プロ野球界では優勝が決まったとき、その場で監督を胴上げする習慣がある。球場全体が最も盛り上がる瞬間だ。ただ、実際に監督の体に触れて胴上げできるのは、選手全体の一部にすぎない。大半の選手は、体に触れないまま胴上げの格好をすることになる。最初から胴上げの輪に加わらず、テレビカメラに向かってジャンプしながら万歳を繰り返す選手もいる。このアクションを流行させたのは、西武時代の工藤公康(現ソフトバンク監督)だ。
当時の工藤は、同僚の渡辺久信(元西武監督)らと共に「球界新人類」と呼ばれていた。西武黄金時代の中心メンバーで、毎年のように日本シリーズのマウンドに上がっていた。バブル経済と若さの相乗効果で公私とも充実し、イケイケの姿勢が目立った。テレビ朝日「ニュースステーション」では、"クドちゃんナベちゃんのキャンプFRIDAY"というコーナーが設けられた。プレーだけでなく、口の方も達者だったのだ。
そんな工藤が1989年、絶不調に陥った。1986年から3年連続で2ケタ勝利を挙げていたのに、この年は4勝しかできなかった。原因は酒の飲み過ぎにあった。練習→試合→夜の街→睡眠という生活を続けたことで、肝機能障害を発症したのだ。診断にあたった医師は「そんな不摂生をしていたら、選手生命どころか、命そのものをなくすよ」と忠告した。チーム内では「あいつは(選手として)終わった」という声が出始め、工藤は戦力外通告も覚悟した。
1989年オフに結婚。相手は茨城県出身の喬木雅子だ。独身時代は水戸のミス梅娘を務めた美人で、2人は清原和博の紹介で知り合ったとされる。工藤は26歳。プロポーズの際は、4歳下の雅子にこう言った。
「来年ダメなら、おそらくクビになる。そのときは田舎で畑を耕しながら、子どもたちに野球を教えるようになるかもしれない」
雅子は「プロ野球選手の工藤公康と結婚したいわけじゃないので、そうなっても構わない」と前置きした上で、次のように返答した。
「もし野球をやめることになったとしても、やるだけのことはやってみない? それでダメだったら、諦めがつく」
雅子は、自堕落な生活をしていた工藤に体質改善を促した。食事の際はテーブルに15品のおかずを並べた。肝臓に良いとされるシジミを使ったみそ汁や酢の物など。野菜や果物も豊富に取り入れた。内臓に負担をかけない料理を研究し、工藤の食欲が高まるように心がけた。
最初は「食事療法」に懐疑的だった工藤も、疲労がとれやすくなったという実感を得るようになった。その後は夜遊びを止めて、試合が終わると、ホームゲームの場合は自宅に直行するようになった。周りが「結婚で別人になった」と驚くほどの変わりようだった。
雅子は勉強の必要性も説いた。
「食事による体質改善は私がやるので、あなたはトレーニング方法を学んで」
工藤は雅子の話に素直に耳を傾けた。従来は球界の枠に縛られたトレーニングをしていたが、外にも目を向けてみることにした。すると、新しい発見があり、なおさら勉強の必要性を感じるようになった。その過程で、雅子の故郷にある筑波大の教授と知り合い、運動生理学などを学んだ。
結婚1年目の1990年は、9勝まで回復した。翌1991年はプロ入り最高の16勝を挙げ、完全復活を印象づけた。この年から5年連続で2ケタ勝利をマークし、球界を代表する投手になった。その後もコンスタントに勝ち続け、40歳になっても年齢的な衰えを見せなかった。このため、工藤がつけた背番号「47」は左腕投手の代名詞になり、他球団の左腕投手もこの背番号をつけ始めた。
西武、ダイエー、巨人、横浜と渡り歩き、最後は盟友・渡辺が監督を務める西武に戻った。2010年に48歳で引退。プロ29年間で通算224勝142敗3セーブの記録を残した。この間、西武、ダイエー、巨人の3球団で日本一を経験した。1987年の日本シリーズ(対巨人)では、胴上げ投手になった。ただ、試合終了前に一塁手の清原が泣き出したので、工藤は主役の座を奪われる形になった。
工藤がこれだけ長く活躍できたのは、本人の素質と努力が第一の要因だ。とはいえ、雅子と結婚しなければ、30代で引退していたはずだ。雅子は食事で工藤の体質改善を図っただけではない。工藤が気弱になると、尻を叩く役目も果たした。工藤が宮崎で自主トレをしたときは、羽田から飛行機に乗り、食事を届けた。
家庭では2男3女の母親として、子育てに励んだ。長男は俳優の阿須加、長女はプロゴルファーの遥加。プロ野球選手の娘は、なぜかゴルファーを目指す傾向がある。オフになるとゴルフ三昧になる父親の影響だろうか。
雅子は工藤より年下だが、キャラクター的には姉さん女房である。工藤の現役時代は妻であり、母親であり、マネージャーでもあった。プロ野球選手の鑑と言っていいだろう。こうした事例を目にすると、プロ野球選手の妻に年上が多い理由が何となく分かる。
ならば、盟友の渡辺はどうか。渡辺の妻は表に出ないので、よく分からない。独身時代は証券会社のOLだったという話もある。結婚直後は顔が公表され、美人と評判になった。
渡辺は独身時代、印象深い言葉を口にした。「好き女性のタイプは?」と質問され、「本当の長女」と回答したのだ。兄がいない、第一子の長女という意味である。
リアル長女は、家庭の中で母親の代理を務めることが多い。小さいころから弟や妹の世話をしているので、大人になっても面倒見がよい。渡辺はそういう女性が好きなタイプだったのだ。
渡辺の妻がリアル長女かどうかは分からない。年齢も不明だが、この言葉から想像すると、姉さん女房的なキャラクターの妻を望んでいたのだろう。