森進一は1985年、チャリティーグループ「じゃがいもの会」を結成した。森昌子、小林幸子、大川栄策ら歌手仲間5人が参加。この名前は江戸時代、人々を飢きんから救ったといわれるジャガイモからとった。森はこの活動を通じて昌子と親密になり、翌86年に結婚した。昌子は歌手を引退し、専業主婦になった。2人の間には3人の子ども(いずれも男児)ができ、芸能メディアから「理想の夫婦」「おしどり夫婦」と呼ばれた。
2人の関係にヒビが入ったのは、妻の歌手復帰と長男の学業問題がきっかけだった。
森は2002年から昌子とともにジョイント・コンサートを行うようになった。森が要請したもので、これにより地方公演のチケット販売が好調になった。ファンは森夫妻の共演を待ち望んでいたのだ。とはいえ、家庭に入った昌子にとって、歌手復帰は大きな負担だった。
長男の貴寛は、慶應幼稚舎(小学校課程)から慶應湘南藤沢中・高等部に進んだ。この間、ジャニーズ事務所に所属し、芸能活動を始めた。森の反対で一度は活動をやめたが、本人は継続したかったようだ。慶應系列校から芸能人が多い堀越高校に転校。昌子は本人の意思を尊重したが、森は激怒し、半ば勘当状態にした。
森は仕事(お金)と学歴に強烈なこだわりがある。それは、森の人生を振り返れば、自然なことだった。
小中学生時代にお金で苦労したので、仕事がなくなることに対して常に恐怖感を抱いている。渡辺プロダクションから独立したときは、民放全局から干された。渡辺プロが「森を出演させるなら、うちのタレントはおたくに出さない」と圧力をかけたからだ。父親代わりの川内康範のバックアップでNHKには出演できたが、仕事は激減した。2000年代はヒット曲が出ず、不景気で仕事も減っていた。だから、昌子に助っ人を依頼したのだ。
森は家族の生活を支えるため、中卒で働き始めた。当時の高校進学率は約60%なので、中卒自体はさほど珍しくなかった。ただ、弟を慶應高校から日大医学部に進ませたことを考えると、学歴に対する劣等感はあったのだろう。弟は森の期待に応えた。息子たちも同じような道を歩ませようとしたが、慶應系列校に入った長男は芸能活動に憧れた。
森のやったことに間違いはない。仕事を増やし、ファンに喜んでもらおうとすれば、歌手だった妻を復帰させるのが一番だ。「長男に学歴をつけさせ、安定した仕事に就かせたい」と考えるのも、親として当然だ。しかし、妻と長男の意思は逆だった。それが原因で、森は家庭の中で孤立感を深めていった。
2人の関係にヒビが入ったのは、妻の歌手復帰と長男の学業問題がきっかけだった。
森は2002年から昌子とともにジョイント・コンサートを行うようになった。森が要請したもので、これにより地方公演のチケット販売が好調になった。ファンは森夫妻の共演を待ち望んでいたのだ。とはいえ、家庭に入った昌子にとって、歌手復帰は大きな負担だった。
長男の貴寛は、慶應幼稚舎(小学校課程)から慶應湘南藤沢中・高等部に進んだ。この間、ジャニーズ事務所に所属し、芸能活動を始めた。森の反対で一度は活動をやめたが、本人は継続したかったようだ。慶應系列校から芸能人が多い堀越高校に転校。昌子は本人の意思を尊重したが、森は激怒し、半ば勘当状態にした。
森は仕事(お金)と学歴に強烈なこだわりがある。それは、森の人生を振り返れば、自然なことだった。
小中学生時代にお金で苦労したので、仕事がなくなることに対して常に恐怖感を抱いている。渡辺プロダクションから独立したときは、民放全局から干された。渡辺プロが「森を出演させるなら、うちのタレントはおたくに出さない」と圧力をかけたからだ。父親代わりの川内康範のバックアップでNHKには出演できたが、仕事は激減した。2000年代はヒット曲が出ず、不景気で仕事も減っていた。だから、昌子に助っ人を依頼したのだ。
森は家族の生活を支えるため、中卒で働き始めた。当時の高校進学率は約60%なので、中卒自体はさほど珍しくなかった。ただ、弟を慶應高校から日大医学部に進ませたことを考えると、学歴に対する劣等感はあったのだろう。弟は森の期待に応えた。息子たちも同じような道を歩ませようとしたが、慶應系列校に入った長男は芸能活動に憧れた。
森のやったことに間違いはない。仕事を増やし、ファンに喜んでもらおうとすれば、歌手だった妻を復帰させるのが一番だ。「長男に学歴をつけさせ、安定した仕事に就かせたい」と考えるのも、親として当然だ。しかし、妻と長男の意思は逆だった。それが原因で、森は家庭の中で孤立感を深めていった。