
福島市の成人式は毎年、「国体記念体育館」で開催されている。その名前が示す通り、1995年のふくしま国体の開催に合わせて建設された。JR福島駅から西に3㌔ほど行ったところにある。郊外の水田地帯なので、交通の便は悪い。
私は以前、成人式の写真をよく撮影していた。労せずして「いい写真」が撮れるからだ。新成人の自然な笑顔が簡単に撮れる。自分の写真の腕が上達したかと勘違いするほどだった。
通常はカメラのレンズを勝手に向けると、相手に怒られる。しかし、成人式はお祭りなので、レンズを向けても、怒られない。それどころか、身知らずの私に「撮ってくださ~い」と声をかける女性もいた。彼ら彼女たちが仲間同士で記念撮影をするときは、進んでカメラマン役を務めた。
体育館の中には入らず、入口付近で撮影した。周りを見ると、私と同じことをしている人が何人かいた。毎年のように顔を合わせるので、そのうちの1人とは世間話をする関係になった。
福島市は式典当日、JR福島駅と同体育館をつなぐ無料シャトルバスを運行している。新成人の利便性を確保するためだが、1990年代は車内の空席が目立った。バスを利用するのは女性ばかり。晴れ着姿の女性は、親が運転するクルマで会場に来るケースも多い。
問題は男性だ。1990年代は自分のクルマを周りに見せびらかそうとする風潮があった。クルマがステイタスシンボルになっていた。ムダにアクセルを吹かし、自分の存在を周りに誇示しようとした。車内はドライバーのほか、2~3人の同乗者がいた。そういうグループが定番化していたので、バスを利用する男性が少なかったのだ。
しかし、時が経つにつれて、バスの利用者が増えた。男性もバスで会場に来るのが当たり前になった。自分のクルマで会場に来て、ムダにアクセルを吹かす男性は浮いた存在になった。
それは、確かに健全なことである。大人の新成人が増えた証拠だ。一方で、「若者のクルマ離れを象徴する光景だな」とも思った。
そんな時代に危機感を抱いたのが、トヨタ社長の豊田章男だ。クルマ離れが加速したのは、メーカーが採算を重視し、売れるクルマばかり販売しているからではないか。運転する楽しさを体感できる軽量のFR車を提供すれば、クルマに興味を抱く若者が増えるのではないか…。
豊田は自らもレースに出場にするほどのクルマ好き。社内には「そんなクルマは売れない」いう声もあったが、豊田はクルマ需要を掘り起こすという目的を掲げて、開発にゴーサインを出した(当時は副社長)。
トヨタは資本提携しているスバル(富士重工)に協力を求めた。話し合いの末、トヨタが商品企画とデザイン、スバルが設計と製造を担当することになった。開発がスタートしたのは2007年。同じ自動車メーカーであっても、両社はカルチャーが違う。異質のものがぶつかり合えば、新しいものが生まれる。コンセプトカーはFT-86の車名でモーターショーに出展された。
5年にわたって開発が進められ、2012年に発表された。エンジンはスバル製の水平対抗4気筒を搭載。排気量は2000㏄。斜め後方から見たデザインは、往年の名車・トヨタ2000GTに似ている。車名はトヨタ側が86、スバル側がBRZ。車名が違うだけで、中身にたいした違いはない。フロント部分のデザインが少し違うだけ。製造は、トヨタ86も含めて、スバルの群馬製作所が行っている。
86という車名は、かつてトヨタが製造していた軽量FR車「AE86」から取った。正式な車名はカローラレビン&スプリンタートレノ。AE86は形式名だったが、いつの間にか正式な車名のようになった。漫画『イニシャル(頭文字)D』の影響である。
86・BRZの登場で活気づいたのがアフターパーツ業界である。特にチューナーが喜んだ。チューニングカーのベース車両に適しているからだ。ニッサンGT-Rも人気があるが、いかんせん車両価格が高い。現在は最も安いモデルでも900万円ぐらいする。その点、86・BRZは200万円ぐらいなので、一般人でも手が届く範囲にある。
86・BRZはレースやラリー、さらにドリフトのD1でも活躍している。最も有名なのは、スーパーGTの300クラスに出場しているスバルBRZだ。青い車体の側面に「BRZ」の文字。後方には巨大なウイングが設置されている。ただ、このマシンは車名と外観は市販車風だが、中身は純粋なレーシングカーと考えてよい。
盛況なのが、GAZOO Racing 86/BRZレースだ。 ナンバー付の車両で順位を競うレースなので、初心者でも挑戦しやすい。一方で、織戸学や谷口信輝といった有名レーサーも参戦している。
元プロ野球選手の山崎武司は今年1月、このレースに参戦すると表明した。その際、「本業(野球解説)を優先しなければならないので、全10戦に参戦するのは難しい。ただ、4月の第2戦(スポーツランドSUGO)と11月の第10戦(鈴鹿サーキット)はぜひ出場したい」と語った。SUGOは、山崎にとって第2の故郷とも言える仙台にある(正確には隣の村田町)。鈴鹿は、愛知に住む山崎にとってホームサーキットだ。しかし、第2戦は準備が間に合わず、スルーとなった。
山崎の初戦は、7月26日に富士スピードウェイで開催されたシリーズ第6戦。車両ナンバーは、野球選手時代と同じ7。レーシングスーツの背中にも7を入れた。ナナは、娘の名前でもある。
参加車両は90台。予選は1組と2組に分けて行われた。そのタイムに基づき、決勝はA組(予選タイム45位以上)とB組(同46位以下)に分けて行われた。山崎はB組に回り、決勝は30位だった。
第2戦は、9月20日(予選)-21日(決勝)に同じ富士スピードウェイで開催されたシリーズ第8戦。参加車両は91台で、山崎はB組の24位に入った。86のハンドルを握ったのは初戦以来だったが、レース運びは格段に進歩した。予選のタイムは初戦より1・7秒アップした。
山崎の敵は自分自身の体重だ。プロ野球選手を引退して約1年。現在は110㌔あるという。他のドライバーは60㌔ぐらいだから、山崎は50㌔のウエイトハンディを背負っていることになる。車両が重いと、当然のことながら、加速が鈍くなる。ブレーキやタイヤにも負担がかかる。コースのアップダウンが激しいSUGOのレースに出場したら、50㌔のウエイトハンディが数字以上になる。来年もこのレースに参戦するなら、せめて100㌔未満に減量すべきだ。
※写真の説明
・サーキットを疾走するGT300仕様のスバルBRZ(7月20日、スポーツランドSUGOで撮影)