<5.他人のカルマを背負う必要はない>
私が試した「許すまでの5つのステップ」最終日。
これは、かなり難しいですね。
一言で言えば、「他人のカルマを背負う必要はない」
これは、確かチベットの高僧の教えだったと思います。
この言葉には、本当は注釈も何もいれないほうがいいのです。
。。。というのも、この言葉の意味を、
貴方が自然に理解できたときが、
ある程度落ち着くときかもしれないから。
。。。と言いつつ、私なりの解釈を付け加えておきます。
うまく言葉で説明できないので、語弊があると思いますが
いつか貴方なりに、この言葉の意味を
「体」で、理解する日が来ますように。。。
許そうと心に誓い、
その人と会わないときには、
その人の幸せを考えることが出来るようになる。。。
でも、顔を合わせたり、話をすると
傷つけ合ってしまう。。。
私は、自分の許したい人とこんなことの繰り返しでした。
たしかに、私達は、生まれる前に自分の課題を決め、
親を選んで生まれてきました。
しかし、その人との学びが終わったな、と思い
これ以上傷つけられたくない。。。と思ったときに
私は、自分がその人を一生懸命変えようとしていことに
気付きました。
もし、その人が私に、「何かを教えるためにしてくれている」ことを
オーバーしていた場合には、それはその人のカルマとなるわけです。
人は死んだときに、自分の一生を振り返り、
決めてきた課題を乗り越えられたかどうかを確かめ、
新たな課題を決めます。
そのときに、自分のしてきたことが本当にオーバーしていれば
それを反省するときが必ずくるのです。
そして、オーバーしていないとすれば、
それは自分自身が学ばなくてはならないこと。
本当はもっと様々な視点から捉えていますが
わかりやすく説明するため、一方的な視点で書いています。
なので、おそらく語弊はあるでしょう。
しかし大事なのは、その人のカルマを、
自分が背負う必要は全くないのです。
そして、自分もわかってもらいたいという気持ちを
相手に押し付けて、
不必要なカルマを作り出す必要はないわけです。
。。。正直、これはかなり難しいことを言っています。
このチベットの高僧の言葉を知ったのは、かなり前です。
そのときには、本当に理解出来ず、
この教えは心の中に眠っていました。
しかし、その言葉がふと、
何年か経って私の心の中に浮かんできました。
しかも、料理をしているときに(笑
その言葉が心の中に浮かんできたとき
私は、言葉の本当に意味することを
すんなりと受け入れられ理解出来ました。
そして、その瞬間に終わったなぁ。。。と思ったのです。
*********************************
貴方が学んでいる教えが、
あなたに本当に必要である場合、
いくら実践していても、時間を必要とする時があります。
貴方の中で、機が熟するのを待つわけです。
毎日実践出来る、1-4を試しながら、
ぜひ、最後の「他人のカルマを背負う必要はない」の
貴方なりの解釈、過程を得て下さい。
最後に、「許すこと」とは一生付き合って行くことになると
私は思っています。
一人を許せたからといって、終わりになるわけではない。
だから、気長に付き合っていきましょう。
そして1つ、自分にとって大きな許しを学ぶことは、
これからの道を歩んで行く上で、大きな何かを生み出しますよ。
貴方にたくさんの幸せが降り注ぎますように☆彡
感謝です
ぱぷりか
追伸:この記事は、予約投稿です。
出張中のため、頂いたメッセージ、コメントへのお返事は当分遅れます。
ご了承下さい。
私が試した「許すまでの5つのステップ」最終日。
これは、かなり難しいですね。
一言で言えば、「他人のカルマを背負う必要はない」
これは、確かチベットの高僧の教えだったと思います。
この言葉には、本当は注釈も何もいれないほうがいいのです。
。。。というのも、この言葉の意味を、
貴方が自然に理解できたときが、
ある程度落ち着くときかもしれないから。
。。。と言いつつ、私なりの解釈を付け加えておきます。
うまく言葉で説明できないので、語弊があると思いますが
いつか貴方なりに、この言葉の意味を
「体」で、理解する日が来ますように。。。
許そうと心に誓い、
その人と会わないときには、
その人の幸せを考えることが出来るようになる。。。
でも、顔を合わせたり、話をすると
傷つけ合ってしまう。。。
私は、自分の許したい人とこんなことの繰り返しでした。
たしかに、私達は、生まれる前に自分の課題を決め、
親を選んで生まれてきました。
しかし、その人との学びが終わったな、と思い
これ以上傷つけられたくない。。。と思ったときに
私は、自分がその人を一生懸命変えようとしていことに
気付きました。
もし、その人が私に、「何かを教えるためにしてくれている」ことを
オーバーしていた場合には、それはその人のカルマとなるわけです。
人は死んだときに、自分の一生を振り返り、
決めてきた課題を乗り越えられたかどうかを確かめ、
新たな課題を決めます。
そのときに、自分のしてきたことが本当にオーバーしていれば
それを反省するときが必ずくるのです。
そして、オーバーしていないとすれば、
それは自分自身が学ばなくてはならないこと。
本当はもっと様々な視点から捉えていますが
わかりやすく説明するため、一方的な視点で書いています。
なので、おそらく語弊はあるでしょう。
しかし大事なのは、その人のカルマを、
自分が背負う必要は全くないのです。
そして、自分もわかってもらいたいという気持ちを
相手に押し付けて、
不必要なカルマを作り出す必要はないわけです。
。。。正直、これはかなり難しいことを言っています。
このチベットの高僧の言葉を知ったのは、かなり前です。
そのときには、本当に理解出来ず、
この教えは心の中に眠っていました。
しかし、その言葉がふと、
何年か経って私の心の中に浮かんできました。
しかも、料理をしているときに(笑
その言葉が心の中に浮かんできたとき
私は、言葉の本当に意味することを
すんなりと受け入れられ理解出来ました。
そして、その瞬間に終わったなぁ。。。と思ったのです。
*********************************
貴方が学んでいる教えが、
あなたに本当に必要である場合、
いくら実践していても、時間を必要とする時があります。
貴方の中で、機が熟するのを待つわけです。
毎日実践出来る、1-4を試しながら、
ぜひ、最後の「他人のカルマを背負う必要はない」の
貴方なりの解釈、過程を得て下さい。
最後に、「許すこと」とは一生付き合って行くことになると
私は思っています。
一人を許せたからといって、終わりになるわけではない。
だから、気長に付き合っていきましょう。
そして1つ、自分にとって大きな許しを学ぶことは、
これからの道を歩んで行く上で、大きな何かを生み出しますよ。
貴方にたくさんの幸せが降り注ぎますように☆彡
感謝です
ぱぷりか
追伸:この記事は、予約投稿です。
出張中のため、頂いたメッセージ、コメントへのお返事は当分遅れます。
ご了承下さい。