毎日新聞5月5日付に「誤解多い『放射線の影響』」というコラムが載った。執筆したのは、同紙の斗ヶ沢秀俊・水と緑の地球環境本部長兼編集委員だ。
要約は次の通り。
▽2月下旬、『週刊文春』が「福島県から北海道に避難した子ども2人が甲状腺がんの疑い」という記事を掲載した。
▽私はツイッターで「福島第1原発事故から1年で放射線に起因する甲状腺がんが発生することはない。『文春の記事は、事故と関連があるかのように印象付けている点で、勉強不足、または売らんがための記事だ」と批判した。
▽私のツイートを見てくれているフォロワー(現在5900人)の何人かがそれをツイートしてくれ、一気に広がった。フォロワーの医師がすぐに、甲状腺がんの詳細な説明付きで「原発事故とは無関係」と断じる連続ツイートを返してくれた。
▽メディアには根拠の不確かな情報が飛びかう。子供の鼻血や下痢の症状があたかも放射線の影響であるかのように報じた朝日新聞、東京新聞の記事や「福島、郡山市には人が住めない」との見出しの虚報をした著名ジャーナリストを批判した。
▽放射線を過剰に危険視している人たちからは「御用ジャーナリストは引っ込め」などの非難を浴びる。科学環境部記者だった私は一貫して脱原発を主張してきたのだが。
▽返り血を覚悟で批判する理由はただ一つ。放射線の影響に関する誤解や根拠のない情報が福島県や周辺県に住む人々を不安にさせたり、福島県民差別につながることを防ぎたいからだ。
週刊文春の記事とは「衝撃スクープ・郡山4歳と7歳児に『甲状腺がん』の疑い!」(2012年3月1日号)、朝日新聞の記事とは「〈ニュース圏外〉放射能恐れ沖縄へ」(2011年11月22日付)、東京新聞の記事とは「大量の鼻血、下痢、倦怠感『こちら特報部』」(同年6月16日付)、「著名ジャーナリスト」とは夕刊フジ(同年3月14日付)に「福島、郡山市には人が住めない」という見出しの記事を書いた上杉隆氏のことだ。
穏健な紙面づくりをする毎日新聞の記者(編集委員)が、同業他社の記事を批判するのは珍しい。ましてや週刊誌やタブロイド紙の記事を論評するのは異例だ。通常は批判どころか、相手にもしない。「週刊誌やタブロイド紙は、真実の追求より刺激の強さを優先するメディア」と見ているからだ。真実の追求を二の次にしているメディアに対して、「その記事は事実と違うのではないか」と問いかけても意味がない。
尋常ではないのは、斗ヶ沢氏が「返り血を覚悟で」という言葉を使っていることだ。なぜ、それほどの覚悟をしないと、こうしたコラムを書けなかったのか。その理由をこのシリーズで探ってみよう。
要約は次の通り。
▽2月下旬、『週刊文春』が「福島県から北海道に避難した子ども2人が甲状腺がんの疑い」という記事を掲載した。
▽私はツイッターで「福島第1原発事故から1年で放射線に起因する甲状腺がんが発生することはない。『文春の記事は、事故と関連があるかのように印象付けている点で、勉強不足、または売らんがための記事だ」と批判した。
▽私のツイートを見てくれているフォロワー(現在5900人)の何人かがそれをツイートしてくれ、一気に広がった。フォロワーの医師がすぐに、甲状腺がんの詳細な説明付きで「原発事故とは無関係」と断じる連続ツイートを返してくれた。
▽メディアには根拠の不確かな情報が飛びかう。子供の鼻血や下痢の症状があたかも放射線の影響であるかのように報じた朝日新聞、東京新聞の記事や「福島、郡山市には人が住めない」との見出しの虚報をした著名ジャーナリストを批判した。
▽放射線を過剰に危険視している人たちからは「御用ジャーナリストは引っ込め」などの非難を浴びる。科学環境部記者だった私は一貫して脱原発を主張してきたのだが。
▽返り血を覚悟で批判する理由はただ一つ。放射線の影響に関する誤解や根拠のない情報が福島県や周辺県に住む人々を不安にさせたり、福島県民差別につながることを防ぎたいからだ。
週刊文春の記事とは「衝撃スクープ・郡山4歳と7歳児に『甲状腺がん』の疑い!」(2012年3月1日号)、朝日新聞の記事とは「〈ニュース圏外〉放射能恐れ沖縄へ」(2011年11月22日付)、東京新聞の記事とは「大量の鼻血、下痢、倦怠感『こちら特報部』」(同年6月16日付)、「著名ジャーナリスト」とは夕刊フジ(同年3月14日付)に「福島、郡山市には人が住めない」という見出しの記事を書いた上杉隆氏のことだ。
穏健な紙面づくりをする毎日新聞の記者(編集委員)が、同業他社の記事を批判するのは珍しい。ましてや週刊誌やタブロイド紙の記事を論評するのは異例だ。通常は批判どころか、相手にもしない。「週刊誌やタブロイド紙は、真実の追求より刺激の強さを優先するメディア」と見ているからだ。真実の追求を二の次にしているメディアに対して、「その記事は事実と違うのではないか」と問いかけても意味がない。
尋常ではないのは、斗ヶ沢氏が「返り血を覚悟で」という言葉を使っていることだ。なぜ、それほどの覚悟をしないと、こうしたコラムを書けなかったのか。その理由をこのシリーズで探ってみよう。