高度経済成長期に生まれた人は、子どものころ、「末は博士か大臣か」と言われた経験があるのではないか。それが子どもに対する社交辞令だったからだ。当時は「博士」「大臣」という肩書きが重みを持っていたので、この2つのポストが引き合いに出されたのだ。
今は完全に死語になった。「博士号」を取得しても、それに見合う職業に就けなくなったからだ。大学教員は空きが少ないし、企業は博士号を持った人の採用に消極的だ。このため、定職に就けず、単純作業のバイトで糊口を凌いでいる博士がたくさんいる。「高学歴ワーキングプア」という言葉もあるほどで、収入につながらない肩書きの代表格になった。

「大臣」に対する受けとめ方も変化した。1983年の衆院選で落選した谷川和穂防衛庁長官は、選挙事務所で悔しさを露にし、インタビューしていたアナウンサーの首を両手で締めた。現職大臣の自分が落選するとは思っていなかったのだ。今は違う。大臣が落選しても、さほど驚かなくなった。7月の参院選では岩城光英法相、島尻安伊子沖縄・北方担当相の2人が落選。安倍晋三首相は選挙対策の意味で2人を大臣に起用したが、有権者に対するインパクトは弱かった。

ただ、政界内では依然として重みのある肩書きだと受けとめられている。首相が交代したり、内閣改造が近づいたりすると、ソワソワし出す議員もいるという。いわゆる「大臣病」の患者である。もともと権力志向の強い政治家が権力(大臣)というニンジンを目の前にすると、居ても立ってもいられなくなるのだろう。自民党の場合、衆院議員は当選5回以上、参院議員は同3回以上が大臣の「適齢期」とされている。
派閥の力学が働いていた時代は、各派が推薦者リストを総理(総裁)に示し、それに合わせてポストを割り振るケースが一般的だった。「派閥順送り人事」などと呼ばれた。しかし、1996年以降は総理の権限が強まり、派閥の存在感が低下するという現象が起きた。衆院選に小選挙区制が導入されたからだ。特に「変人」の小泉純一郎首相は派閥の推薦リストを丸っきり無視し、自分の裁量で大臣を選んだ。世論調査の高い支持率がそれを可能にした。

現首相の安倍も、小泉ほどではないが、自分の裁量で大臣を選んでいる。稲田朋美(衆院議員)を当選3回で規制改革担当相、同4回で防衛相に起用した。また、丸川珠代(参院選議員)を当選2回で環境相と五輪担当相に起用した。無派閥の菅義偉を官房長官に起用し続けているのも異例だ。過去を振り返ると、同じ派閥の腹心が起用されることが多い。田中(角栄)内閣の二階堂進、大平(正芳)内閣の伊東正義がその典型だ。菅は、中曽根(康弘)内閣の後藤田正晴ともタイプが異なる。新型の官房長官だ。
菅は秋田県出身。湯沢高校を卒業し、集団就職で上京した。段ボール工場で働いて学費を稼ぎ、法政大学に通った苦労人だ。小此木彦三郎の秘書を経て、横浜市議へ。そこで顔と名前を売って、衆院議員になった。当選7回。最近の自民党は「ブランド志向」が強く、要職に就いているのは世襲議員が圧倒的に多い。その状況で菅は自力で衆院議員になり、官房長官になった。総務相も歴任した。陽の当たる道を歩いているため、同僚議員に嫉妬されることも多いらしい。

菅と同じ当選7回の衆院議員は、自民党に25人いる。このうち、14人は大臣経験者だ。複数(兼務除く)の大臣を歴任した議員もいる。一方で、あとの11人はいまだに大臣を経験していない。
その顔ぶれは次の通り。
【大臣経験者】
△下村博文(文科)△根本匠(復興)△望月義夫(環境)△山本幸三(内閣府特命)△河野太郎(国家公安委員長)△今村雅弘(復興)△伊藤達也(内閣府特命)△田村憲久(厚労)△佐藤勉(総務・国家公安委員長)△遠藤利明(五輪)△棚橋泰文(内閣府特命)△菅義偉(総務・官房長官)△高市早苗(内閣府特命・総務)△塩崎恭久(官房長官・厚労)
【大臣未経験者】
△木村太郎△三原朝彦△今津寛△宮腰光寛△竹本直一△原田義昭△岩屋毅△山本拓△平沢勝栄△小此木八郎△田中和徳

佐藤、菅、高市、塩崎の4人は複数の大臣を歴任した(塩崎は参院議員1期の経験もある)。現在の役職は、佐藤が衆院議院運営委員長、菅が官房長官、高市が総務相、塩崎が厚労相。塩崎は、第一次安倍内閣で官房長官を務めた。その役職を引き継いだのが菅だ。高市は安倍のお気に入りの1人。稲田、丸川を加えた3人は「安倍チルドレン」と言っていいだろう。

根本は若手議員の頃、安倍、石原伸晃、塩崎の3人と「NAIS(ナイス)の会」をつくっていた。政策集団兼仲良しグループだ。名称はメンバー4人の頭文字をとった。安倍、石原、塩崎の3人は父親も衆院議員だったが、根本の父親は海軍の軍人だった。曾祖父は貴族院議員を務めた根本祐太郎だ。建設官僚を経て、1993年の衆院選で初当選。同期の安倍と仲良くなったが、 2009年の衆院選で落選したため、現在の当選回数は安倍より1回少ない。
河野は、祖父が一郎、父親が洋平という政治一家で生まれ育った。ただ、原発に批判的な立場をとっていたため、自民党では異端児扱いされていた。大臣になることもないだろうと言われていたが、2015年に国家公安委員長に起用された。これに伴い、原発批判の拠点になっていたブログを閲覧不能にした。河野は「今までは外から言っているだけだった。今度は政府内の議論でしっかりと言うべきところは言っていく」と釈明。このあやふやな態度に対しては、「そこまでして大臣になりたいのか」という批判が噴出した。

遠藤は中央大学時代、ラグビー部に所属していた。スポーツに造詣が深く、山形県議時代は高校野球の強化策を議会で取り上げたことがある。1985年の夏の大会で、東海大山形がPL学園に29対7で大敗したからだ。衆院議員になると、文教族として頭角を現した。その実績が認められて、初代五輪担当相に起用された。森喜朗元首相の後押しもあった。8月の内閣改造で大臣の座は丸川に譲ったが、オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の副会長に収まった(会長は森)。Wikipediaに「山形のドン」と書いてあるが、この呼称はリアルなドン(天皇)だった服部敬雄(山形新聞・山形交通グループ総帥)に失礼だ。

大臣未経験者のうち、木村、三原、小此木の3人は父親も衆院議員を務めた。世襲議員は一般的に出世が早いが、この3人は例外だ。支持者は「うちの先生はなぜ大臣になれないの?」と首をかしげているのではないか。

小此木の父親は、菅が秘書を務めていた彦三郎だ。小此木自身もその秘書を経験したうえで、1993年の衆院選で初当選した。菅は3年後の1996年の衆院選で初当選。ただ、小此木は2009年の衆院選で落選したので、現在の当選回数は2人とも7回だ。菅は要職を歴任しているが、小此木はいまだに大臣経験なし。この違いは、どこで生まれたのだろうか。
山本(拓)は、高市の夫である。山本は再婚、高市は初婚。高市は政界のメーンストリートを歩いているが、山本は裏街道に回された感がある。

平沢は東京大学時代、安倍の家庭教師を務めた。子どもの頃の安倍を知っている稀有な政治家だ。講演をすると、当時の話をつかみにすることが多い。ひと昔前はテレビでもよく安倍の話をしていた。大きな意味では安倍のお友だちだが、なぜか大臣になれない。元家庭教師なので、安倍に煙たがられているのだろうか。それとも別な理由があるのだろうか。71歳なので、時間的な余裕がないのは確かだ。
自民党内を見渡すと、当選10回でも大臣になれない衆院議員がいる。逢沢一郎だ。松下政経塾では野田佳彦前首相と同期だった。1986年の衆院選で初当選。同期には石破茂、鳩山由紀夫、武部勤、武村正義、新井将敬らがいる。議員歴は30年になるが、いまだに大臣になっていない。これは「政界の七不思議」の1つに挙げられている。インターネットの掲示板「2ちゃん」には逢沢ファンが多く、「逢沢一郎先生の入閣を祈るスレ」がたっている。

首相に返り咲いた安倍は、女性を大臣に起用し続けている。前出の3人のほか、当選1回の森雅子(参院議員)を少子化担当相に起用した。そのシワ寄せを受けているのが男性議員で、地味なタイプは当選7回でも大臣になれないでいる。
要職に就いている女性議員が男性議員に比べて優秀というわけではない。高市は自民党政調会長時代、東京電力福島第一原発の事故について「被曝が原因で亡くなった方はいない」と言った。また、丸川は環境相時代、福島県の除染について「年間1㍉シーベルトに科学的な根拠はない。民主党政権の細野(豪志)さんという方が誰にも相談しないで決めた」と言った。
男性議員であれば辞任に追い込まれるか、内閣改造で裏街道に回されるところだ。しかし、この2人は謝罪しただけで済んだ。その後は何事もなかったかのようにメーンストリートを歩き続けている。安倍政権が「女性活躍」をスローガンに掲げ、自ら実践するのはいいが、他に人材はいないのか?と言いたくなる。


【写真の説明】
・存在感が薄い丸川五輪相
・落選した岩城前法相。左側は根本元復興相
・「下村博文文部科学大臣来る!」の看板
・大臣になりたい人々が集まる国会議事堂
・組閣本部が設置される首相官邸
・候補者の街頭演説を聴く有権者
・当選1回で少子化担当相になった森参院議員
・「女性活躍」を推進する安倍首相