
10月25日、福島県知事選の運動期間が最終日を迎えた。天気は快晴。候補者6人は、有権者の多い都市部や得票が見込める地元を重点的に回り、政策を訴えた。
内堀雅雄(前副知事)は、白河市から北に向かって選挙カーを走らせた。井戸川克隆(元双葉町長)と五十嵐義隆(牧師)は、いわき市を遊説。熊坂義裕(元宮古市長)は郡山市を回ったあと、中通りを北上した。伊関明子(会社役員)は会津地方、金子芳尚(会社役員)は白河市をそれぞれ回った。

内堀、熊坂の2人は福島市内で最後の街頭演説を行った。
熊坂陣営は午後7時、街なか広場前に選挙カーをとめた。集まった支持者は約100人。大半は私服姿で、半分以上が女性だった。福岡政行(東北福祉大特任教授)と把瑠都凱斗(元大関)の2人が応援に駆けつけた。
福岡は、支持者にこう呼び掛けた。
「私は、2月投票の東京都知事選で細川護煕さんを応援するため、マイクを握りました。(早稲田大の)菅原文太先輩も一緒でした。菅原先輩は23日、熊坂さんを応援するため、郡山に来ました。その菅原先輩から電話があり、『福岡君、〈仁義ある戦い〉をやってくれないか』と言われました。それで今日、ここに来たわけです。
私は菅原先輩の8番目の子分です。7番目の子分が渡瀬恒彦(俳優)。彼は同級生ですが、向こうの方が成績がよかった。だから、渡瀬が7番目、私が8番目になったんです。
マスコミの世論調査によると、相手(内堀)にダブルスコアの大差をつけられています。背中がようやく見える程度。でも、あきらめてはいけません。私の教え子が県内にもたくさんいます。すべての政党が(内堀に)相乗りするなんて、ふざけています。自民党、民主党、社民党まで一緒になっている。県民の良識で、こうした現状を変えていただきたい。有力候補と呼ばれる人は県庁の中に13年いただけです。
前知事の佐藤栄佐久さん、菅原先輩、私の3人で話をしたことがあります。栄佐久さんは検察にやられました。贈賄側の水谷建設会長(水谷功)は、裁判で『知事への贈賄のつもりで弟(佐藤祐二)の会社(郡山三東スーツ)の土地を買った』と証言しました。しかし、あとになって、栄佐久さんの主任弁護人である宗像紀夫さんに『検察との取り引きでそう証言したが、事実は違う。知事は潔白だ』と言いました。
県発注の木戸ダム(楢葉町)を前田建設工業に請け負わせるというのは、1999年5月に秋保温泉(仙台市)で開かれた4者会談で決まったことです。いわゆる『秋保会談』で、出席したのは前田建設(寺島一雄副会長)、鹿島建設東北副支店長(門脇一韶)、前の県土木部長(江花亮)、それに水谷会長です。検察は裁判でこう主張しました。2000年1月、栄佐久さんが土木部長(坂本晃一)に『前田建設が頑張っているようだな』と天の声を出したと。しかし、実際はその半年前の談合で決まっていたんです。
福島第一原発から汚染水が大量に漏れています。貯水タンクは仮設や中古品なので、耐久性に不安があります。3年も4年も持つのでしょうか。2020年に東京オリンピックは開催できるんでしょうか。第一原発がそんなに安全なら、国会をその近くに移転すべきです。こういう発言をすると、さまざまな圧力を受ける。しかし、そんなことは関係ありません。
原発反対のリーダーが生まれたら、日本の原発は再稼働できなくなります。有権者の一票で政治や日本を変えられるんです。沖縄(県知事選)は基地反対派が勝ちそうです。熊坂さんが大逆転したら、日本が変わります。安倍晋三首相のデタラメな再稼働をやめさせましょう」

続いて、候補者の熊坂がマイクを握った。
「17日間の遊説を終えて、戻ってきました。遊説の最後にこれだけ多くのみなさんに集まっていただき、ありがとうございます。福島で生まれ育ち、土に帰る。福島を思う気持ちは誰にも負けません。あとの人生をすべて福島に懸けます。
今の福島は『世界のフクシマ』としてマイナスのイメージを背負っています。第一原発は、依然として廃炉の見通しが立たない。ふるさとに戻れない人や子育てに不安を感じているお父さんお母さんもいます。原発事故によって、誇りが傷つけられた。その誇りを取り戻し、マイナスイメージをプラスイメージに変えていきましょう。世界に誇れる素晴らしい福島に。子どもたちが『福島に生まれ育ってよかった』と言えるように。
県内の原発については、廃炉にするのが当然です。県外の原発にもノーと言います。言わなければ(事故があった県の)知事として無責任です。
県民1人ひとりに寄り添い、全力でやります。県民の思いそのものが政策です。私にお任せください。頑張ります。明日、私を知事にさせてください」
福岡と熊坂は選挙カーの上からあいさつしたが、把瑠都は地上でマイクを握った(県南地方では選挙カーの上からあいさつした!)。
「私は11年間、勝負の世界に生きてきました。勝負は勝たなければなりません。明日、みんなの力を合わせて、先生を知事に押し上げましょう。安全で住みやすい福島をつくりましょう」

内堀陣営は午後7時40分、AXCビル前に選挙カーをとめた。集まった支持者は約100人。大半が男性で、その多くがスーツ姿だった。自民党県連会長の岩城光英もいた。
岩城は3月に「わが党は秋の知事選に独自候補を擁立する」と宣言。紆余曲折の末、8月に鉢村健(元日銀福島支店長)の擁立を決めた。しかし、本部にダメ出しされ、内堀に相乗りすることになった。今回の知事選を混乱させ、県内の自民党員を振り回した張本人である。
内堀は岩城のもとに歩み寄り、握手を求めた。岩城もそれに応じたが、握手したのはほんの一瞬だった。本来は敵として戦う関係にあったので、お互いに気まずかったのだろう。
岩城と対照的だったのが、県議の亀岡義尚だ。内堀は亀岡の姿を見つけると、笑顔で近づいた。亀岡の手を握りながら、そのまま話し始めた。亀岡は驚いた表情をしながら、体をのけ反らせた。話の内容は不明だが、2人が親しい関係にあることは容易に想像できる。
それもそのはず、亀岡は民主党県連幹事長として、党内を内堀支持でまとめ上げた。年齢は内堀より1つ上の51歳。内堀が知事になれば、その最側近という立場になる。

内堀は選挙戦を次のように振り返った。
「思えば10月9日、この場所で選挙戦を開始しました。あのときと違うことが3つあります。
1つは顔の色が違います。当時は色白でしたが、今は浅黒くなりました。太陽の下でみなさんと意見交換をしたことが、顔に表れています。
2つ目は声が違います。実は声を潰したんですが、その結果、戦場カメラマンの渡部陽一さんの声に似ていることが分かりました。私を初めて見た人は、渡部陽一さんのイメージがついたと思います。それも悪くはありません。知事に当選したら、渡部さんと対談したいと思います。
3つ目は、私の覚悟が変わりました。10月9日に立候補したときも、強い思いでいました。しかし、今はあのときと全く違います。浜、中、会津と県内を歩き、数えきれないほどの県民と会いました。その過程で、たくさんのメッセージをいただきました。仮設住宅もまた、何ヵ所も回りました。双葉郡から避難している方に『内堀さん、助けてください』と言われました。お婆さんには『生きているうちに(自宅に)帰してくれ』とお願いされました。『内堀さん、あんたに託すから、ぜひ福島を再興してくれ』と言われたこともあります。そういう声を聞いたので、17日前とは違う思いを持つようになったのです。
子どもたちにも会いました。選挙カーが通ると、うるさいと耳を塞ぐ子。手を振って応援してくれる子。抱き上げると、私のひげの部分を触る子もいれば、泣いてしまう子もいる。福島で生まれ育つ子どもたちの未来を切り開かない知事はいらない!
みなさんの叱咤激励を受けとめ、希望を持ってもらう。その役割を果たすのは誰か? 内堀雅雄がやります」
投票は26日午前7時から1296カ所で行われ、即日開票される。投票率は50%を超えるかどうかが焦点だ。

※写真の説明(上から)
・支持者に手を振る熊坂候補
・脱原発を訴える福岡教授
・把瑠都関も応援に駆けつける
・支持者と握手する内堀候補
・浅黒い顔で最後の演説
・民主党県連の亀岡幹事長と談笑
【訂正】
25日付の本ブログ。最後の部分で「TBCラジオ『荻上チキのsession22』~」と書いたが、「TBSラジオ『荻上チキのsession22』~」に訂正する。