△ヤジを極度に恐れる安倍首相

安倍晋三首相が乗ったトヨタ・センチュリーは午前11時23分、演説会場になった「踊る小馬亭向かい広場」を後にした。センチュリーが見えなくなると厳戒態勢は解かれ、会場周辺は人の行き来が自由になった。会場内にいた人々は家路に就くため、広域農道に出てきた。入場を拒否された人々も、広域農道を歩けるようになった。
会場内から出てきた人々に話を聞いた。
「私たち(高齢女性2人組)は今朝、電話連絡で場所と時間を知りました。クルマを運転できないので、知り合いに乗せて来てもらいました。帰りも知り合いに乗せてもらいます。今、そのクルマを待っているところです。『なぜ、こんな(市街地から離れた)ところでやるのか…』と疑問に思いました。あなた(筆者)は会場に入れてもらえなかったんですか? それは災難でしたね。せっかく、ここまで来たんだから、入れてやればいいのに…。(主催者は)何を考えているのか」
別の男性は9日夜に電話連絡を受けたという。会場内にいた人々も、直前になって場所と時間を知ったのだ。もちろん、トレーナー姿の男が口にした招待券はもらっていなかった。「招待券? 何ですか、それは?」と逆に質問されてしまった。
現地でもっと取材したかったが、10日はできない事情があった。午後に福島地裁で重要な裁判の判決が予定されていたからだ。福島原発事故の被害者が起こした「生業訴訟」である。その取材もしなければならないので、中途半端な形で現地を退去せざるを得なかった。この問題の取材は今後も継続したい。

△厳戒態勢の演説会場周辺

10日の夜、TBSラジオ「session22」を聴くと、同局国会担当で「国会王子」の異名を持つ武田一顯記者が出演した。武田は安倍の第一声を取材するため、福島市に足を運んだという。以下は武田の話(要約)。
△安倍首相の街頭演説は何度も取材した経験があるが、これほど警備が厳重で、物々しい雰囲気は初めてだった△会場に行くまでにクルマを3度も止められ、「何の仕事をしているのか」「何のために行くのか」と質問された△福島市の水田地帯を第一声の会場に選んだのは、田中角栄流の川上戦術か、それともヤジを恐れてのことか△最初は東京オリンピック・パラリンピックの野球ソフトボール競技が行われる県営あづま球場で第一声をやるという話もあった…。
武田は、一般人が演説会場に入れなかったことを指摘しなかった。知らなかったのか、それとも言う必要がないと判断したのか。

△会場の外に追いやられた一般人

「田中角栄流の川上戦術」というのは「選挙は川上(山間部)から攻略しろ!」という角栄の教えである。現在は角栄の愛弟子である小沢一郎自由党代表がその体現者として知られる。旧民主党は2009年の衆院選で政権交代を成し遂げたが、その選挙に当たっては、小沢が新人候補にこの戦術を伝授した。
選挙には地盤、看板、カバンの3バンが必要とされる。それがない無名の新人が選挙区を漠然と回っていたのでは、その労力が無駄になる。まずは人口の少ない山間部を回り、住民に顔と名前を覚えてもらえ。川上で知名度が高まれば、その話が川下(市街地)にも伝わる。そうすれば、選挙区全体に効率よく名前が知れわたる。いきなり選挙区全体を回ろうとするな。小さな集落を1つずつ回り、攻め落とせ!…これが川上戦術のポイントである。

△会場内から道路に出てきた人々

とはいえ、安倍のやったことは川上戦術とかけ離れていた。演説会場は水田地帯だったが、一般人の立ち入りを禁止し、関係者とマスコミだけを入れた。小池百合子東京都知事のように人を選別し、意に沿わない人を排除したのだ。
だったら、事前に「関係者以外は入れません」と告知すればいいのに、自民党は場所と時間だけを告知した。誰でも入場できるかのような体裁をとったのだ。それなのに、入場しようとした人に突然、「私有地なので、入らないでください」と言い放った。失礼な行為だが、自民党にその認識はないらしい。現時点で謝罪らしき声明文は出していない。

△自民党の策略に加担する報道陣

驚いたのは、多くの新聞が自民党の暴挙を報道しないことである。「安倍首相は福島市の水田地帯で第一声を上げた」「東京・秋葉原の街頭演説と違って、今回は聴衆からヤジが飛ぶことはなかった」といった書き方である。関係者のみを入場させたわけだから、ヤジなど飛ぶわけがない。
例外はサンスポだ。11日付に「安倍首相、ヤジ来ぬ田園で第一声 政権維持へなりふり構わず/衆院選」という記事を載せた。
《「何で入ればダメなんだべ?(なぜ入ったらダメなのか)」安倍首相の第一声を聞きに来た農業の男性(68)を、自民党関係者が制止。一般市民は、近隣の空き地へ移動させられた。自民党福島県連によると、第一声の地となった「踊る小馬亭向かい広場」への入場が許されたのは、後援会関係者の約300人だけ。理由は「私有地ということで、混乱が起きないように安全を最優先した」というもの。県警が周辺道路を検問する厳戒態勢だった》
サンスポを発行しているのは産経新聞社である。産経は安倍に最も近いメディアで、新聞通の間では「安倍ファンクラブの会報」と揶揄されている。その産経系のサンスポがこういう記事を載せたのは意外だった。産経もやるときはやるようだ。

△太田光秋県議と西山尚利県議

安倍の第一声は、綿密に作り込まれた映画やドラマのようだった。あれは第一声というより、ロケである。場所が福島市なので、地方ロケだ。演説会場はロケのセット。会場内にいた人々はエキストラである。オーディションに合格したから、入場を許可されたのだ。
新聞に載った写真を見ると、安倍は細長い木箱の演台の上で演説していた。その背後には水田が広がっていた。あざとい演出である。いかにも農業や農村を重視していると言いたげである。倒れかかっている稲が目立つのは、稲刈りを途中で止めたからだろう。望遠レンズで撮影した写真は、安倍の背後が真っ黄色になっていた。

自民党は会場内に足場をわざわざ設置した。カメラマンが安倍を高い位置から撮影するように仕組んだのだ。安倍の背後に水田が広がっているように見えたのは、足場のお陰である。足場がなければ、カメラマンは低い位置から撮影することになるので、水田より吾妻連峰の方が目立つ写真になっていた。
安倍が演説したのは午前11時ごろだった。自民党はカメラマンが南東方向から安倍を撮影するように、足場を設置した。当日は天気が良かったため、背後の水田がきれいに見えた。自民党は太陽の放つ光の角度なども考慮した上で、あの場所を演説会場に選んだと見られる。

△顔を見せた森雅子参院議員

ただ、安倍は福島県内では人気が低い。福島民報社と福島テレビが共同で実施した世論調査によると、安倍内閣を支持するは27・8%、支持しないは54・4%だった。支持率は過去最低だった(民報10月2日付)。また、福島民友新聞社と読売新聞社が共同で実施した世論調査によると、支持するは30%、支持しないは55%だった(民友10月12日付)。
朝日新聞社が実施した世論調査でも、同じような結果が出ている。安倍内閣の福島県内の支持率は37%で、都道府県別では長崎県と並んで43位という低さだった。45位は北海道(36%)、46位は沖縄県(35%)、47位は高知県(32%)だった(朝日10月17日付)。

△金子候補と接戦を演じる亀岡候補

それを反映して、福島1区の自民党公認候補、亀岡偉民は伸び悩んでいる。新聞各社の情勢分析によると、無所属の金子恵美と接戦になっている。「金子優位、亀岡劣勢」と書いている新聞もある。
金子は民進党の前職だが、希望の党には合流せず、無所属での立候補を選択した。合流する考えもあったが、「『政策協定書』を読んで納得いかない文言があった。歩み寄ることができない内容だった」として、方針転換を図った。共産党が独自候補を降ろしたため、福島1区は事実上、野党共闘が成立した。

福島市の水田地帯での第一声は、安倍にとって、自らの存在を全国にアピールする意味があった。そのために関係者以外を排除し、ヤジが飛ばないようにした。一方で関係者は安倍のわがままに振り回され、連休明けの火曜にJR福島駅から12㌔離れた水田地帯に集められた。内心は怒り心頭だろう。亀岡自身の選挙にとっては、人気の低い安倍の第一声はプラスよりマイナスの方が多かった。(終わり)

【文と写真】角田保弘