あなたは、身近にいる人に本当に敬意を持っていますか?」


いやなことが起きたときに、自分に上の疑問を投げかけます。

自分自身の「感情」と「理性」のバランスをチェックするのです。


(具体的に)

例えば、恋人・配偶者について

家に帰って、ちょっと遅めの晩飯

彼女は準備を淡々としています。


でも私は、気分は、まだ仕事を引きずっていてPCを眺めていた、

としましょう。


その時、声が聞こえます。


「なんで、かたづけないの?

 なんで、私だけが用意しなくちゃいけないの?」パンチ!


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」えっ

 何も、弁護の言葉が浮かびません。


 なぜなら、”なんで” には

自分が唯一の正義と信じて

相手の不正義をせめる言葉だから。


全ての反論は、”却下”なのです。



 自分の思考を中断されたことに、反射的に”怒り”が湧き起こります。

 ”俺の人生を邪魔するために生まれてきたのか、お前は?!”

 (言葉にはしません。しかし、態度に現れてしまう。)


殺伐とした雰囲気になってしまいます。手裏剣



きっと正しい答えは、「ごめんなさい」ですね。(*´Д`)=з




彼女がどういう気持ちで、自分を待っていてくれて、

料理をしてくれたのか。


「理性」で考えれば判ります。


「感情」に「感情」で応えれば、全てを失う危うさを感じました。



そこで、気づきました。

今の自分が、バランスがとれているか、確認する方法。

それが”敬意”です。


自分から遠い人に対して、”尊敬”すると言うのは簡単なこと。

なぜなら、直接的に利害がないからです。

しかし、

自分のすぐ隣の人に対して、いかなる場合も”敬意”を示すことは

難しいことです。

なぜなら、直接的に利害を共有してしまうからです。


”敵”といわれる人に対しても、

人として自分と同じ存在価値を認める”敬意”を失わず、

「理性」で対応できる。


そんな自分でありたい、と思います。m(_ _ )m