
箱根駅伝5区で4年連続区間賞を獲得した柏原竜二(富士通)の陸上講座は9月17日、福島市のあづま陸上競技場(とうほう・みんなのスタジアム)で行われた。福島民報社と福島陸上競技協会の主催。今年11月18日に第30回を迎えるふくしま駅伝の開催を記念したもので、小中学生約100人が参加した。
柏原は、児童生徒に姿勢の重要性を力説した。普段から猫背だと、走っているときも自然にそうなる。姿勢が悪いと、前に進む力が弱くなると指摘。それを踏まえた上で「走っていないときも、正しい姿勢を心がけてください。朝礼で校長先生の話を聞くときは、背中が丸くならないように意識してください。日常生活が大切なんです。『練習のときにやればいい』という安易な気持ちでは速く走れません」と言った。
あづま陸上競技場は、柏原にとって思い出深い場所だ。第62回県陸上競技選手権大会兼第60回県総合体育大会陸上競技の会場だったからだ。当時、いわき総合高3年だった柏原は、5000mと1万mの2種目に出場し、このトラックを周回した。
男子5000mは、2007年7月12日に行われた。柏原は積極的に前に出て、集団を引っ張った。岡本尚文(田村高)と酒井俊幸(学法石川高教員)の2人が柏原についていく展開になった。残り300mの地点で酒井がラストスパートをかけ、柏原と岡本を抜き去った。トップでゴールした酒井は、この種目で3連覇を達成。2位は岡本、3位は柏原だった。
男子1万mは、2日後の14日に行われた。柏原は再び積極的に前に出て、集団を引っ張った。酒井は柏原に懸命に食らいついた。5000mは最後に酒井が逆転したが、1万mはその余力が残っていなかった。柏原がトップでゴールし、酒井は2位だった。柏原のタイムは30分01秒12。酒井は5000mに続いて3連覇を狙ったが、柏原に阻止された。

酒井は、柏原のがむしゃらな走りに驚いた。母校・東洋大コーチの佐藤尚に「いわき総合に柏原竜二という面白い選手がいる。まだ荒削りだが、素質がある」と報告。佐藤は柏原の走りを確認し、スカウトすることを決めた。
柏原は高校を卒業したら、就職するつもりだった。しかし、佐藤に声をかけられて、気持ちが変わった。2008年1月の全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(広島市)に出場し、1区で区間賞を獲得したことも自信につながった。
同年4月に東洋大に進学し、陸上競技部に入部。高校時代は貧血で記録が伸び悩んでいたが、大学で才能が開花。2009年1月の箱根駅伝で5区を走り、8人抜きを演じた。タイムは1時間17分18秒で、今井正人(順大)が持っていた区間記録を47秒更新した。
東洋大は、柏原の活躍で往路優勝を飾った。復路もそのリードを守り、初の総合優勝を達成。柏原は、最優秀選手賞に相当する金栗四三杯を受賞した。「山の神」の異名を持つ今井の区間記録を塗り替えたことで、これ以降は「二代目山の神」と呼ばれるようになった。

東洋大はこの大会に監督不在で臨んだ。大会の約1カ月前に2年生部員が不祥事(電車内での痴漢行為)を起こしたため、監督の川嶋伸次(日体大OB)は責任をとって辞任。後任は置かず、佐藤(前出)が監督代行として暫定的に指揮をとった。
大会終了後に後任の監督選びが始まった。その役を担ったのは佐藤で、東洋大OBから人選することにした。従来は競技力の向上を最優先に考えていたが、不祥事が起きたことで、生活面も含めて部員を教育できる人材でなければならないと判断。実業団(コニカミノルタ)で競技経験があり、当時は高校教師を務めていた酒井に白羽の矢を立てた。
監督就任の打診を受けた酒井は、悩んだ。監督を引き受ければ、学法石川高の教師を辞めて、練習場のある川越市周辺に引っ越さなければならない。妻は県立高校の教師なので、別居するか、仕事を辞めてもらわなければならない。自分がやっていた陸上競技部顧問(監督)を誰にやってもらうかという問題もあった。
酒井に相談された妻は「やりたいなら、どうぞ。私はあなたについていく」と回答した。陸上競技部の顧問は、滋賀大大学院に通っていた松田和宏(中大OB)にやってもらえることになった。2つの問題がクリアされたため、酒井はこの話を受諾した。

驚いたのは柏原である。高校時代に同じ大会でタイムを競った酒井が監督として目の前に現れたからだ。
柏原が通ったいわき総合高の陸上競技部顧問は佐藤修一である。佐藤は田村高から順大に進学し、中距離の選手として活躍した。4年のときは全日本インカレ男子800mで2位になった。酒井と同じ1976年度生まれなので、2人は高校時代から知り合いだった。それぞれが教師になった後も、大会で顔を合わせれば会話する関係だった。
柏原は高校時代、酒井を「先生」と呼んでいた。他校の教師ではあるが、恩師の佐藤と親しかったからだ。その酒井が東洋大の監督になったので、大学では「監督」と呼ばなければならなくなった。しかし、柏原は高校時代の習性が抜けず、ときおり酒井を「先生」と呼んだ。

柏原は翌2010年1月の箱根駅伝も5区を走り、6人抜きを演じた。タイムは1時間17分08秒で、自身の持つ区間記録を10秒更新した。東洋大は2年連続で往路優勝。復路もリードを守って2年連続で総合優勝を果たした。柏原は、前年に続いて金栗四三杯を受賞した。
翌2011年1月の箱根駅伝も5区を走った。2人を抜いてトップに立ち、東洋大を3年連続で往路優勝に導いた。タイムは1時間17分53秒で、自身が持つ区間記録に45秒及ばなかった。東洋大は復路で早稲田大に逆転を許し、3年連続の総合優勝はならなかった。
翌2012年1月の箱根駅伝も5区を走った。初めてトップで襷を受け取り、2位以下との差を拡大してゴールに飛び込んだ。タイムは1時16分39秒で、自身が2011年につくった区間記録を29秒更新。東洋大は4年連続で往路優勝を果たした。復路もリードを守って2年ぶり3回目の総合優勝を達成。2位の早稲田大に5分7秒差をつける完勝だった。区間記録を更新した柏原は、3回目の金栗四三杯を受賞した。
【文と写真】角田保弘