おはようございます。本日お読み頂きありがとうございます。
さて、働き方改革という言葉は、とても一般的になって久しいですが、本当の意味での働き方改革が進んでいるかと言えば、はてなマーク(?)が沢山浮かんできます。
私が、働き方改革の言葉を知ったのは、今から10年くらい前の金融機関時代でした。そこ頃の銀行マンの働き方は、長時間労働が当たり前で、サービス残業が花盛りでした。まだ、生産性という言葉は一般的ではなく、誤った認識の成果主義がはびこり、ノルマ地獄でした。
そんな中での「働き方を改革して生産性を上げる」という当時の経営層のスローガンは、正しく理解されず、単に時間外を減らす口実だと受け取っていました。
しかし、現在では、働き方改革が国力を高める為に重症な施策であることが叫ばれています。それは何故なのでしょうか。私なりの解釈を述べます。
その昔は、「仕事は命令されて行うもの」と相場が決まっていました。命令する者が「ボス」であり、部下は言われるがままに仕事をこなします。仕事には、過大なノルマを課されて、精神的に追い詰められながらの仕事です。生産性なんて考える暇もありません。
とにかく沢山売り上げろ!利益を確保せよ!
とにかく目標数を製造しろ!不良品を作るな!
このような事だけ要求され、精神的に疲弊し、自分の頭で考える事は出来ず、ひたすらマシーンになろうとしました。このような、チャーリーチャップリンの「モダンタイムス」の世界観がつい最近まで続いて来たのです。
しかし、社会が成熟し始めた事から、モーレツ型の社員の成績が伸びなくなってきたことが明白になりつつありました。なにより、サラリーマンが「時間の切り売りで生活している」と知ってしまった社員は、どうすれば自分の時間を高く買い取ってもらうかに腐心し始めます。社内で時間を高く買ってもらうには、昇進しかありません。よって、過酷な社内の出世競争が始まりました。
P.F.ドラッカーは言います。「成果は外にのみ存在し、内にあるのはコストだけである」と。つまり、働く者が、経済的な豊かさを求めるために追求した組織内での抗争は、コスト高を助長するだけで、成果を上げられない組織となり、国際競争力を失いました。これが、昭和の終り頃から、平成の時代まで続きました。その結果、日本の国力はトップクラスから35位まで転落してしまったのです。
ここで、もう一度、「働き方改革」の中身を考えてみると、働き方改革の目的は、個人の生産性を高める事だと分かります。社会は、社会が求める成果を、個人がスキルや知識を活かして、どれだけ効率的に提供できるかを求めているのです。
その求められるスキルや知識は、従来のように自分の職場内には存在しません。新しい知識は、外に求めなければ得られないのです。
だから、これからのビジネスパーソンは、学ばなければいけません。学ぶには時間が必要です。だから、時間の切り売りから脱却して、自分自身に投資して、自らが生む成果の価値を上げなければならないのです。その道程が「働き方改革」なのです。
その連鎖を先進的な企業や国が後押ししようとしています。その流れに乗らなければ、いつまでも、時間の切り売りを行うサラリーマンの地位から脱却できません。生産性が低く、価値を生まない人の時間単価は上がりません。だから、時給×働く時間=収入が増えないのです。つまり、働き方改革を行わない人が収入を増やすための唯一の方法は、働く時間を延ばすことしかないのです。
これから、日本も人口が減っていきます。その減少分を補うのは、国民一人一人の生産性向上しかありません。そして、企業も、生産性の高い人材を求めています。
時間を有効に活用して、創造した自由な時間を自分自身に投資して成長する事が、自分の為でもあり、社会の為でもあります。
終
