東日本各地で「舞祭(まいまつり)」という大会が開催されている。小中学生を主体にしたダンスコンテストで、2001年に始まった「大江戸舞祭」が元祖だ。これが各地に広まり、イベント化した。福島県内ではふくしま舞祭といわき・ら・ら・ミュウYOSAKOI舞祭の2つが知られている。
ふくしま舞祭は2013年夏に第1回大会が開催された。会場は初日がJR郡山駅西口、2日目が羽鳥湖高原レジーナの森(天栄村)。今年は第4回を迎えた。一方、いわき・ら・ら・ミュウYOSAKOI舞祭は2009年秋に第1回大会が開催された。会場はいわき・ら・ら・ミュウ周辺。今年は第7回を迎えた(2011年は中止) 。
写真は、今年8月20日にJR郡山駅西口で開催された大会だ。数十人で繰り広げるヒップホップ調のダンスという性格が強い。よさこいのテイストも入り交じっており、大漁旗を振り回すチームもあった。ただ、鳴子や長半纏といったよさこいの必需品は見当たらなかった。これは、大江戸舞祭の影響が大きい。

大江戸舞祭は、NPO法人大江戸ダンスが開催を提唱した。「ふるさと東京に独自の祭りを定着させる」という狙いがあったので、よさこいをイメージさせる鳴子と長半纏は禁止にした。「祭りを通じて健全な心と体を育成する」という目的もあったので、小中学生を主役と位置づけた。これらの方針は、各地で開催されている舞祭にも受け継がれている。
NPO法人大江戸ダンスは、長谷川記一と高橋誠の2人が2001年に設立した。長谷川は神奈川県生まれ。早稲田大学政経学部卒で、お祭り汗かき人を自称している。石原慎太郎知事(当時)に太いパイプを持つ。心の東京革命推進会議委員、千代田区ちよだフェスティバル実行委員、地球市民会議都知事選「公開討論会」スタッフなどを歴任した。副理事長の高橋誠は群馬県生まれ。駒澤大学経済学部卒。男性4人組コーラス・グループ「JIVE」のメンバーとして活動したあと、音楽プロデューサーに転身し、ダンス音楽の制作に乗り出した。第11回YOSAKOIソーラン祭りで大賞、第12回YOSAKOIソーラン祭りで準大賞をそれぞれ受賞した。

2人は、2001年に新宿・都庁周辺で第1回大江戸舞祭を開催した。長谷川は大会のプロデュース、高橋は音楽を主に担当した。音楽は古賀政男作曲の「東京ラプソティ」を高橋が現代風にアレンジし、「東京ラプソティ2000」とした。これを里アンナがパンチの効いた声で歌った。踊りは、1999年に神田で生まれた大江戸ダンスがベースになった。
大江戸舞祭は、使う曲が基本的に決まっている。出場者が自分たちで曲を用意し、使うことは禁止されている。振り付けも決まっているので、出場者が創作することはできない。みんなが同じ条件で踊って、その技量を競うという大会なのだ。
高橋はその後、「自分たち(長谷川と高橋)が使う曲と振り付けを決めて、出場者はその通りに踊る」という大会規則に違和感を抱き始めた。出場者を縛り付けているような感じがしたのだ。次第に「よさこいのように使う曲や振り付けも出場者が自由に決めればいい」と思うようになった。これに対して、長谷川は従来通りの大会規則にこだわった。このため、高橋は2003年にNPO法人大江戸ダンスを脱退し、翌2004年にザ・舞祭ネットワークを立ち上げた。

高橋は、大江戸舞祭とは別の大会を開催できないかと考えた。よさこいで築いた人脈を駆使して、各地の知り合いに声をかけた。地元の人々に大会を主催してもらい、自分はそれを支援するという方式をとった。音楽は、地元に縁のある曲を高橋がダンスミュージック風にアレンジして提供した。長谷川はよさこいの要素を排除したが、高橋は寛容なスタンスをとった。こうした方針が功を奏し、高橋系の舞祭は関東を中心に各地で開催されるようになった。
【茨城県】ひたち舞祭(日立市)、竜KOI舞祭(龍ヶ崎市)、古河和舞祭(古河市)、久自楽舞祭(常陸太田市)、大洗舞祭(大洗町)、ゆうき舞祭(結城市)、しもだて舞祭(筑西市)、ばんどう舞祭(坂東市)【神奈川県】かわさき舞祭(川崎市川崎区)、こすぎ舞祭(川崎市中原区)【東京都】渋谷舞祭(渋谷区)、いたばし舞祭(板橋区)、東京舞祭(新宿区、台東区)、すぎなみ舞祭(杉並区)、葛飾舞祭(葛飾区)【埼玉県】秩父舞祭(秩父市)【山形県】やまのべ舞祭(山辺町)【福島県】ふくしま舞祭(郡山市、天栄村)、いわき・ら・ら・ミュウYOSAKOI舞祭(いわき市)【愛知県】なごや舞祭(名古屋市中区)

東京舞祭は、秋と春の年2回開催されている。秋は2014年、春は2015年に第1回がそれぞれ開催された。会場は、秋が都庁周辺、春が上野恩賜公園。都庁周辺は大江戸舞祭の会場だったが、東京舞祭がその座を奪う形になった。一方の大江戸舞祭は大江戸ダンスコンテストと改称し、会場は板橋区立文化会館に移った。大会規模を縮小したのだ。
大江戸舞祭は教育的な側面が強く、イベントとしての魅力に欠けた。見物人は出場者の家族だけだったという話もある。都庁周辺を高橋側に明け渡したのは、見物人が少なすぎたからだ。長谷川の後ろ楯になっていた石原が2012年10月末に知事を辞任したのも痛かった。