺の血で赤く染まっていく。
(こんなところでくたばるわけにいかねぇ…俺はまだ…まだやらなきゃいけねぇ事が山ほどあるんだ…)
遠のく意識を痛みに集中させ、仲間が来るのを静かに待っていた。
やがて視界に何か動くものが見えた。
(誰だ…山崎か…いや…ちいせぇな…平助か?)
少しだけ顔を上げると、小さな少女が蒼い顔をして俺を見つめていた。
「そばによるな…」
鮮やかな牡丹色の着物を着た少女は、黙って踵を返し走り出した。
(桜の精…いや…そんな良いもんじゃねぇな…さしずめ桜の木から出てきた小人…ってとこか。ふっ…もしかしたら、あの世からの迎えだったのかもしれねぇな。俺の血で桜を染めちまったから、一等紅く咲いた桜が迎えに来たのかもしれねぇ…)
死にたくない、死ぬわけにはいかねぇと思いながらも、桜に連れて逝かれるのならそれもいいかもしれねぇ…などと、俺らしくもない事を考えていた。
やがて立つことも体を起している事も難しくなり、桜の木の下にうずくまるように座り込んだ。
朦朧とする意識の中、誰かの気配を感じた。
そっと目を開けると、さっきの少女が泣きながら俺の傍にしゃがみこんでいる。
「なぜ…戻って…きた…。」
答えることなく俺の着物を肌蹴させ、刀傷を見てさらに顔を蒼くする。
オロオロと躊躇しながらも、サラシと酒で傷の手当をし始めた。
傷に酒が沁みて遠のく意識が呼び戻される。
うめき声を聞いた少女は怖くなったのだろう、さらにしゃくりを上げて泣き出した。
それでも手を止めない。
血が止まらないどうしようと泣きながら、何とか止血しようとしている。
手を伸ばして涙を拭いてやろうとするが、俺には腕を上げる力さえない。
(俺の事なんか捨てておけ…それよりもお前…自分の顔を拭け…。涙と鼻水でぐちゃぐちゃじゃねぇか…)
そんな事をぼんやりと考えていた。
やがて出血は落ち着いてきたようだ。
少女の口から安堵のため息が洩れる。
俺は力を振り絞って、少女の肩を強く押した。
「早く…行け。もうすぐ仲間が来る…面倒な事になる前に…早く行け。」
少女は「はい」と小さく呟き、手でごしごしと顔を拭きながら立ち上がった。
俺に軽く頭を下げ、踵を返し立ち去って行く。
途中何度も何度も振り返りながら。
かすかだが遠くに佐之助と新八の声が聞こえた。
(あいつらに見つかる前に早く行け…)
俺は黙って、立ち去る小さな背中を見送っていた。