
「満を持して」と言うべきだろうか。任期満了に伴う福島県知事選で、副知事の内堀雅雄(50)が9月11日、立候補を表明した。退職願いを提出した上で記者会見に臨み、「自分は佐藤雄平知事の後継者」という立場をアピール。約1時間の会見中、用意された椅子に座らず、ずっと立ちっ放しだった。
内堀は「継往開来」「現場主義」「進取果敢」という文字が書いてあるボードを掲げながら、次のように言った。
「先人たち、雄平知事、先輩方の福島に対する思いを胸に未来を開きたい(継往開来)」「県民、地域、現場の皆さんの声を聞いて、県政にフィードバックしていきたい(現場主義)」「復興のために新しいことにチャレンジして、結果を出していきたい(進取果敢)」
内堀は副知事として8年間、知事の佐藤に支えた。企業で言えば、佐藤がCEO(最高経営責任者)、内堀がCOO(最高執行責任者)という役職にあった。そうした事実を踏まえ、「私が知事の政策や気持ちを一番分かっている」「知事と一緒に作った復興政策を着実に進める」と強調した。
内堀が知事候補の本命として浮上したのは、佐藤が不出馬を表明した9月4日のことだ。それ以前も名前は挙がっており、自民党県連に立候補を打診されたこともある。しかし、内堀はその気がないような素振りを見せていた。佐藤が進退を明らかにしない段階で知事の座に色気を見せると、周りに「明智光秀」のレッテルを張られるからだ。
内堀は長野出身。自治省から福島県に出向し、生活環境部長や企画調整部長を務めた。2006年に副知事ヘ。42歳(当時)の内堀を抜擢したのは、知事に初当選したばかりの佐藤である。
2人の関係を象徴するシーンを見たことがある。確か2007年5月だった。場所は県営あづま陸上競技場(福島市)。この日、東京電力女子サッカー部マリーゼと福岡Jアンクラスの試合が「1万人応援プロジェクト」というタイトルで開催され、佐藤と内堀が揃って観戦した。
試合後、2人はスタジアムの正面に停めた車まで一緒に歩いた。車種は、佐藤が日産プレジデント、内堀がトヨタセンチュリー。内堀は、佐藤が車に乗り込む姿を直立不動で見守った。佐藤の車が走り出すと、頭を下げて見送った。車が見えなくなるまで、その格好を続けた。
あれから7年がたち、内堀は「雄平知事」と下の名前で気安く呼ぶようになった。ただ、佐藤に忠誠を誓うというスタンスは相変わらずで、自民党県連の誘いにも乗らなかった。その姿を民主党県連などに評価され、知事候補の本命に躍り出た。見事な戦略と言うしかない。

対照的なのが、元日銀福島支店長の鉢村健(55)だ。自民党県連に立候補を打診され、やる気になった。日銀を退職し、8月17日に立候補を表明。自民党県連の推薦を受け、すぐさま県内で選挙活動をスタートさせた。選挙事務所は福島県庁近くの商店街の一角に開設。選挙用の名刺やパンフレットも作成した。しかし、自民党本部が鉢村の推薦に難色を示したことから、支持基盤の拡大にブレーキがかかった。
自民党は7月の滋賀県知事選で推薦候補が落選した。11月の沖縄県知事選でも苦戦が予想されている。10月の福島県知事選で負けると、知事選3連敗となる。安倍政権の求心力が低下し、政権運営に支障が出るのは必至。だから、鉢村を降ろし、民主党が擁立する候補に相乗りしようとしたのだ。この場合は事実上「不戦敗」となるが、推薦候補が落選するよりダメージは少ない。

自民党選対委員長の茂木敏充は9月10日、県連会長の岩城光英に対して「鉢村を推薦しない」と通告した。岩城はこれを了承し、鉢村の支援を断念した。茂木は翌11日、鉢村を自民党本部(東京)によんで「推薦を見送る」と伝えた。鉢村は福島に戻り、選挙事務所で記者会見を開いた。
「手足をもぎ取られ、この事務所を開くこともできないまま、今日を迎えた。(立候補の見送りは)断腸の思いだが、致し方ない。これ以上、戦いを続けると、県民の分断を深めることになる」
鉢村は、Facebookでも立候補の見送りを表明した。
《昨日、自民党福島県連から、鉢村では福島県知事選は戦えなくなったと、通告がありました。私は、幅広く県民の皆さんからご支持をいただきたいと申し上げ、この1カ月間、福島県内全域を走り回り、被災地にも限界集落にも出かけ県民の声を沢山お聞きしました。
今のままでは福島県内の復興格差は拡大し、将来の福島の進路には暗雲が垂れ込めると思います。しかし、当初は支持を表明していた各種団体やそのトップである友人すらも、支援打ち切りを通告してきました。
そうした中で、個人の資格で最後まで支援するので、選挙を戦い抜こうと激励する仲間もいます。しかし、私がこれ以上、戦いを継続すればする程、福島県民の分断は深まり、将来に遺恨を残すことになります。
放射能災害によって福島県も県民も分断されました。ふくしまの確かな未来を掴むには福島県民の全ての方々が、地域毎の『誇り』を取り戻し、結束することが必要です。
私の願いは、福島県に生きる人々と共に新たな福島を創造して、世界に発信することでした。福島県知事は福島県民が選ぶものです。信義誠実に基づき、私利私欲のない新たなリーダーが福島県民の為に誕生することを願っています》
前述したように、鉢村は自民党県連に立候補を打診され、やる気になった。その後、自民党本部の推薦を受けられないという話が出ても、鉢村は平然としていた。選挙戦の主体は県連関係者であって、党本部の推薦は看板にすぎない。鉢村はその看板がなくても選挙はできると受けとめていたのだ。
ところが、本部は県連に鉢村の推薦を取り消すように迫った。鉢村本人にも立候補を断念するように圧力をかけた。県連推薦の鉢村が落選すると、対外的には「自民党が負けた」と解釈される。だから、こうした強引な対応をとったのだ。
鉢村が降りたことで、内堀に早くも当確ランプが点滅し始めた。内堀は政党の推薦を受けない方針だが、与野党が支援に動くのは確実。つい1カ月前は「候補者がゼロ」と喧伝されていたのに、お盆すぎから事態が急変。結果として、告示の1カ月前に大勢が判明してしまうという展開になった。これからアッと驚くような人物が名乗りあげる可能性もあるが、その確率は著しく低い。
意外だったのは増子輝彦(66)だ。欧米視察から帰国した直後は、言葉の隅々に知事への意欲が感じられた。しかし、民主党県連内で内堀擁立が決まると、あっさりと引き下がった。県連会長なので動きづらいのは確かだが、往年の突破力はどうしたのか?と首をかしげてしまう。
※写真の説明(上から)
・日銀の鉢村健元支店長
・鉢村陣営の選挙事務所
・「はちむらたけし」の看板