「フェスティバルFUKUSHIMA!2014納涼!盆踊り」の会場になった福島市の街なか広場は、JR福島駅東口から歩いて5分ほどの距離にある。かつてはエンドーチェーン(本社・仙台市)が福島駅前店を構えていたが、1991年に撤退した。建物が空き家になったため、福島市が敷地を取得し、更地にしてイベントなどに活用するようになった。
広さは約1000平方㍍。フェスティバルFUKUSHIMA!では、ここに風呂敷が敷き詰められた。さらに、メーンステージと櫓(やぐら)6つが設置された。メーンステージには大友良英スペシャルビッグバンドが陣取った。櫓は高さ約2・5㍍のものが2つ、同約0・5㍍のものが4つ。高い方は長見順と岡地曙裕がそれぞれ占拠し、ギターとドラムを演奏した。低い方では「珍しいキノコ舞踊団」のメンバーが踊り、参加者に手本を示した。

大友はこの盆踊りのために、いくつかのオリジナル曲を制作した。「あまちゃん音頭」「ええじゃないか音頭」「新生相馬盆歌」「クダラナ庄助音頭」「地元に帰ろう音頭」…。
「地元に帰ろう音頭」を演奏するとき、大友は参加者にNHK『あまちゃん』の話をした。
「アキちゃんは北三陸に行くときに『地元に帰ろう』を歌った。東京の世田谷出身なのに、北三陸を地元と思っていた。その人が『地元』と思ったところが地元でいい。今日はここ(福島市)がみんなの地元。県外から来た人も、そう思って踊ってほしい」
この話の前半は、宮藤官九郎の創作が基になっている。ただ、後半は大友の実体験である。
横浜で生まれた大友は、9歳(小学3年)のときに福島へ引っ越した。父親の仕事の都合なので、福島には祖父母どころか、親戚もいなかった。縁もゆかりもない土地なので、ずっと馴染めなかった。福島弁も口にしなかった。「自分はよそ者」と思いながら、福島で生活していたのだ。
大学進学で上京すると、福島時代の知り合いとは疎遠になった。両親はずっと福島に住んでいるので、正月ぐらいは帰った。福島との接点は、その程度だったのだ。

そんな男がなぜ、福島の復興に立ち上がったのか。大友は各メディアで次のように語っている。
「福島なんかもう関係ないって思ってたんだけど、震災と原発事故が起こってみると、自分が育った場所なんだって初めて気づいた」(NHK「課外授業ようこそ先輩」2012年7月21日放送)
「横浜から転校してきて、自分は周りと違うって思っていた。弟はまだ小さかったからすぐに馴染んだんだけど、オレはいまでも方言を話さない。どこかで福島を見下していたんだと思う。でも、やっぱりオレは福島で育ったんだなって。それは確かなんだなって」(AERA「現代の肖像」2013年12月23日号)
「原発事故のあと、ドイツのデモの映像を見て、『ノーモア・フクシマ』とあった。ふざけんな、と。原発はノーモアだけど、福島はノーモアじゃない。福島に帰属意識があると自分もびっくりした」(朝日新聞2014年1月6日付)
大友は3・11以降、福島を「地元」と捉える感情が芽生えた。復興活動に取り組んだことで、その感情は次第に強くなった。ただ、大友は依然として「自分は福島で生まれたわけではないし、福島弁もしゃべれない」という負い目のようなものがあった。
そんなとき、1年住んだだけの北三陸を「地元」と言い切るアキちゃんと(テレビの画面を通じて)出会った。大友は気づいた。「地元は自分自身で決めていいんだ。どこで生まれたとか土地の言葉をしゃべれるかどうかは関係ないんだ」と。その瞬間、心の中のモヤモヤが消え、福島を素直に「地元」と言えるようになった。その実体験が、前述した話につながったのだ。

会場には木村真三(獨協医科大学准教授)と開沼博(福島大学特任研究員)の姿もあった。共に浴衣姿。木村は身長が177㌢で、がっしりとした体格をしている。朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠』(学研パブリッシング)によると、高校時代はプロレスラーになりたいと思っていたという。ワルだったので、卒業時は暴力団にスカウトされた。一方、開沼は同182㌢(推定)。中学3年から高校2年までの3年間は極真空手に熱中し、「将来は格闘技で生計を立てたい」と考えていた。
大友と木村の関係は、15日付の本ブログで紹介した。木村はフェスティバルFUKUSHIMA!に第1回から顔を出している。皆勤賞だ。今回は盆踊りや旗降りにも参加した。
大友と開沼の関係がスタートしたのは、本がきっかけだった。大友は2011年秋に『フクシマ論』(青土社)を読み、著者の開沼に会ってみたいと思った。翌2012年3月に東京のロフトワンプラスで2人の対談が実現。タイトルは「3.11から一年。福島をめぐる分断状況と忘却に私たちはどう向き合うか」だった。また、AERA「現代の肖像」(前出)は、開沼が記事を書いた。取材の過程で、開沼は大友がパーソナリティを務めるKBS京都「JAMJAMラジオ」に出演した。2人は8月30日、岡山県津山市でも対談する予定。

フェスティバルFUKUSHIMA!の終盤、大友は2人の名前を呼んだ。開沼、木村の順でステージへ上がり、大友と会話を交した。
大友「開沼さんはいわき出身ですね」
開沼「高校を卒業するまで居ました。今はこの近くに住んでいます」
大友「このイベントに参加したのは、今年が初めてかな?」
開沼「昨年の今ごろはチェルノブイリに行ってました」
大友「行けば、新たな発見がある?」
開沼「そうですね。日本で『チェルノブイリ』というと、原発事故のおどろおどろしいイメージが強い。しかし、現地には人が住んでいるので、そうしたイメージで片づけるわけには行きません」
一方、大友は木村を「二本松に住んでいる」と紹介した。すると、木村は「二本松は(獨協医科大学の)福島分室があるところです。住んでいるのは郡山。福島県民です」と言った。
同大は2011年11月、二本松市に福島分室を設けた。被災者の健康調査を支援するためで、木村はその室長に就任した。大学の活動とは別にNPO法人「放射線衛生学研究所」を設立し、放射線についての勉強会を一般県民と開いている。


※16日付のブログに「県土のほぼ中央にある郡山市は明治、大正、昭和の各3回、大規模な県庁誘致運動を展開した」と書いた。これは誤解を招く表現だった。「県土のほぼ中央にある郡山市は明治、大正、昭和の各年代に計3回、大規模な県庁誘致運動を展開した」に訂正する。