現在93歳の元兵士。

彼は第二次世界大戦の時、現在のパプアニューギニアの激戦地にいました。

招集されたのは、21歳の時。当然兵士としての経験がないので、初等教育をうけました。

その内容たるや、強い兵士を作るため、両頬を叩かれる往復ビンタの毎日。先輩からは、手が痛いからと地下足袋でなぐられたことも、、、

そのパプアニューギニアでは、米軍と交戦になり、追い詰められ退却命令。

米五合と高野豆腐五枚のみの支給で、100日かかっての退却。当然食料は足りないので、カエルトカゲなど、動いているものはなんでも口に入れたそうです。

ジャングルの暑さで動けなくなった兵士は置き去りにされ、見捨てられました。

彼の地では、3000人が餓死した。

同期で、度胸だめしのため中国人の捕虜を刺殺するよう言われできなかった人は、根性を叩き直す、と連日殴られる制裁に耐えられず、自らの銃で命をたった人もいたそうです。

その彼は言います。

兵隊は、一銭五厘で召集された軽い命だったと。

二度とこんな思いを日本の若者たちに味わって欲しくないから、生き残った自分が戦争の惨禍を伝えなくてはいけないと。

集団的自衛権は、その危険な道への扉です。

絶対に開けてはいけない!