福島市長選を巡る動きが本格化したのは7月7日のことだった。福島市議会の有志5人が復興庁福島復興局(福島市)を訪れ、同局長の木幡浩(56)に「福島市長選に立候補していただきたい」と要請したのだ。その際、市議35人のうち12人の署名が入った要望書を手渡した。木幡は「重く受け止め、よく考えて結論を出したい」と回答を保留したが、立候補に前向きな姿勢を見せた。
木幡は飯舘村出身。原町高校、東京大学経済学部を経て、旧自治省に入省した。香川県政策部長、北海道大学公共政策大学院教授、総務省自治財政局公営企業課長、岡山県副知事、総務省消防大学校長などを歴任。2016年6月に同局長になり、福島市に移り住んだ。

飯舘村は、福島市の東側約35㌔㍍の位置にある。相馬郡(浜通り)の一員だが、阿武隈山地の山間にあるので、標高は500~600㍍と高い。農畜産業が盛んで、「飯舘牛」のブランド化を図っていた。しかし、東京電力福島第一原発の事故で村内の放射線量が上昇したため、村民約6000人は県内外に避難。仮設住宅は福島市や伊達市、仮の役場は福島市にそれぞれ設けられた。
そうした状況で、木幡は同局長に就任した。総務省に「被災した故郷のために頑張ってこい!」と命じられたのだ。これを受けて、木幡は自らのフェイスブックに「あれまぁ、びっくりポンだす。福島に転勤になりました。福島の復興に役立てばと思い、わずかでも機会あるごとに関わってきたつもりですが、こういう形になるとは…」と書き込んだ(2016年6月30日付)。

木幡は岡山県副知事時代の2014年7月、福島市で開催された「福島と岡山の桃対決」に参加した。福島市の常円寺住職で、「つるりん和尚」の愛称で知られる阿部光裕が主催した会合である。「桃対決」というのは、岡山県副知事の木幡を福島市に招くための口実であって、実際に勝ち負けを決めたわけではない。この会合には阿部と親しい大和田新(元ラジオ福島アナウンサー)らも参加した。
阿部はラジオ福島やFMポコの番組に出演し、社会的な問題について発言している。原発事故の後は、福島市の除染が進まないことに怒り、自ら除染作業を始めた。汚染土壌を詰め込んだフレコンバッグは寺の敷地に搬入。2013年の福島市長選では現職・瀬戸孝則を追い落とすため、若手市議の大内雄太を擁立しようとした。しかし、反瀬戸票が小林香(元環境省東北地方環境事務所長、現市長)と大内の2つに割れると瀬戸の当選を後押しすることになるので、告示の直前に大内を引っ込めた経緯がある。

「桃対決」の6日後、木幡は、大和田がパーソナリティを務めるラジオ福島の番組「大和田新のラヂオ長屋」に電話出演した。当時は福島県知事選の候補者選びが焦点になっていたため、木幡もそれとの関連で名前が取りざたされるようになった。ただ、木幡を擁立しようという動きは具体化せず、木幡自身も積極的に動くことはなかった。
その約2年後、木幡は前述したように復興庁福島復興局長となり、福島市に移住した。木幡にとって、福島市はただの勤務地ではなくなっていた。飯舘村に住んでいた母親が福島市に避難し、そのまま市内に自宅を新築したからだ。木幡の実家は、飯舘村から福島市に移ったという見方もできる。

同局長になった木幡は、福島県出身者ということもあり、県内のさまざまな講演会に講師として呼ばれた。2017年2月は連合福島の「ふくしま労働シンポジウム」、6月は福島市議会の最大会派「真政会」の勉強会に招かれ、福島の復興をどうするかといったテーマで話をした。
こうした活動を通じて、木幡は福島市政の関係者と交流を深めた。飯舘村出身だが、「実家」があるのは福島市。旧自治省出身で、岡山県副知事などを歴任した行政のプロ。となれば、小林に批判的な市議たちが木幡を市長選に担ぎ出そうと考えるのは自然なことだ。立候補を要請した市議の粕谷悦功は「木幡さんは国だけでなく、地方自治体でも行政手腕を発揮した。県都を引っ張るリーダーとしてふさわしい」と語った。

木幡は回答を保留したものの、この時点で「立候補に踏み切る可能性が高い」という観測が広がった。市議12人の署名が入った要望書をマスコミの前で受けとったからだ。立候補の意思がないなら、あるいは気持ちが揺れ動いているなら、こうしたことは非公開で行う。公開の場で要望書を受けとって辞退したら、市議たちに恥をかかせることになるからだ。
木幡は7月24日、県議の大場秀樹がパーソナリティを務めるFMポコの番組「大場秀樹の一隅を照らす」に出演し、福島市の魅力などを語った。2人は原町高校の先輩後輩という間柄だ。この時期に大場が木幡に出演を要請し、木幡がそれに応えたのは単なる偶然か、それとも両者の間で市長選についての話ができていたということか。

大場は福島市議を経て、県議になった。民進党の一員で、玄葉光一郎や金子恵美の秘書をしていた時期もある。原町市(現南相馬市)出身なのに福島市で政治活動をしているのは、原町市は県議選の定数が1だったからだ(現在は南相馬市・飯舘村選挙区として定数2になった)。
同市選出の県議は太田豊秋(後に参院議員)、渡辺一成(豊秋の後継者、後に原町市長)、太田光秋(豊秋の長男)と受け継がれており、第三者が割り込むのはほぼ不可能。このため、大場は出身地ではないが、県議定数が8の福島市に目をつけ、市議選から始めたのだ。市議選は初挑戦で当選したが、県議選は2007年、2011年と2回連続で落選。3回目の挑戦でようやく初当選した。

木幡は7月26日に総務省を退職し、28日に立候補を表明した。記者会見では「自分の全てを出し尽くし、復興から創生に転換する福島モデルの政治に挑戦したい」と語った。大場らを案内役にして、すでに市内の会合や祭りに参加している。単身赴任状態の小林との違いを打ち出すため、8月上旬に妻を福島市に呼び寄せた。
一方、現職の小林は7月12日、再選に向けて立候補を表明した。記者会見では「市民主役の市政を基本に、みんなが誇れる県都をつくる」と語った。政治家として存在感が薄いという批判を気にしたのか、8月4日の福島わらじまつりでは市役所チームの先頭に立ち、沿道の見物客に手を振った。それ自体は例年通りだが、今年は見物客に積極的に握手を求め、記念撮影にも応じた。

【写真】「東京2020オリンピック・パラリンピックフラッグツアー」のセレモニーで見物客に手を振る木幡浩福島復興局長(2016年11月2日、福島県庁西庁舎前の広場で撮影)



任期満了に伴う福島市長選は、11月12日告示、19日投開票の日程で行われる。現時点で立候補を表明しているのは2人。現職の小林香(58)と前復興庁福島復興局長の木幡浩(56)だ。このほか、県議の桜田葉子(59)が立候補に意欲を見せている。告示まであと3カ月あるので、この3人以外の候補が現れる可能性もある。
小林は伊達市出身。県立福島高校、中央大学法学部を経て、旧大蔵省に入省した。途中で環境省に転じ、東北地方環境事務所長に就任した。そのとき福島県内のマスコミ関係者と知り合い、「福島市長選に立候補する気はないか」と打診された。小林もその気になり、2013年11月の市長選に立候補。「元官僚」という肩書きはあったものの、福島県を長く離れており、無名の新人の域を出なかった。

しかし、ふたを開けてみれば、現職の瀬戸孝則に2倍以上の大差をつけて初当選した。得票数は、小林の7万2441票に対して、瀬戸は3万2851票。現職がこれだけの大差で落選するというのは、通常はあり得ない。そのあり得ないことが起きたのは、東京電力福島第一原発の事故が原因である。
当時は「除染」が県民の最大の関心事だった。汚染土壌そのものは重機や人力で除去できるが、途方もない労力がかかる上、それをどこに搬入するかが問題になっていた。福島第一原発のある大熊町と双葉町に建設される中間貯蔵施設に搬入するという計画になってはいたが、地権者が用地の提供に難色を示したため、スケジュールは大幅に遅れていた。

このため、汚染土壌は市内各地の仮置き場に暫定的に保管されることになった。すると、今度はどこに仮置き場を設置するかが問題になった。仮置き場の必要性は認めるものの、「うちの近所に設置されるのは困る」となったのだ。小学校や中学校の汚染土壌は校庭に巨大な穴を掘り、地下に保管されることになった。児童や生徒の保護者は「それで大丈夫なの? 子どもの健康に影響はないの?」と不安になった。

そうした状況で市長選が行われたので、有権者の怒りが現職の瀬戸に向いたのだ。除染が遅れたのはさまざまな要因が重なったからで、必ずしも現職の責任とは言えない。それは有権者も分かっていたが、「このまま同じ人が市長を続けるのは我慢できない。市長を代えないと、除染は進まない」というムードが高まったのだ。
2013年は福島市以外でも市長選が行われ、現職が次々と落選した。4月の郡山市長選は、現職の原正夫が新人の品川萬里に敗れた。9月のいわき市長選は、現職の渡辺敬夫が新人の清水敏男に敗れた。11月の二本松市長選は、現職の三保恵一が新人の新野洋に敗れた。12月の相馬市長選は現職の立谷秀清が新人の荒川五郎を破ったが、その差はわずか275票だった。有権者の怒りが現職に向くというのは、福島市だけでなく、県内共通の現象だったのだ。

原、渡辺、瀬戸の現職3人は「原発事故の直後に県外に避難した」という噂(デマ)を広められた。小さな市町村は首長の姿が見えやすい(住民との距離が近い)ので、こうした噂は広まりにくい。しかし、30万都市は首長の姿が見えづらい(住民との距離が遠い)ので、こうした噂が説得力を持ちやすい。瀬戸の場合は「家族と共に山形県に避難し、平日は公用車で福島市役所に通勤している」とされた。
この噂を真に受けた神戸大学大学院教授の山内知也(放射線工学)は、大阪市の講演で「福島市長が山形市に避難している」などと発言。これがインターネットで反響を呼び、瀬戸の知るところとなった。瀬戸は「市民の信頼を損ねる」として、山内に謝罪を要求。山内は「流言飛語の類いを聞いて、そのまま信じ込んだ」と認め、瀬戸の目の前で陳謝した。
この件はマスコミで大きく報道されたが、噂を信じたままの有権者も多く、それが瀬戸の落選につながった面もある。

市長に当選した小林は「除染に全力を挙げる」という方針を打ち出し、仮置き場の確保を急いだ。財務省や環境省に長く勤務していただけに、行政マンとしては一定の評価を受けている。ただ、地味なキャラなので、政治家としては存在感が薄い。東京出張の回数が多すぎることも問題になっている。しかも、その際に東京の自宅に宿泊していることが「公私混同」と批判されている。妻は東京で開業医をしているため、それを引き払って福島市に移住するのは難しいようだ。
東京出張に関しては、こんな「事件」もあった。伊達市は2016年6月、伊達市ふるさと会館で合併10周年記念式典を開催した。伊達市長の仁志田昇司、福島県副知事の畠利行、衆院議員の亀岡偉民、金子恵美、参院議員の岩城光英、増子輝彦、白河市長(福島県市長会副会長)の鈴木和夫らが出席。伊達市と同じ県北地方のリーダー格である福島市長の小林の姿はなかった。招待されていたのに、欠席したのだ。

小林はその日、千葉市の幕張海浜公園にいた。「レッドブル・エアレース千葉2016」を観戦するためである。お目当ては福島市在住で、ふくしまスカイパークを活動拠点にする室屋義秀。2人は中央大学の先輩後輩という間柄でもある。レースは室屋が初優勝を飾り、大きなニュースになった。小林は歴史的な場面に立ち合ったわけだが、式典を袖にされた伊達市関係者は「優先順位を間違えているのではないか」と怒りを露にした。
小林が2013年の市長選で当選できたのは、前述したように現職に有権者の怒りが向いたからだ。「現職以外だったら誰でもいい」という選挙だったので、あれだけの大差がついたのだ。小林は運に恵まれただけだが、選挙で獲得した7万余票を自分の実力と勘違いしたようだ。この4年間、後援会づくりを疎かにしていたので、支持基盤は脆弱だ。市議会との関係も良好とは言えないので、今年に入ると「2期目の選挙は厳しいのではないか」という見方が広がり始めた。

【写真】福島わらじまつりで踊る小林市長(8月4日、国道13号で撮影)


文化放送と山形放送、ラジオ福島、山口放送、高知放送の4局で毎週土曜、『ロンドンブーツ1号2号田村淳のNewsCLUB』という番組が放送されている。「将来は政治家になりたい」と公言する田村が社会問題を論評したり、旬なゲストと対談するという内容だ。読売新聞に連載していたコラムで「政治のことを敬遠している人が見たいと思える政治番組を僕の司会でやらせてほしい」と訴えたところ、文化放送が「ならば、うちで」と応えた。2008年に放送が始まり、今年で10年目に突入。当初は1時間番組だったが、現在は2時間に拡大されている。
7月29日のゲストは前東京都知事の舛添要一だった。2014年2月の知事選で初当選したが、政治資金問題や海外出張費問題が表面化し、2年4カ月後の2016年6月に辞任。その後は社会の表舞台から姿を消したが、今年5月に『都知事失格』(小学館)を出版し、在職中の反省と後悔、そして小池百合子都知事への伝言を語った。これを機に言論活動を再開し、6月9日にJ-WAVE『JAM THE WORLD』、16日にTBSラジオ『生島ヒロシのおはよう一直線』に相次いで出演。『田村淳のNewsCLUB』への出演は、その第3弾という位置づけになる。

舛添に対する都議会やマスコミの追及は常軌を逸していた。政治資金問題は参院議員時代の話なので、知事として責任をとる必要はない。海外出張費問題は知事時代のことだが、辞任するような大げさな話ではない。石原慎太郎も同じ問題で批判されたが、辞任論が出たことはなかった。なぜ、舛添についてはあれだけの騒ぎに発展したのか。
舛添は番組で次のように述べた。
「私が韓国に行ったり、中国に行ったことが原因だと思います。ソウルも北京も東京の姉妹都市なんですが、今までの知事は18年間、行ってなかった。オリンピックをやるのであれば、隣近所の国と仲良くしておかなければならないので、あいさつに行ったんです。
韓国では、今は失脚した朴槿恵大統領が『東京にいる韓国人の子たちの学校を作りたい』と言ったんです。『じゃあ、お手伝いしましょう』と答えたら、それから物凄い勢いで叩かれました。右翼の街宣車17台が私の家の前に来て、『国賊外交をやめろ!』とがなり立てて…。『ああ、そういうことなのか』と思いましたね。ちょうどその頃、ヘイトスピーチというか、『韓国嫌いだ』『中国嫌いだ』という人たちがたくさんいたんです」
舛添は知事就任直後に韓国を訪れ、青瓦台で朴と会談。朴は「慰安婦問題は両国関係だけではなく、普遍的な人権に対する問題」と指摘した。舛添は「大統領の意向を安倍総理大臣に伝えたい」と回答。続いてソウル大学で講演し、「90%以上の東京都民は韓国が好きなのに、一部がヘイトスピーチをして全体を悪くしている」と強調した。この発言に対しては保守派が強く反発し、ネットの掲示板に「舛添は在日」「舛添は反日」という書き込みが氾濫した。

舛添は朴と会談した際、「東京の韓国人学校が手狭になっているので、用地確保に協力してほしい」と要請された。舛添はこれを快諾し、用地の選定に入った。2016年3月に「旧都立市ヶ谷商業高校跡地(新宿区矢来町)を韓国側に有償で貸し出す方向で具体的な協議に入る」と発表。当時は待機児童問題に世間の注目が集まっていたこともあり、保守派は「保育園より韓国人学校の整備を優先するのか」と再び反発。右翼の街宣車が都庁や舛添の自宅周辺に押し掛け、スピーカーで罵倒する事態になった。
この直後に『週刊文春』が舛添の政治資金問題をスクープし、他のメディアも追随。舛添は弁護士に調査を依頼したり、「給与を全額返上する」などと表明したが、バッシングは収まらず、辞任に追い込まれた。

舛添は週末、神奈川県湯河原町の別荘で過ごすことが多かった。別荘は舛添の妻が代表を務め、自らも役員に名を連ねるファミリー企業「舛添政治経済研究所」が保有。2015年4月1日から2016年4月11日の約1年間に計48回、別荘まで公用車で通っていた。これもバッシングの対象になり、舛添は「一番静かで仕事のできる場所。資料を読み込んで次の週の準備をしていた」と釈明。災害時の危機管理については「3人の副知事が輪番でちゃんと務めている。湯河原にも世田谷の自宅と同じ緊急連絡体制を敷いている」と述べた。
湯河原町は、神奈川県の西端に位置している。都心からの距離は約99キロ。年48回は、1カ月あたり4回で計算すると、ほぼ毎週末を意味する。都知事が週末ごとに東京を離れるというのは、首をかしげる行為である。秋田県知事の佐竹敬久(のりひさ)は2016年5月16日の記者会見で「東京の知事は暇だな」と皮肉った上で、自分自身は週末も公務が多いことを強調した。

その佐竹が、今は窮地に立たされている。秋田県が記録的な大雨に見舞われた7月22日、佐竹は県の部長2人やOB4人と共に宮城県大崎市(後に同県加美町に訂正)に出かけ、ゴルフを楽しんでいた。佐竹と部長2人の携帯電話には豪雨被害の状況と避難指示や勧告に関するメールが頻繁に入っていた。しかし、3人はこれに気づかず、プレー後に飲酒。県は翌23日午前11時から大雨対策の緊急会議を開いたが、ゴルフ旅行に出かけていた佐竹は交通渋滞に巻き込まれ、間に合わなかった。県庁に到着したのは会議終了後の午後1時頃だった。
大雨の到来が予測されていたにも関わらずゴルフ旅行に出かけたことについて、佐竹は「昨年来、ほとんど休みがなく自分の時間が欲しかった」と説明。「(当日のうちに帰るという)行動に移らなかったのは私のミス。軽率で深く悔いている。県民の信頼を損ない心からおわびする」と謝罪した。

舛添が『田村淳のNewsCLUB』に出演したのは、佐竹の不祥事があった直後だった。タイミングが良かったので、私は番組に「舛添さんは週末ごとに湯河原町の別荘に行っていたそうだが、災害のときはすぐに帰京できる態勢になっていたのか」というメッセージを送信した。田村と共に番組パーソナリティを務める篠田恵里香 (弁護士)がこれを読むと、舛添は次のように回答した。
「私は大雨が降るというときに、ゴルフに行ったりしません。災害が起きたときは、すぐに戻れる態勢になっていました。別荘の近くにはヘリポートがあり、いざというときはヘリコプターを飛ばせるようになっていました。(在来線より災害に強い)新幹線で戻るという方法もあります(湯河原町から新幹線が停車する熱海駅まで約5・5キロ)。警視庁と神奈川県警にも(パトカーによる先導などで)協力してもらえることになっていました。副知事も常に居ました」
この話を耳にして、「ヘリコプターを飛ばしたり、警察を動かすぐらいなら、週末も東京に居ればいいのに…」と突っ込みたくなった。まあ、それはいいとしても、驚いたのは次の発言だ。
「週末のたびに『都外の別荘に行く』と批判されましたが、東京に居ればいいんですか。横浜と奥多摩を比べたら、横浜の方が(都庁に)近いですよ」
舛添がこの種の発言をしたのは、今回が初めてではない。別荘通いが発覚した直後に「奥多摩より湯河原の方が近い」と言い放ち、多摩地区の人々を怒らせた。清瀬市議会は舛添の辞職を求める意見書を全会一致で可決。都議会からも批判の声が噴出した。

辞任から1年以上がたち、今は当時の発言を反省しているのかと思ったら、相変わらずだった。湯河原を横浜と言い替えただけ。政治資金問題や海外出張費問題より、こちらの方がよほど大きな問題だと思う。
多くの知事は週末、県内各地のイベントや会合に出席して、あいさつをする。それに連動して地元の市町村長と懇談したり、県民の話を聞いたりする。これは視察の意味もあるが、選挙運動も兼ねている。週末のたびに休んでいたら、「仕事をしない」「公務員と変わらない」という噂が広まり、次の選挙でほぼ確実に落選する。

歴代の都知事では石原も週末ごとに休んでいた。いや、平日も週3日ぐらいしか登庁しなかったという。これで知事選で4回も当選できたというのは、地方では考えられないことだ。都民はよそから引っ越してきた人が多いせいか、都政にあまり関心がないようだ。
前出の佐竹は「東京の知事は暇だな」と皮肉ったが、これは舛添だけでなく、石原も含めてのことだろう。佐竹の場合は、年に何回かの休日に県外でゴルフをしたら、運悪く大雨に当たり、帰れなくなった。貴重な休日だからこそ、ゴルフを強行した面もあるだろう。これまで秋田県にルーツを持つ龍角散のCMに殿様役で出演していたが、この不祥事により、放映が中止になった。

一方の舛添は、運良く災害に遭遇することはなかった。しかし、都知事という注目度の高いポストに就いていたため、マスコミの格好の餌食になった。舛添の苦しい弁明が火に油を注いだ。
都知事が管轄するのは、東京23区だけではない。多摩地区や小笠原諸島にも気配り目配りをしなければならない立場だ。ところが、舛添は単純な距離を比較して、「奥多摩より湯河原(横浜)の方が近い」と言い放った。これは、都知事が決して口にしてはいけないセリフだ。フーテンの寅さん(渥美清)であれば「それを言っちゃおしまいよ!」と嘆く場面だ。

【写真】舛添知事の誕生を報じる読売新聞。こんな時代もあった…