シャグマアミガサタケ。
猛毒菌。食べるな危険。
さて、ちょっと忙しかったりして行き詰ってるけど。
私は、うちの動物たち(あえてうちの仔とは呼びません)をとても愛しているけれど
共に生きているけど
家族だと思っているけれど
人間ではないと思っています。
犬は犬。
フェレットはフェレット。
猫は猫、魚は魚。
ヒトに飼われているペットという立場である限り、一緒に暮らしてはいても
それぞれの種で行動に特徴と理由があり、習性もあり持って生まれた個性もある。
食べるもの、住むところ、気持ちの良い寝床を与える努力はするけれど
ヒトとは違うのです。
人間のフィルターを通して彼らをみてはいけない、と
いつも忘れないように頭の片隅においています。
何故なら、自分が共依存的であることを知っているからでもあり。
そうやって自分を内省してみると、ペット依存的な人や
人間に依存しちゃっている動物たちって最近とても多いなぁと思うのです。
それが悪いとはいわないけれど、人の目のフィルターを通して
人と同じように生き物を扱う事で自分の満たされない心を映し出しているように見えます。
ほんとうはすごく貪欲にそのまま甘えたい、愛されたいのにペットを代わりに愛しているというか。
共依存の人は、たとえば母親であれば子供(ヒトですよ)の世話を必要以上に焼いたり
過剰に心配したり、それを他人に訴えることで
自分を認めてもらいたい!という心の叫びの裏返しが見え隠れします。
「良いお母さんね、幸せなお子さんね」とか無意識に求める。
それが最近はペットを飼っている人にもみられるなぁと思うのです。悪くないですよ。
でも、特に犬は人に寄り添う生き物だからか分離不安傾向が顕著に表れて
問題行動へとなりつつあったり。
これだけ可愛がってるよ。とか
これだけやってあげたよ、とか。
多分、動物たちはそんな事なんとも思わないのが本当じゃないかと。
そうやって、相手からの承認を求めるような言葉が本当に苦手。自己を映す鏡だから。
私がそういう風に育てられたからでもありますが。
どこかみたされない何かを感じます。
共感と承認をただひたすらもめている、というような。
うちの動物たち。
彼等は人のために生きている訳じゃない。
もちろん、私のために生きている訳でもない。
でも私は彼らとできるだけ長く一緒にいたい。
今の私は、ただそれだけで十分だとさえ思っています。
