ふと見上げれば
黄昏色の空は
冬のように澄んで透き通り、
上弦の月が細く小さいながらも
地平線に向かうグラデーションに対して
鮮烈なコントラストをなしていた。
手元では
ブランパンムーンフェイズも、
さて、今日日曜日は
やはり朝から少しヒンヤリ。
また例の鄙びた駅へ行った。
いつもここから線路の向こうを見つめ、
遠く地理的な距離をイメージする。
が、ブランパンとここに立つと、
地理的な座標軸加えて、時間軸も含めた
もっと広く大きなものを意識する。
過去、現在、未来。
そういえば、
英語における現在時制というのは
現在という一つの点ではなく、
過去も未来も含んだものという。
I go to work by car. 「私は自動車通勤だ」
というフレーズは、
今日の出勤が既に完了していたって、
こう言うわけだ。というのも、
昨日も一昨日も一週間前、一ヶ月前、一年前も
自動車通勤しているし、
未来に関してもこれは同じで、
明日も明後日も一週間後、一ヶ月後、一年後も
同じ手段で通う分にはこれが続くからだ。
現在時制の表現 I go to work by car. は、
広く過去も未来も包括している。
この時計を腕にこの場所に立つと
英語の現在時制みたいに感じるんだ。
自分がどこから来たのか。
今どこにいるのか。
これからどこに行くのか。
現在の自分は、今の一点、この瞬間にのみ
存在するわけではない。
時間の連続体の中、三つの時制が
次々と順繰りに境目なく前に進む。
今ある自分は過去や未来なくして語れないし、
存在しえない。
日々似たような繰り返しの中に、
いろんなことが織り込まれていく。
この、境目なく連続していく三つの時制の
グラデーションに対して、
それぞれの時制に足跡を残し、
私はコントラストを刻んで行く。
なーんて、何気取ってんだか?
さ、帰ろっと!