「瞑想が出来ない。苦手。」

たまに聞こえるので私は、

「瞑想が出来ている人はいない。できている、分かっている振りをしている人ばかりなので気にする必要はなし」

と答えますが、その理由。

 

私のこれまでの瞑想体験とその追及からの内容なので、私しか書けない内容ですが届く人には届くと思うので、ご参考に!



眠くなって気持ちよくなっているか、ぼけーっとしているのが世間では瞑想ということになってますが、

本当は、本当の自分の自覚を深めるのが本当の瞑想というのが、これまでの私の追及結果で、知識的にも本当の自分が何なのか知らない人がほとんどなので、本当の瞑想は不可能なはずです。

理論的には、本当の瞑想が誰か一人でも出来れば、いわゆる悟りで宇宙が消滅することになるので、まだ宇宙はあるので誰も成功してないとみています。相対世界に出てきた意識が絶対世界に戻ったことはかつてないという意味です。(ブ〇〇、イ〇〇とか過去の有名人から無名な聖者まで含む)

もちろん自覚の程度は何パーセントですか、何十パーセントですかとピンからキリまでなので、瞑想できていないレベルはありますし、その深めている度合いの高い経験を元に話していていると思われる人もいましたが、今のところ私は2人しか知らないです。

(過去や他にもいるはずですが、本人が言っていても伝える人が理解できないと残らないので、見つけたり出会うのは難しい。)

さて、一般的には難しい話ですが、意識はいろんな裏付けから一つしかない、一つでないと説明できない、ありえないと分かってきます。

一つであるという前提から話を進めると、例えばヨガ哲学で言うプルシャ、プリクラクティのように意識するもの、意識されるものに分けないと意識、認識するということが出来ないのが意識なので、認識できるということは、その認識の対象物も自分なので、砂粒一つであろうと認識するものは全部、同じ私がその中にいることになります。

 

一般的には、自分の自?と分ける?って何?すら疑問にせず使ってますし、私がいなくても貴方はいるだろうと思うかもしれませんが、とんでもないです。あなたを存在させているのは私の認識だし、私を存在させているのはあなたの認識です。

それが一つの意識の中に自分、他の自分を存在させる、他人がいると認識させる仕掛けです。

 

(ただ、意識は形がないので話は混乱しがちで、個に分けた意識にも全体が含まれるので、イメージ的には風船から出た複数の突起の中にも風船の全体の空気はつながってますが、外から見れば風船の突起は個で、でも内から見れば全体の空気を共有な感じでしょうか)

もし、一方的に誰かの認識だけがあるなら、表だけの雑巾があると言っているようなものではないでしょうか。
必ず、表と裏は同時に発生しているので、自分が認識するということは同時に認識される自分がいます。

なので一つの意識を誰かが止めることができたなら、意識全体が消えるし、実は宇宙全体も意識で出来ているので全て消滅することになります。

 

繰り返しますが、意識が一つでないなら、誰かや周囲の物も何も認識できないです。


自分がいると誰でも感じているかと思いますが、意識は一つなので他の人が感じているのと全く同じとなります。

 

さて、さらに意識について踏み込みますと、
身体も自分の想念で作っていて、宇宙が一つの意識で出来ているのは、私は瞑想中に体験してしまったことで、私以外の70億人が反対しようが、そうなんだから仕方ないとしか言えませんが、その話は後でします。

無の境地になりましたとか、たまに嘘が聞こえますが、無の境地って思っている時点で無でないです。本当にそうなら何も分からなくなり、その人は消えてしまうはずです。(身体の物質的な周波数を上げて見えなくなるなどの仙人の話とは同じ消えるでも違います)

本当の自分を自覚して瞑想するとは完全に主観的な世界なので人に教えることは不可能で、本当の瞑想、つまり自覚とは教えられませんし、瞑想を教えるなんて言ったらダメで、だったら坊さん、瞑想の先生にケンカを売るのかとなりますが、世間一般的な瞑想でも大きな意味があり、日常から人生レベルまで変わるので、それはそれで大事だと思います。

なぜなら、想念の使い方が目の前に現れる全現象の全てを決めているからです。

雑念を抑えて集中力を高めたり、リラックス、疲労回復のような短期的な効果はすぐ出るのは言うまでもないです。

一日中、「ありがとう」とか、「南無」とか言っているだけでご利益があるのは本当で、それは悪想念を出すのを妨害することができるという理由からです。

意識は一つなので、同時に複数のことを考えたり意識を向けることはできないです。

 

何かをしながら考えることが出来るので脳は複数考えることができると脳科学者が言ったりしますが、1週間でも真面目に座禅でもして、想念を追いかけて観察するだけで分かります。 かなり速く想念を順番に一個一個流しているだけで、同時に複数に意識していないことはハッキリ明確に観察できます。

実は、日常から人生まで全て各自の想念が100%全てを創ってきたのは振り返れば、そうかも?と心当たりあるかと思います。

とは言っても、普通は、それは少ししか影響しないと教育、洗脳されたり思わされているので、嘘だろうと思ってしまいますし、

実際、過労な仕事、疲れる休暇と一日中、忙しく想念が分散するように社会システムが作られているので、余程、思いを強くしないと想念の力も発揮できない場合が多かったかと思います。

 

しかし、実は想念は無限で、宇宙を創ったものと同じ力が持たされているようです。

(体験的に見たので間違いないのですが、まだ私も自分の人生以外の創造力は行使できていませんので、ようですと言ってます。天気くらいはよく変えている感じがしますが(笑))

不安、心配、恐怖、怒りなどネガティブなことは強いので、チラチラ思っただけでも起こりますし、思い込みの激しい人、思いの強い人はお金でも権力でも何でも自分の想念の力を強くして実現させただけです。

 

このあたり自己啓発とか信仰でとかいろいろテクニックはあるので、興味のある方は確かにという感じかと思います。

 

マスコミのニュース、テレビドラマ、映画などネガティブにあふれているのも意図的で、そちらに想念エネルギーを使わせて、ネガティブなことを実現させて苦労させて夢を持たないよう、無力感を植え付けるように一生仕向けるられたままで、ほとんどの人がその目的や意図には気づかないようです。

 

世の中の国際資本家、政府、グローバル企業などの支配者側からみれば、各自、本当の自分の力を知って、想念を自由に使って自由にポジティブに幸せに生きられたら、支配、管理、搾取、奴隷化できませんから当然ですよね。

 

(本当は、お金も必要なく、好きな仕事を好きな時間だけやっているだけでも世の中は回るようです)

探せば沢山ありますが一つの例: 

 

 

 

ただ、同じ意識とはいっても通常の顕在意識の脳波のように数十ヘルツの周波数から宇宙創造レベルの数兆数千億ヘルツの周波数の意識の違いはありますので、何かを創造するには思いが強いだけでなく、どうイメージできるか、知らないものは作ろうとすら思わないので、どのくらいの理解力があるか、集中力やどう意識の周波数を上げるかなどの問題はありますが、何でも想念で作れるのは間違いないです。

私は意識を止めてやろうと凄まじい集中力を作ったために、いろいろ体験してしまったのですが、

信じられないというのでしたらやってみてたら分かりますので、試された後であれば苦情は受け付けます(笑)。

ま、私は朝から晩まで一日、10時間を超える集中瞑想やっていた時期がありますが、同じ意識ですから誰でも可能なはずです。

 

ただ、外側の何かに集中すると変なものが見えだしたりして、下手すれば精神病院行きになりますので、集中瞑想はサポートがあった方がいいかもしれません。集中する対象は自分の内側の本当の自分に対してでないと危険と聞いたことありますが、そうだと思います。

 

私も一時期、歩いていて黒い獣が私の周囲をうろついたり、寝ているとき、ギラギラした気持ち悪い光沢の世界にいる夢を頻繁に見たりして、変なところにつながっているなと集中瞑想を中断したことがあります。

体験についてですが、集中状態にいる瞑想中に蚊に刺されたのですが、その過程がものすごい微小時間レベルで見えました。

 

危険が迫った時やスポーツ選手がゾーンに入った時にスローモーションで見えたと言われる体験と似ているかもしれませんが、ただ超ウルトラスーパーなスローモーションでそれを目でなく意識の目で見たという感じです。

 

蚊に刺された刺激からスタートでしたが、身体ももちろん空間すらないところから、スタートして、人間とはこういうものであるという、概念モデルから設計の意図とか形とか始まり、原子、細胞と一個一個段階を追って作って体の全体図が出来たところで、ここを刺されたことにしようと決めて蚊を作り配置して、体が完成したら蚊が刺している状態が認識という感じでした。

 

身体があって蚊が刺しているのでなく、外からの刺激で体を作って具体的な蚊がさす体験の内容を決めていると、本当は体が感じてから意識でなく、意識から体と順番が逆で、実際は3Dのパラパラ漫画のように体を作ったり消したり、意識が全て自作自演、企画制作やっていたのは驚きでした。

 

物質の消滅は光の速さで制限されてますが、それを見ている、あの時の意識ってどれだけ光より速く、実際は意識は裏で動いているのかと動かぬ自分の体験でした。


初期仏教の経典、アビダルマには意識は雷の認識を追いかけたら光の17倍の速さでしたと書いてありますが、意識の本当の速さは地球の光の速さどころではないのは私には確信どころか、そうでしかないと体験でした。

ということで、光速で制限される物質は意識の創造の結果なので、結果が原因の意識をコントロールするのは不可能で、つまり体があろうとなかろうと意識は影響されず止めることなどできないと体験で見せられてしまいました。

 

意識が体と次元の違うものなら、意識の存続は体とは関係なく、いわゆる死はないとなりますし、

 

つまり本当の私は意識であり、体でないと確定でした。 (自動車で言えば、運転手が意識で、車が体というだけ)

 

死ぬ気で瞑想して集中力を限界まで上げたのは、意識を止めたかったからですが、止めることは不可能と確定したのは、とてもガッカリでした。

 

さらに追求すると、意識が止められるなら宇宙を消せることになるので、それは無理だと理論的にも諦めることになりましたが。。。

 

私と似た体験をした人がいないか調べたら
ある坊さんは、集中状態では、壁やベッドが波打っていて怖くて横になれないと言ってましたが、その通りで数十ヘルツの意識では固定に見えても実はかなり不確定でどれも凄まじい速度で消滅を繰り返し振動して揺れていますね。だからエネルギーは流れ続けて宇宙は存続しているのかと。


あと、別の瞑想体験では、
五感を使わないで幸せを感じたことがあります。

 

そんなこと想像すらできないと思う人が殆どかもしれませんが、

ある時、五感が抜け落ちて、自分が人間だと言う感覚が消えてしまい、なぜか無限に広がっていると分かっている空間があるだけの中に落ち込んで、その中から戻ってきた直後に、すごい幸せがどかーっと洪水のように押し寄せてきました。

 

理由は分からないけど、ただただ幸せの至福感に三日三晩、寝ても覚めても幸せいっぱいが続きましたが、それは五感で感じるこれまでと話にならない比較にならない感じで例えれば、五感や、これが叶うと幸せとか条件付きの経験したり想像できる幸せの数万倍という感じでした。 ま、体は物質で光の速度で制限されている有限なものですから、体の感覚器で感じる幸せなど大したことないのは当然かと。

ある禅宗の開祖は、心身脱落とか言ってますが、この体が脱落してなくなった状態で感じる幸せがサマディと言っているのかと思いましたね。

 

ただ、その当時には何も知らなかったので、これで上がり?と喜びましたが、その後は収まって日常に戻りましたので、どんな幸せでも飽きるものが意識の特性のようで、また次のバージョンアップしたロングバージョンのサマディは来るかもしれませんが、また飽きるはずで、以来、サマディに関しては興味が落ちました(笑)


どんなに絶対零度でも物質は全て振動している、揺らいでいるとは、そんなこと科学的にあり得ないというかもしれません。

でも、円を描いたら決まった固定の長さが見えると言いますが、じゃあ、円周=直径×円周率の円周率は何故3.14・・・・・無限に続くのでしょうか。 円周率が定数でないなら、固定長に見えても固定でないですよね。直線でもナノ、ピコ、フェムトと単位を無限にミクロに見ていけば永遠に長さは確定しませんし。

かなりの集中力がいりますが、意識の周波数を上げれば誰でも見れると思いますので、信じないと言う人は試してみてはと思います。

 

価値観が関わりますよ。特に意識が止まらないもので、全て自分の意識で作っていると動かぬ体験してしまうと世界観が変わりますし。

 

私以外の70億人が反対しようが、そうなんだから仕方ないというようなものを持っている人はどのくらいいるのですかね。

その話から言えるのは、いわゆる認識している現実とは夢、幻であって実在はしていないです。体ですら3Dのパラパラ漫画のように消えたり現れたりしています。

 

身体は想念で作っているから、心臓を止まられるとかいう行者がいても、物質的な食事しなくても生きていられる行者がいても、信仰で難病を完治出来る人がいても不思議ではないですね。

 

だったらヨガが日常的な私には、ヨガをやるのに快適な柔軟な体に変えてほしいですが、意味あって、必要あって自分が許さないのでしょうけど(笑)

 

現実と思っている現実は想念が作っているとなれば、夢、幻と同じで、寝ている夢と起きている夢の違いだけで、夢は夢で、体は意識とは別なので、本当はゲームのように気楽で良いが真実となりますが、苦しみにはまってしまうと、そう思えないのが難しいところですね。

 

ただこの文明、この時代は、これを悪用され続けていることに気づいていない人が多すぎる感じがします。

権力者、支配者の好き放題に出来る時代は、もう続かないようですが、まだまだ567状況に目を覚ます人は少ないようですね。 

 

身体だけでなく、心も中立にして客観的に静かに情報(感情を報いる)を外してみると、分かりやすい茶番だらけですが・・・

ところで、これは当たり前の話ですが、

人の夢の中には入ることも出来ないし、勝手に外から入ってくることもないですが、

 

寝ている夢の例で考えると、
寝る前に怖いホラー映画などを見せると、当然、怖い夢を見ます。

これと同じトリックで他人の夢を支配しようとする連中に子供の時なら長年、私たちの想念は悪用されてきたのを調べると、感心するほど溢れています。

私たちに力がないので力のある正義の人に助けてもらわないといけないと洗脳する子供の時のヒーローもののテレビ、映画や漫画から始まって服従しろの教育をどこに所属しても権威者は牛耳ってますし。

年長者、政治家、頭のいい人、金持ち、権威者、特別な有名人に従え、疑うな、考えるなとそれを流し続けるマスコミ。

そして神など生かしてくれる畏れ多く、感謝して、従わないと罰を受けるという洗脳を行う神社、寺、教会などの宗教の大嘘なシステム。

自分の夢は自分で企画制作しているだけなので、自分で作らなければ、いわゆる作られた偽神などいませんし。

 

あるのは意識という私の実在が偏在しているだけ。

寝ているときの見る夢で考えると分かりやすいと思いますが、誰かは存在させても、ただの俳優であり、演じているのは私自身でないでしょうか。認識できるのは、認識される私がセットでいるからで、認識しているときはそれは私です。姿形は違いますが。

何かに従わないといけない、動かせないものが自分の外の世界にあるかのように
子供の時の教育から年中、マスコミなどから刷り込まれ続けて、信じ込んでしまっているだけで、実は寝る前に魅せられているホラー映画のように、偽の設定を夢見るように騙されているだけです。

 

そうやって奴隷にされてピラミッドの頂点にいる連中から搾取される夢を自分の自由意志で見てしまっているのに、疑いもなくなっているのが現状。

ですが、感覚を鋭くしてよくよくみると、この社会システム、実にハリボテばかりでボロばかり見えます。

 

実際のあるのでなく、騙して各自の思考システムの中に作った幻なので当然ですが。

ま、そうやって騙されて苦労するのも意味があって必要あってのことで、全ての経験は良いことですが。
 

このあたりの説明で映画「マトリックス」を出す人がいますが、
あれは、権威者、管理者に逆らえないと暗に洗脳してますので、私はどうかと思ってます。

同じ地球の時空を共有しているので各自の夢は独立していても他人の姿は見えます。

が、各自の夢は独立しているので想念次第でどうにでも世界は変わるのは、あの映画から説明は難しいかと思います。

あまりにも意識レベル、周波数が違うとすれ違って関われず認識できないのは、意識が波動で出来ている特性でよくできているなと思います



歩いていて石ころは見えていても意識に上がらないのと同じで、例えば567ゲームに参加しない人がマスク警察の前にマスクせずに立っていても、ただの背景にしか見えずに意識に上がらないような感じで、見えていても存在していないのと同じです。

何かをコラボするには、意識する、されるペアのように同じ意識の周波数が合わないと出来ないので、類は友を呼ぶ同じレベルでないと何も出来ないです。

だから、例えば警察と泥棒、やくざは同じ意識レベルになっているから仕事ができるわけで、意識レベルが合わないと会ったり意識することすらできないはずです。

追突事故でも事件でもウ〇〇〇でも災害でも全て自分が自分の夢に連れてきた原因の結果であって、他人が原因で起きていることは一つもないという意味はこういう仕組みかと。

本当の自分と現実と思っている幻の正体、トリックが分かってくると、自分に起こることは100%自分の選択が原因と分かるので、選ぶ夢の世界も変わり、誰かのせいにしたい幼いグループの夢からは消えてしまうという感じかと思います。

瞑想で、想念をコントロールするというのは一般的には難しいですが、

一般の瞑想の目的としては、悪想念や洗脳ゲームに乗らないために、災いを自分の前に現象化させるのを妨害させる目的としては有効なので、本当の瞑想は出来ていなくても、少しでも悪想念を減らせば、感情的になるような現象も減ってくるかと思います。

 

自覚というのは、そのものに心の底からなることですから、かなり難しい求道の道かと思います。

 

私も瞑想体験から自覚が少しは深まって、まあ、幻だからと、心配、恐怖、悩みも減り、激怒もなくなりましたが、でも、ムッとくることはまだまだ体験することは多いですし、本当の自分が心の底に落ちる瞑想は難しいという日々です。




ということで、割と衝撃的なことをさらりと言ってます。

 

これらは私の体験からの話で、どこかに書いてあったとか誰かが言ったのを信じているのでなく、そうだったのだから、そうなのだから、そうなんですとの話です。
 

誰でも求めていれば、そのうち体験するのではと思います。

 

自然に癒されに行くのはよいですが、拝みたくなったらいちいち神社に行かなくても自分を拝んでおけばいいし、本やネットに頼らなくても必要なことは自分に聞けばよいのでは?とか、567ですら想念次第とか、瞑想に何の関係があるのかとなるのが9割以上の人かと思います。

 

私のような体験したような人は、本当の自分に意識が向きますので、外側の幻への関心が減り、それほど情報発信する関心も減っていくので、どのくらい他にもいるのか分かりませんが、人知れず、そこらへんに隠れているかもですよ(笑)


真を伝える、私の体験が参考になったり、役立つ人もいれば幸いです。