
福島市の街なか広場で8月15日、「フェスティバルFUKUSHIMA!2014納涼!盆踊り」が開催される。NPO法人プロジェクトFUKUSHIMA(遠藤ミチロウ、大友良英、和合亮一共同代表)の主催で、今回が4回目。NHK「あまちゃん」のテーマ曲で知られる大友良英スペシャルビッグバンドの演奏のほか、ミュージシャンと一般参加者が混在一体となった盆踊り大会などが行われる。
このイベントは2011年8月15日に第1回が開催された。会場は福島市郊外の「四季の里」。第2回以降は、会場が福島市の中心部になった。内容は少しずつ変化しているが、「音楽と踊りをみんなで楽しもう」というコンセプトは一貫している。主催者は第一回から前出の3人で、いずれも県立福島高校の卒業生だ。遠藤はパンクバンド「スターリン」のメンバーとして知られる。大友はギタリストで、「あまちゃん」の音楽を手掛けた。和合は県立高校の国語教諭であり、詩人でもある。

このイベントを発案したのは遠藤だ。震災と原発事故が起きた2011年3月、同じミュージシャンの大友に連絡をとった。遠藤は唐突に「福島で野外フェスをやらないか。終戦記念日の8月15日がいい」と持ちかけた。
「こういうときこそ、祭りを開催しないと。祭りをやれば、人が集まる」
福島は原発事故の被害が大きく、県そのものがどうなるか分からないと言われていた時期だ。大友は戸惑い、回答を保留した。
その一方で、大友は故郷・福島の状況を知りたいと思い、インターネットで情報を集めていた。その過程で、和合のツイッターが目に入った。
和合がツイッターで発信する情報は当初、ニュース報道のようだった。現地の様子を文字で克明に描写していた。そのうち、表現が抽象的になり、やがて詩に移行した。それらは「詩の礫(つぶて)」というタイトルになった。大友はその世界に引き込まれ、ツイッターを通して和合に連絡をとった。

2人は4月、福島で会った。音楽好きの和合は、高校の先輩でもある大友の名前を知っていた。大友は和合に「ミチロウさんが野外フェスをやりたいと言ってるんだよ」と打ち明けた。そこには「困った先輩だ」というニュアンスが込められていた。和合も開催に懐疑的だった。しかし、会話を重ねているうちに、2人はやる気がわいてきた。
「このままでは『福島』という地名にネガティブなイメージがついてしまう。福島から新しい文化を発信し、ポジティブなイメージに転換しなければならない」
3人は翌5月、早くもイベントの開催をマスコミに発表した。会場は福島市の中では放射線量が割合と低い「四季の里」を選んだ。
この計画に対しては、インターネット上で批判が相次いだ。「福島で野外イベントを開催し、多くの人を集めるなんて正気かよ?」「わざわざ放射線を浴びるようなことをして、文化も何もあったもんじゃない」など。大友らも内心、四季の里の放射線量が気になっていた。「イベントを開催しても問題ない」「人体に影響を与えるレベルではない」と言い切る自信がなかったのだ。
そんなとき、力強いアドバイザーが現れた。放射線衛生学者の木村真三だ。木村は原発事故が発生した直後、車で福島県内を走り回り、各地の放射線量を綿密に測定した。その模様が5月15日、NHK教育テレビで放映された。番組名は「ネットワークでつくる放射能汚染地図」。番組を見た大友は、すぐさま人を介して木村に連絡をとり、協力を要請した。
木村はそれに応え、6月に四季の里の放射線量を測定した。その上で開催にゴーサインを出したが、こんなアドバイスもした。
「芝生は放射性物質が吸着しやすい。そこに足を直に踏み入れると、靴の裏に付着してしまう。布やシートを敷けば、空間放射線量は下がらないものの、放射性物質の拡散は防ぐことができる」
ここから会場に風呂敷を広げるという突拍子もないプランが生まれた。木村の実利的なアドバイスが、華やかな演出につながったのだ。

遠藤と大友が主催者なので、イベントも音楽がメーンになった。遠藤は往年の過激なライブを披露した。これに対して、大友は見るだけでなく、参加するイベントにしたいと考えた。来場者に楽器を持ってきてもらい、みんなで即興演奏をしたのだ。大友が指揮者をつとめた。音が揃うのかという不安があったが、やってみると、それなりに形になった。
第2回(2012年8月15日)の模様は、本ブログでレポートした。2012年8月17、18、19、21、23、24日付を読んでいただきたい。
第3回(2013年8月15日)は、盆踊りが新たに行われた。発案したのは遠藤だ。大友は最初、これに否定的な見解を示した。盆踊りは「地域の祭り」という色合いが濃い。原発事故で故郷を離れた人もいる中で、地域の祭りをやることに躊躇いがあったのだ。しかし、遠藤は「だからこそ、やるんだ」と言った。地元にいる人も離れた人も、垣根を取り払って一緒に踊ろうじゃないか、と。大友は「それもそうだな」と思い直した。
実際にやってみると、これが大盛り上がりだった。福島人は総じて恥ずかしがり屋なので、こういう場合は、第三者的に見ている人が多くなりがちだ。しかし、この盆踊りは老若男女が入り乱れて、「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊りまくった。それに気をよくした大友は、第4回の2014年も盆踊りを大々的に行うことにした。

今でこそ復興イベントの仕掛人的な立場にある大友だが、実は福島が嫌いで嫌いで仕方がなかった。生まれは横浜。小学3年のときに、父親の仕事の都合で福島に引っ越した。福島に馴染めず、福島弁もしゃべろうとしなかった。明治大学に進学したのは、福島を離れる理由をつくるためである(中退)。以来、福島の知り合いとはほぼ絶縁状態だった。両親はずっと福島に住んでいるので、正月になれば帰っていた。福島との接点は、それぐらいだった。
そんな生活が震災と原発事故で大きく変わった。福島に帰る機会が増え、イベントの主催者になった。
大友はJ-WAVE「HEART TO HEART」(5月4日放送)に出演し、パーソナリティの箭内道彦にこう言った。
「僕は福島に2度と関わらないと思っていた。それが、今では関わらないどころか、盆踊りまでやるようになった。知り合いも増えた。20代の僕が今の僕を見たら、ビックリするだろうね」
大友は8月14日、会場の街なか広場に現れた。会場の設営作業に加わり、周りに指示を出した。心配なのは15日の天候だ。天気予報では「降水確率60%」となっている。大友は携帯電話でそれを確認し、渋い顔をした。
※写真は8月14日、福島市の街なか広場で撮影した。