第四十一話   「千代の折り紙」

 

 

第四十一話ゲスト

織田 千代 (おりた ちよ)

 

87歳。東京の下町に住み、生活保護を受けている独居老人。夫と30年前に死に別れて以来、身寄りもなく天涯孤独な人生を送ってきたが、昔から得意だった折り紙が注目され、その才能が突然世に知れ渡る事になる。

 

 

第四十一話あらすじ

 

織田千代は東京の下町の安普請のアパートで、長年ひとり孤独に暮らしている。夫とは駆け落ち同然だったので親戚とも疎遠で、子供もなかったが、夫が生きている頃はつましいひっそりとした生活ではあったが、それなりの幸せな夫婦生活を送っていた。40年前に夫を病気で亡くしてからは、細々とパートの仕事をいくつも転々としながら生きて来た。夫は長く患って晩年はほとんど働けず、夫の治療や療養費で貯金はほぼ尽きてしまい、独り身になってからは長らく生活保護を受けている。

 足が悪くなってからは週に一度か二度、杖を突きながら近くのスーパーにカートを引きずって行き、半額の総菜を少しだけ買って帰って来る。この令和の時代に千代はテレビも携帯電話も持たず、もっぱら一日中携帯ラジオを聴きながら過ごしている。ただ、子供の頃から何故か得意だった折り紙だけは、ボケ防止になるだろうと、ずっと続けている。鶴や兜のような定番の折り紙だけでなく、誰かに公表する事はなったものの、千代が自分で考案した折り方が100種類以上もあり、ラジオを聴きながら一日のほどんどの時間、手先を動かしては紙を折っていた。たまに新しい折り方を発見してレパートリーが増えるのだけが、千代の人生の唯一の楽しみといっても良かった。

 

 ある日、スーパーからの帰り道、家までの途中にある古びたお寺の千代は境内にふと入った。お寺の境内には誰もおらず、ささやかな願い事のお参りをした後、境内にあったベンチに腰掛けると、スーパーの文房具コーナーで買った小さな折り紙セットを取り出した。かなり小さめの紙を取り出すと、またいつものように、ひとつひとつ「ありがとう」の祈りを込めて、「あやめ」や「いちょう」や「つばき」、そして最後に定番の「鶴」を折った。

 その時、いつからいたのだろうか、折り紙を折る千代の手元をすぐそばで興味深く見つめている女の子、アンジュに気づいた。少し離れたところで、黒い帽子とコートの紳士が、微笑みながら千代と女の子を見つめている。千代は折った三つの折り紙を「お嬢ちゃんにあげようかね。」と言って、「鶴」の折り紙をアンジュに手渡した。アンジュは嬉しそうに「鶴」を大事そうに受け取って、紳士の元に駆け寄っていった。

 紳士はアンジュと一緒に、千代のところへ寄ってくると言った。

「あなたの折り紙には、まだあなた自身も気づいていない、素晴らしい力があるようですよ。」

 アンジュも横でニコニコしている。そして、境内のベンチでぽかんとしている千代を残し、ふたりはどこかへと去って行った。

 

 千代の折り紙の折り方は、少し人と変わっていた。千代は折り紙を折る時は、いつもひとつひとつの折り紙に、ひたすら「ありがとう」の思いと祈りを込めながら折る事にしていた。千代にとっては、折り紙を折るのは、ある意味日々生きている事、生かされている事への感謝の祈りに等しかった。何か特定の事を思うというよりも、ただただ「ありがとう」の言葉と思いを込めながら、ひたすら丁寧に丁寧に指を動かした。それは自分自身へのご利益というよりも、すべての生きとし生けるもの、目に映るすべてのもの、そして目には見えない何か大切なものへの感謝だった。そうやって折られた折り紙は、千代の純粋な感謝の思いが転写されていた。ただ無造作に折られた折り紙と違い、誰かがそれをもらうと、もらった人の心が慰められ、静かに癒され、傷ついた人が笑顔を取り戻せるような、そんな不思議なエネルギーを持っていたのだ。

 

 次の日、千代は同じ境内のベンチで、買い物帰りにいくつかの折り紙を折った。帰りがけに、いつも前を通る保育園があり、その前でふと足を止めた。たまたま外に出て来た若い女性のスタッフに、「子供達へどうぞ」といっていくつかの折り紙を手渡した。

 数日後に同じ場所を通りかかると、同じ女性スタッフが千代を見つけて声をかけた。「子供たちが折り紙をもらって、とても喜んだんですよ。ありがとうございました。」

 その後千代は買い物の帰りにいくつか折り紙を折っては、その保育園に持って行った。ある時、またいくつか折り紙を持っていくと、女性スタッフがいつものようにお礼を言った後、こう続けた。「あの、よかったら、今度子供たちに折り紙を教えてくださいませんか?」

 千代は月に数回、子供たちに囲まれて、折り紙を教えるようになった。勿論「ありがとう」の祈りを込めて折る事も忘れずに、と教えながら。

 

 千代の部屋には、今までに折った膨大な量の折り紙があったが、買い物の都度にそれも持ち出して、近隣の老人ホームや保育園に持っていた。老人ホームからも、是非折り紙を教えてほしいと依頼され、千代は毎週のように通うようになった。家にあった折り紙の完成品がほとんどなくなるまで、千代は老人ホームや保育園に持っていってはプレゼントした。自分の折った折り紙が楽し気に色々な場所へと旅立っていくようで、千代はなぜか淋しさは感じず、逆にどこか嬉しさを感じていた。

 今では千代の家にある折り紙は、夫の仏壇の夫の写真の前にいくつかあるだけになった。その代わりに折り紙を通じて、千代は同世代の老人達や可愛い子供たちに、月に何度も囲まれるようになったのだ。

 

 そのうち、場所を貸すから折り紙教室を開いてほしい、という人まで現れた。千代が折り紙教室を開くと、あの折り紙教室に行くと不思議にすごく癒される、という噂が伝わっていった。そして心を病んだ子供を連れた母親や、自殺願望を持った女性や、鬱病を患った青年が、次々と千代を訪ねてくるようになった。そんな時は千代は個別に応対する時間をとって、ただ一緒に静かに折り紙を折った。「ありがとう」の祈りをこめながら。そして折り紙が折りあがった時は、心を病んだ子供も、自殺願望を持った女性も、鬱病を患った青年も、皆が笑顔になって帰って行った。

 

 今はもう千代は天涯孤独ではない。千代は、今でも相変わらず下町の安下宿に住み、携帯ラジオを聴きながら折り紙を折っている。以前と違うのは、今では生活保護からも脱却し、折り紙教室やイベントの手当で細々とではあるが、自立の生活が出来ている事だ。そして週の何日かは若いボランティアたちに車で迎えに来てもらい、身体に無理がない範囲で折り紙の伝道者としての活動をし、色々な世代の多くの人達に囲まれて過ごすことが多くなった。

そして日々出会う人達と皆で「ありがとう」の思いを込め、祈りを分かち合いながら折り紙を折るひとときが、千代にとっては至福の時間になっている。

 

 そんなある日、いつものように買い物帰りに寺の境内のベンチに座って折り紙を折っていると、ふとそばにあの紳士と女子が微笑みながら立っているの気付いた。

 「あらまぁ、ずっと会いたかったんですよ。あなた達にね。」

 アンジュが微笑んで千代の傍に寄って来る。千代は小さな赤い折り紙を出して、アンジュに鶴の折り方を教えた後、言った。

「またここでいつかお会いできますか?」

紳士が答える。

「私達はただの通りすがりの者です。時の流れが必要とするのなら、またお会いできるかも知れません。それがいつ、どこなのかは、わかりません。今はあなた方にも、私達にも。」

そして二人はにこやかに会釈をすると、どこかへと歩き去って行った。

 

 千代は今でも時々、あの寺の境内で自分の折った鶴を受けとった女子の小さな手と、そばにいた黒い帽子とコートの紳士の穏やかな微笑みを思い出す。その二人の事を思い出す度、今の穏やかながらも時々人々に囲まれる生活を運んできてくれた、春のそよ風の化身のように思えるのだった。

 

 黒い帽子とコートの紳士とアンジュが、他には誰もいないどこかの広い河のほとりに立っている。アンジュは千代に貰った赤い鶴の折り紙を、大切そうに掌に載せている。

アンジュがふっと折り紙の鶴に息を吹きかけると、次の瞬間、折り紙の鶴が突然本物の鶴に代わり、羽根を広げて空に羽ばたいて行く。鶴は一通り空を飛んだ後、アンジュの前に戻って来る。そして次の瞬間、アンジュの掌の上に小さな折り紙に姿で戻っている。隣では紳士が穏やかに微笑んで、アンジュと鶴をしばらく見つめている。

そして二人はどこかへと静かに歩き去って行った。