年越しまで残すところ10日を切りました。
暖冬の影響か、暮れ押し迫る感じはしないけれど、冬至と聴くと思い出すのは、子供の頃の銭湯の柚湯です。
商店街の真ん中あたりに梅の湯という名の家族経営の銭湯があった。
梅の湯は昔ながらの天井の高い宮造りで、幼い記憶に三助の姿も残っている。
三助とは…Wikipedia引用
三助(さんすけ)とは、江戸時代中頃から現代における日本の銭湯で働いていた、男性労働者。釜焚きや下足番、また男湯・女湯で入浴客の背中を流すなど、銭湯における直接間接のサービスに従事した。
女湯に男性がいるなんて現代では考えられないけれど、私が生まれた昭和30年代は、貧しさと豊かさと切なさが共存している時代だった。
父ちゃんの為なら エンヤコラ…
と家族のために働く女性も増えてきて、鍵っ子と名付けられ、世間から哀れみを受けた子供達も誕生した。
その一方で、家風呂や自家用車を持てる家も出てきたり、外国から流れてきた料理が食卓に並んだりと、子供の感性を磨くには恵まれた時代だったかもしれない。
風呂なし、トイレ共同のアパートの一室に住む私の家族は、銭湯に通うこと=日常生活ではあったけど、
寒い季節は外に出るのが嫌で嫌で、炬燵の中で何度も駄々をごねては、何度も叱られ、渋々、風呂桶を抱えてサンダル履きで銭湯まで小走りで向かった。
そんな冬の銭湯の楽しみが冬至の柚湯と正月二日の初風呂だった。
初風呂の話はまた書くとして…
柚湯は、子供ながらに今日が特別な日であると感じられるイベントだった。
毎年、銭湯の脱衣所でお喋りおばさんが冬至についてうんちくを語っていたから、季語に弱い私も冬至については庶民レベルで知っている。
母は愛想をしながら、うんちくおばさんの話に付き合っているけれど、ボールプールのようなゆず湯で泳ぎたい弟は小刻みなジャンプを繰り返すし(笑)、
私は私で風呂場のガラス戸が開け閉めされるたび運ばれてくる柚の香りが鼻を刺激して逸る気持ちで母の手を引いた。
梅の湯では沢山のゆずをそのまま湯船に浮かべてくれていた。
確か、銭湯のおばさんの実家が農家さんで、毎年、送ってもらっていると言っていたかな。
おばさん達は両手に柚を握りしめ、亀の子だわしで擦るように、ゴシゴシと肌に香りをすりつけていたけれど、ぷよぷよに傷んだ柚はなかったから時間ごとに入れ替えてくれていたんだろうなぁ。
だけど…今思うと滑稽だよね(^^)
私も真似て頬に擦りつけてみたけれど、北風に晒された頬のアカギレに沁みてヒリヒリ痛かったことを思い出す。
「これで風邪を引かないね」
と、皆、口々にそう言い合って季節行事を楽しんだ。
いつもより長湯して真っ赤に染まった頬から溢れる笑みは、どの顔からも幸せが滲み出ていたよ。
美月
