8月30日は選挙だと聞きました。
私は、特にどの政党を応援しているというわけではないのですが
少し気になることがあるので書いておきます。


端から見ていると
いまの日本は、何かというと責任を問う姿勢、
誰かのあらを拾う姿勢、
そして、一生懸命に頑張っている人をあざ笑う姿勢、
何か1つ失敗を見つけると、寄ってたかってその人を責める姿勢、
そんな風潮を見ていると、なんか変だなーと思ってしまいます。


責任を問う姿勢と言うのは、原因と結果を知り、分析をすることで
次に繋げる。。。という意味で効果的なこともありますが
いまは、何かそれがオーバーになりすぎて
通常の生活にもその影響が出ているのではないでしょうか?


で、これらの風潮は、今の日本にプラスに働いているのか?


会社を例として挙げますが、
会社は、短期計画、中期計画、長期計画というものを立てます。

しかし、社長(もしくはトップ)の任期が2、3年しかないと
その社長さんというのは、自分の在任時にある程度の
結果を出したいために、どうしても短期で結果が出るものを
優先させます。

しかし、その社長さんの任期が長くなりそうな場合には
その社長さんも、どっしりと腰をすえて、
先を見据えて、5年、10年と言った中・長期計画を立てます。
目先の得よりも、会社の先を見据えて計画を立てる余裕が出来てくるわけです。


私はこの考えは今の政治にも当てはまるのではないか?と思います。
短期でコロコロと首相が変わっている日本。
在任中に何か結果を出さなければならない。。。そうなると
短期決戦ばかりの勝負になる。
時には、投資も必要なのに、目先の利しか追うことができない。
国民もすぐに結果が出ることを求めている。



正直、こういう長い目で日本を見据えている人がいるか?政党があるか?
というとうーん。。。と悩んでしまいますが、
選ぶ人間も、目先だけではなく長期で日本を見なくてはならない
ことに気付かなくてはなりません。
少なくとも、今回の選挙が
それを必要とすることがわかる訓練になるんじゃないかなーと思っています。

選ばれた人たちには、自分たちの利ではなく
選んでくれた国民のために働いてもらいたいと思いますが、
選ぶ方も、今回の選挙で選ばれた人たちが
私たちの気持ちを汲み取って動いてくれるように
バッシングするだけではなく、自分たちも一緒になって
支えていかなくてはならない時代になってきているのではないか、
と思います。


オーバーに聞こえるかもしれませんが、
本当は、日本という国が国として存在していけるかどうかの
転換点の1つを迎えている気がするんですけれどね。
まぁ、個人的な考えですが。。。


関東には台風が接近しているようですね。
みなさんにとって、今日がよき日曜日となりますように。
深く感謝です。

前回の自分の記事読み直すと、暗いですねー(笑
ダメだー、こんな記事書いてたら!!
何か乗り移ってたんですかね~(笑
削除しようか悩み中。
。。。削除してしまったら、コメント下さった方々。。。 m(_ _)mゴメンナサイ


さて、いろいろと忙しいけれど、楽しみな時期がやってきました。
インドネシアは、今週末からイスラム教の断食月に入るんですよー。
インドネシアは世界で一番イスラム教徒の多い国。
人口の90%以上だと言われています。

日本人には断食というと、「辛い」「苦しい」というイメージがありますが
こちらの人はウキウキしています。
毎日の断食明けは、お祭りのよう。
人との交流も増えて、楽しいんですよ~。


断食月が終わった暁には、レバラン(断食明け祭)といって
日本でいうお正月と盆休みが一緒になったような長期休暇があります。
こちらではお正月はあっけないので
私にとっては、この断食月とレバランが1年の中でのメインイベント。
1年の区切りとしています。

で、この断食月にはやることがいっぱい。
浄化の月ですので、心身の浄化はもちろんですが
大掃除や、金銭の整理もすることにしています。

寄付に関しては、
毎年、年収の特定のパーセンテージの額をレバラン前に
近くのモスクや孤児院に寄付することにしています。
(ちなみにインドネシアには孤児院がいっぱい)

お金で、寄付するのは何となく嫌だったので、お米で寄付です。
お金の代わりに、お米の寄付も受け付けているんですよ。


モスクでは、断食月の最終日にこのお米を貧しい人達に
分けてくれるんです。一緒によいレバランを迎えたいですものね (^^)



そんな寄付の使い道でしたが、今年は、植林を取り入れることにしました。
リーディングを通して皆様から預かった大事なお金の1割を
どこに寄付しようかと考えていたちょうどその時に、
主人の大学院のディレクターさんが素敵な提案をしてくれたんです。

このディレクターさんは、自然が大好きで、
小さな大学院の敷地内に、たくさんの木や植物を植えています。
植えられている木も、珍しいものが多いんですよ。
その彼が、

「もしよかったら、木の苗を買って植えてくれないか?
 ぱぷりかが引っ越すときには、その木を持って帰ってくれても構わない。
 よかったら、考えてみてよ」
 
そのタイミングのよさに縁を感じました。
モスクだと宗教を気にする方もいるかと思ったので、
どこにしようか悩んでたところだったんですよ。
(新しく引っ越してきた先は、宗教が無関係の孤児院がどこにあるのか
 わからないんです~)

 
日本的に考えれば、大学院にも予算というのがあるのでしょうが、
そこはインドネシア(笑
造園の予算以上に庭を充実させたいのか、何だかわかりませんが(笑
そのディレクターさんが植物をこよなく愛しているのは前から知っていますし、
庭師さん達が毎朝、せっせと手入れしているの見ていますので、
きっと大切に育ててくれるだろう、と思いました。


職員さんも植物が大好きな人が多いので、
あれやこれやと相談して、

・ドゥク      (※1)
・マンゴスチン (※1)




ぱぷりか出張所-マンゴスチン

↑ マンゴスチンの苗 ↑


ぱぷりか出張所-ドゥク
 
↑ ドゥクの苗 ↑



2つの種類の木の苗を先月、植えてもらいました。
どちらも果物の木です。
(果物にしたのは、自分が食いしん坊だからです 笑)
あと、何本か足す予定です。


みなさんから頂いたお金が、木となり、実をつけ、
また人間や動物たちの口に戻る。。。
植えたのは苗なので、実がなるにはさらに何年か掛かると思います。
でも、その成長が楽しみです。


また、皆さんから預かったお金の寄付先は植林にしたのですが
個人的にも別件で寄付を行う予定です。
そのうちの1つが、これまたユニーク☆
その準備で忙しくなると思うので、模様をまたブログにアップしますね。


最後になりましたが、2008年後半~2009年前半、リーディングにご参加頂いた方々に
深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。


今日が皆様にとって、素晴らしき1日となりますように。
深く感謝します。



(※1)
ドゥクは、ライチによく似ている果物です。
見かけは、薄茶色ですが、ぱかっと皮を向いて中の身をちゅるると食べます。
水分を含み、酸味が効いていて美味しいんですよ~。


マンゴスチンは、果物の女王様と呼ばれています。皮がむちゃくちゃ固いのですが
中身の身は、とってもジューシー。
見かけはにんにくに似ているなーといつも思います(笑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%B3




このブログでは、ある領域は書かないようにしていたのですが、
前回の記事に続いて、少し続いてしまうかもしれません。
独り言に近いので、文体を変えますが、別に怒っているわけではありません (^^;


人それぞれ、精神的に不安定になったり、荒れたりする時期というのはあると思う。
私にもそういう時期があった。
感情を見境つかずに吐き出してしまった時期もあった。

ただ、感情にまかせてどれだけ正しいことを言っても、
クサいようだけれど、そこに相手への愛がなければ
正しいか正しくないかは、この世では問題ではなくなってしまう。

また、負の感情を投げている自分は気持ちがよくても
それを受け取る人というのは、精神的にも肉体的にも本当にしんどい思いをしている。
自分がそれらを投げている間は、自分しか目に入らないので
相手の気持ちを考えてあげることができなかった。
話を聞いてくれる人達に対し、
そのままの自分でいい、
今の自分が受け入れられているのだ、と勘違いして感情を吐き出して
裸の王様になっていったのだ。


だから、本当にしんどい時に側にいてくれた友人は、ほとんど側にいない。
一人、また一人と消えていくうちに、
やっと、自分はこのままではいけないんだと気付いた。
話を聞き、助けてくれようとする人達に、気付かぬうちに甘えていた。
自分を助けられるのは自分しかいない。
周りの人が離れて行ってくれたからこそ、
社会の基準、人間関係の基準を体で感じることができたのだ。
あのときの友人達には本当にありがとうと伝えたい。



また、時に、悩みや秘密、心に抱えている問題を話してくれる人が
側によってくることもあった。

そういうときは、私は、自分が話を聞いてもらって助かったので、
出来るだけ相手の話を聞いてあげたいと思う。


でも、長い間にそれではいけないことにも気付いた。
話を聞いてあげたいと思っても、それが慣れてくると、
言葉は悪いけれど、その状態の自分に、みんな酔っていくのだ。
で、尋ねてみると、「変わりたくない」らしい。
辛いけれど、その状態が心地よいんだと思う。

ところで、この相手に甘えてしまっているがために前に進めないのと、
現状から脱出したいのだが、そこで新しい一歩が出せないのは、
私の中で定義が変わる。

新しい一歩を踏み出したいけれど、踏み出せないでいる人は、
すでに自分が変わりたい、と覚悟を決めていている人。

相手に依存してしまっている人は、この状態から逃れたいけれど
自分が変わるのは嫌だ、という人。

あるときから、後者の人で馴れ合いになってしまった人には
心を鬼にして、愚痴、辛い話は聞かないことにした。

聞いても笑いにしてさっとスルーしてしまうか、
それとも、そのときに本人が期待している言葉ではなく、
私自身が正直に思ったことを伝えるようにしている。
そうすると本人は私に拒否されていると思ったりするようだけれど、
そうしないと先に進めない。


冷たいように聞こえるかもしれないけれど、
これは、私にとっても非常に勇気のある決断だった。
話をうんうんと聴いてあげれば、お互いの関係にひびが入ることはない。
私自身も、本当はそういう表面上の付き合いのほうがラクだ。
でも、あるときに、そうすることで生きやすくはなるけれど
誰とも人間関係を築いていることにはならないんではないか?と思い直すようになった。


そして、自分への約束として、
相手に対して愛が持てないと思ったら厳しいことは言わないように努力している。


正直、このやり方がよいのか悪いのかわからない。
でも、今の日本の社会を見ていると、
人と人との間に信頼関係が築けていない、
人と人との交流がない、
ちゃんと人と交わろうとする、
そんな人がいなくなってきている気がする。


自分の話を聞いてもらいたい、
自分を認めてもらいたい、受け止めてもらいたい、
という風潮が強い中で、
受け入れる側も、頑張ってそう振る舞おうとしている場面に出会ったりすると
不自然だな、と感じることがある。
そこに、本当にコミュニケーションは存在しているのかな?と不思議に思うことがある。



自分の意見を時に述べる。。。
ダメなことはダメと言える。
そういう関係を良しとしてくれる人は少ないから、
そういう交流が出来る人に出会うと、貴重だなーと心底感動する (^^;)


自分の考えを押し付けるのでもなく、
激情的に物を言う訳でもなく、
静かだけれども、相手を思いやり、築くことの出来る人間関係ってあると思うのだ。
そういう人間関係を、死ぬまでに誰かと築いていってみたいと思う。
その関係は、ものすごい宝となって、天に持って帰れるような気がする。


。。。と、ここまでつらつら書いてきたが、
本当は、自分はこんな偉そうなことを言える人間ではない。
だからこそ、ブログに書かないようにしていたのだが、
ちょっと思うところあり、書いてみた。
とりとめのない文章を最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。
素敵な夜をお過ごし下さい。