さいたま市のJR浦和駅西口から歩いて10分、埼玉県庁と向かい合う形でさいたま地裁がある。私の目的地は同地裁101号法廷だ。ただ、同地裁はいくつもの棟で構成されているので、どの棟に何号法廷があるのか分かりづらい。とりあえず正門から一番近い棟に入ってみた。
ロビーに警備員がいたので、「101号法廷はどこですか」と聞いてみた。警備員は「C棟にあります。この建物の裏側です。玄関を出て、左の方向にぐるっと旋回する形になります」と回答した。その通りに歩くと、C棟の看板を掲げた棟があった。ロビーにある案内図で101号法廷の場所を確認。その方向に進むと、すでに十数人が並んでいた。
8月26日の午後12時50分。私はその列に加わり、101号法廷の扉が開くのを待った。午後1時15分からワンセグ裁判の判決が言い渡されることになっていたからだ。原告は埼玉県朝霞市議の大橋昌信、被告はNHK(日本放送協会)=代表者:籾井勝人=だ。大橋は現住所(朝霞市浜崎~)において、NHKと受信契約を締結する義務が存在しないことを確認するため、昨年8月に訴訟を起こした。

大橋は現住所に単身で居住している。通常のテレビは設置されていないが、ワンセグ機能付き携帯電話を所有している。NHKに受信料についての問い合わせをすると、「携帯電話のワンセグ機能も受信料の対象なので、受信契約を結んでください」と言われた。書類も送られてきた。大橋は「ワンセグ機能付きの携帯電話があるだけで、なぜ受信料を払わなければならないのか。放送法を読んでも、そんな条文は見当たらない」と憤慨し、白黒をつけるため、訴訟という手段を選んだ。元NHK職員で、「NHKから国民を守る党」代表の立花孝志が支援した。
大橋は弁護士をつけず、本人裁判という形で公判に臨んだ。これに対して、NHKは三村量一、澤田将史、門野多希子の3人を代理人弁護士として選任した。いずれも長島・大野・常松法律事務所に所属している。三村は東京大学法学部卒。東京地裁判事、東京高裁判事などを経て、弁護士に転身した。澤田は早稲田大学から同大学大学院法務研究科、門野は慶応大学法学部から東京大学法科大学院に進んだ。両陣営の戦力は天と地ほどの開きがある。大橋からすれば、竹槍でB-29に立ち向かうようなものだ。
三村はNHKと縁が深い。NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』の一部は映画『七人の侍』の盗作だとして、黒澤明から著作権を相続した長男・久雄らが2004年1月にNHKと脚本家を相手に損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こした。同年12月に判決が下され、裁判長の三村は「全体的に比較しても、表現上の本質的特徴の類似は感じられない」「双方の脚本には一定の共通点があるものの、『武蔵』には『七人の侍』のような高邁な人間的テーマや高い芸術的要素はうかがえない」として盗作を否定し、原告側全面敗訴の判決を言い渡した。今回、NHKが三村を代理人弁護士に選任したのは、この判決に恩を感じていたから…かどうかは不明だ。

午後1時に101号法廷の扉が開き、傍聴者が次々と中に入った。その際、事務官は「白いカバーがしてある席は避けてください」と言った。その席は報道機関の専用席だからである。傍聴席は40席ぐらいあった。最前列の真ん中の席が空いていたので、私はそこに腰を下ろした。
しばらくすると、被告の代理人弁護士が入廷した。三村と門野の2人で、澤田は欠席らしい。原告の大橋も入廷した。前出の立花も姿を現し、傍聴席の右端(私から見て)最後列に座った。立花は7月の東京都知事選に立候補し、政見放送では「NHKをぶっ壊す!」と連呼した(結果は落選)。知事選に立候補する前は船橋市議を務めていた。

傍聴席はほぼ満員になった。10席ほどある報道機関の専用席も埋まった。裁判官の入廷まで少し時間があったので、私は法廷の様子をノートに描いた。正面に裁判官の席が3つ、右側に代理人弁護士2人、左側に大橋。天井にライトが4つ。ポイントは法廷の立体感をどう表現するか。これでも小学生時代は図工の成績がよく、絵画コンクールでよく表彰された。その才能を発揮したいと思ったが、出来上がった作品は落書きレベルだった。これでは、どう頑張っても法廷画家にはなれない。
 
私がこの裁判を傍聴しようと思ったのは、他でもない。私自身がワンセグ付き携帯電話の所有でNHKに受信料を請求されているからだ。被災地の福島県は2012年3月31日午後12時にテレビのアナログ放送が終了し、地デジに完全移行した。これに伴い、私が所有する旧型テレビは番組を視聴できなくなった。NHK福島放送局に出向き、受信契約の解約を申し出ると、担当者に「ワンセグ付きの携帯電話を持っていますか」と質問された。NHKが携帯電話を受信料の対象にしていることは知っていたが、私は正直に「持ってます」と回答した。すると、担当者は「それでは解約できません」と言った。
携帯電話のワンセグ機能は画面がすぐに固まるので、番組の視聴が難しい。これを受信料の対象にするのは、いくらなんでもやりすぎだ。「NHKのやり方はおかしい」と抗議すると、担当者は「規約で決まっています」と回答した。私は納得できないので、以後4年半、受信料を払っていない。地域スタッフが家に来たら、あるいはNHKふれあいセンター(川崎市)から電話がかかってきたら、「携帯電話のワンセグは使い物にならない。こんなオモチャでよく金をとる気になりますね」と回答している。※本ブログ2016年3月7日付「携帯電話のワンセグ機能も受信料の対象にするNHK~長州力を案内役にしてサイトを開設しようとしたが」参照。

NHKは経費削減を図るため、全国一律の番組ばかり放送している。ローカル番組はほとんどなし。だから、災害のときも被災地視点ではなく、東京視点になる。被災地の状況を全国に伝えるという感じになる。被災地の人たちがそれらの番組を見ると、イライラする。自分たちが見世物にされているような感じがするからだ。私は東日本大震災(原発事故含む)のときにそれを痛感し、地デジ完全移行と同時にテレビと決別した。NHKに受信料を払うのが嫌になったのだ。それなのに、NHKは「解約に応じられない」という。
電気、ガス、水道、電話は、料金を払わなければ使えなくなる。しかし、NHKは料金を払わなくても、電波を飛ばし続けて、「受信料を払え!」と迫る。押し売りと同じである。スクランブル方式を導入すれば、こうした問題は解決する。技術的にはできる。しかし、NHKはスクランブル方式を導入する気がない。解約の申し込みが続出し、受信料収入の減少が確実だからである。

NHKは「公共放送」を自称しているが、その実体は公共とかけ離れている。受信料を税金のように集めておきながら、職員の平均年収は公務員の2倍(1千数百万円)。官と民のいいとこ取りをやっているのだ。コマーシャルがないので企業の影響を受けないと言いながら、政治の影響は受けやすい。国会に予算案を承認してもらわなければならないからだ。NHK職員に国会議員の子弟が多いのは、国会対策の意味がある。新しい放送センターの建設費は3400億円。新国立競技場(ザハ案が2520億円、隈案が1490億円)が可愛く見えるレベルだ。

私はこの4年半、テレビをほとんど見ていない。実家に帰省したときに見るぐらいだ。リオ五輪でさえ1度も見なかった。テレビから離れたことで、その弊害を実感するようになった。社会評論家の大宅壮一は「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」として、「1億総白痴化」いう言葉を生み出した。1957年の話だが、この言葉は約60年後の現在も通用すると思う。
テレビは現実の一部を映しているだけだが、視聴者は全てを映しているように誤解しがちだ。善玉と悪玉を意図的に作り出すこともできる。例えば、リスを主役にして番組を作れば、キツネは悪役になる。リスを食べるからだ。しかし、キツネを主役にして番組を作れば、リスは食料にすぎない。キツネの子どもがリスを捕まえたら、「ようやく自立した。めでたしめでたし」という話になる。かつてプロ野球ファンの大半が巨人ファンだったのは、テレビが巨人を主役にして番組を作っていたからだ。視聴者はテレビ中継を見ているうちに、巨人ファンに洗脳されていたのだ。

【写真の説明】
・原告の大橋昌信朝霞市議
・「NHKから国民を守る党」代表の立花孝志前船橋市議
・複数の棟で構成されているさいたま地裁