私の物語は
建交労
(全日本建設交運一般労働組合)
広島県本部
ここに専従として就職するところから始まります
就職活動から日本共産党へ
30歳を過ぎて失業し、仕事探しに苦労していました。
困っている労働者のために働きたいと思って、その道の弁護士に相談しました。
その際、仕事を紹介する条件として「日本共産党への入党」を突きつけられました。
「労働組合の活動家なんてほとんどが日本共産党員だぞ」
弁護士は言いました。
私の親は日本共産党員でしたから(そのときは知りませんでした)私はいわゆる「二世」です。
子育ての過程で日本共産党への親和性を植え付けられています。
仕事を得るため、背に腹は代えられませんから、何も考えず即入党しました。
この1枚の紙切れが、その後の人生を大きく狂わすなど、そのときは思いもしませんでした。
労働組合への入口
その弁護士の紹介で、建交労(全日本建設交運一般労働組合)広島県本部書記長と会い、専従として雇用されることになりました。
労働組合との労働契約
そのときの労働契約書(案)です
これはのちに労働審判になったときの正式な書類です。ですので「甲第2号証」と明記してあります。
赤線部分をよく見てください。
まず目に付く、「残業代は支給しません」の文字。
これだけでは違法ではないんです。実際に支払われなかったら違法ですが、労働契約書に書き込むだけでは違法ではありません。
しかし、労働組合が作る労働契約書(案)ではありませんよね。
次に「労災保険に加入します」とありますが、労働保険に加入したのはこれから3年半後です。
何度も何度も加入を懇願しました。
しかし書記長は「なんで加入しないといけないんだ!」と拒絶し続けました。
これが労働組合です。
代休取得についても、一切認められていませんでした。いちど、土日出張があったので「連休が欲しい」と申し出ましたが、「なんで連休がいるんだ!」と恫喝されました。
この紙切れは、所詮「(案)」です。
実際は労働契約書を締結することなく働きました。
今日はまずさわりの部分だけ。
このような話を、このブログでは思いつくままに語っていこうと思います。