【結構長文です…覚悟の上でお読みくださいw】

私が小中学校で支援員として仕事をしていた時のことを話したいと思う。

通常学級の中で、特別な支援を必要とする障がいを持った児童生徒の支援を担当するのが私の仕事だった。
学校によってその対応方法は様々だったが、共通していたのは「彼らの学校生活がなるべく不便のないように支援していただければ」とのことだった。

ここ最近ではTT(Team Teaching)などで、担任の先生以外の個別指導をして下さる先生が教室内に入っているのは珍しいことではないが、私の場合はそれと少々似ているが少々異なっている立場だった。
付きっきり、という言い方は語弊があるが、TTの教室内にさらに私のような支援員が、障がいを持った児童生徒の「専属」として存在している。周りから見れば、私と生徒はいつもペアで行動しているように見えただろう。
もちろん自立支援であることが大前提なので、何から何まで支援していたわけではない。先回りしてあれもこれも、と手を出し過ぎてしまったら自立支援の意味がないから。
そういう点では、私の支援方法を「手を出し過ぎない=ただ居るだけ」という解釈をしていた教職員さんも中にはいらっしゃったらしい…と後で聞いた。まあそう見えてしまったのなら仕方がないが。

ありがたいことに、支援員という仕事を引退しても、支援を担当させていただいた児童生徒・彼らの保護者様との交流は途切れることなく現在も続いており、先日は当時の児童生徒らと集まって、一緒に食事に行ってきた。
その時に、どうしても聞きたかったことがあって、彼らに聞いてみた。

「ねえ、あの当時、先生が教室にいて、みんなの支援を担当していたでしょう?その時、みんなはどんな気分だったのかなってずっと考えていたんだ」

年齢でいうと、思春期にさしかかる不安定な時期でもあったあの当時。裏でこそこそといじめのある雰囲気も見え隠れしていた頃である。
私が専属で付いていたことが原因で、彼らがいじめの対象にされたり、特別な目で見られることがあったのもうすうす気付いてはいた。

「彼らの学校生活がなるべく不便のないように支援していただければ」の言葉に対して私が出来ることは何だろう、と考えることも多々あった。

一般企業でもそうだが、それぞれの人にそれぞれの役目があり、その役目を逸脱して「ちょっと気が付いたので…」と軽い気持ちで手を出そうものなら、「余計なことまでしなくて結構」と弾かれる。
支援員として勤務していた時も、何かおかしいと思ったことについては下手に手を出さず、担任の先生に報告・相談をする程度に留めていた。
先生は先生で机上やら現場やらでいろいろな仕事があってそれどころではない状態。ただでさえ大変なところにさらに「こんな問題がありました」などと上乗せしてしまったら申し訳ないとは思いつつ遠慮気味に伝えたところ、お忙しいのにわざわざお時間を割いてくださり、彼らのためになら…と親身になって話を聞いてくださった先生方。
おかげで、様々な問題も少しずつクリアしてくださり、さすがは先生…と頭が下がる思いだった。
本当に、今でも心から感謝している。

話は戻るが、あの問いかけをした後、返ってきた答えはそれぞれだったが、一番長く支援を担当させてもらった生徒の一人(男子)は私にこう言った。

「先生、俺、あの当時は先生がすぐ横にいて、俺の支援しているのがすごく恥ずかしかった。俺の担当だから居てくれたんだろうけど、それってすごく目立つし、俺はクラスの他の子たちと同じでいたかったから、俺だけ特別扱いされてるみたいで、あの時はすごく嫌だった。支援なんていらないって思ってた。
でも、今となっては、その時先生が居てくれたから今の俺があるって思える。人の世話になるのって面倒くさいと感じていたけど、本当はありがたいことなんだよな、って、今になって思えるようになってきた。」

当時彼らが思っていた心の中を、はっきり聞くことが出来た。
良かれと思って支援をしていたことが、実は彼らには重荷になっていたこと。
特別な扱いを受けていて恥ずかしいと思っていたこと。
私の存在がある意味迷惑であったこと…
当時まだ子供の頃の彼らが直接言えるはずもなかった苦しさ。

そんなにも辛かったんだね。

答えを聞いて後悔はしなかった。
むしろ、彼らから直接聞くことが出来て本当に良かったし、腹を割って話してくれて、とてもありがたかった。
そして、最後の言葉が、私の支援員生活をすべて語ってくれた気がした。

あれから何年経った?
みんなそれぞれ心も体も大きく成長して、たくましくなったね。

私の生きてきた道のりと比べたら、彼らの人生はまだまだ始まったばかり。
この先どんなことが起こるかも分からない未知の世界。
嫌なことも、たくさんあるだろう。
でも、私といた過去を振り返ったときと同じように、彼らが「あの時はあんなことがあったけど、今となってはいい経験だった、糧になった」と思えるようになると信じている。

これからも、彼らはもっともっと成長するだろう。