資本君は、東京で一浪しましたが、桜咲かず、本人曰く、

自分より他の人が頑張り、自分の努力が足りなかった

家業の土建屋も経営が上手くいかず倒産していました。

母親にプロスポーツの選手に成ることを勧められ、実家の食い扶持を減らすために

プロの仕事に就く決心をしました。

後日談ですが、

「自分は、建築家には不向きだったと思う。

たまたま、中3の時の担任が数学の先生で教えが上手く数学が物凄く良くなった。

自分は、文系が得意と思っていたけど、理系もいけると思い出した。

家業の土建屋を継ぐつもりで建築家を志したが、絵や図面が得意な分野では無かった。

人や文化がより好きだったので文系の方から都市計画などに携われたらと思っていた。

もし建築家に成っていたら行き詰まっていたと思う。」

資本君の母親の弟:叔父が競輪選手で有り、スポーツの才能がありそうだという事で弟子

として入門、エンピツ握って3年後、

即、寒さの残る早朝から毎日約100キロのハードトレーニング、

血尿とサドルの痛さで1週間で泣きを入れたそうです。


当時、後楽園競輪場は、平日でも3万人位の観客数、野球の巨人戦より

観客数が多かったと聞いています。 1973年04月美濃部都知事が後楽園競輪休止。

プロスポーツの年収で最初に1000万円台に、1億円台になったのも競輪選手でした

公営ギャンブル競輪が戦後の復興、自転車、機械産業の振興の目的を果たすとともに、

パチンコ産業が市民権を得たことに因って公営ギャンブルは、大幅な収益減と成りました。

以前は、不況な時ほど、公営ギャンブルの売上が増すと言われていましたが、

今は、パチンコ屋の方が、場所も人数も遥かに多いです。

資本君は。競輪選手としては、、29才位までは、そこそこ有名な選手だったそうですが、

競走中の事故で右膝を選手生命に関わるほど壊し、スターダストに成ったと言っています。

以後、ビフォー、アフターで年収が1/3になったそうです。

そんなことを詳しく知らない、否、知っていたかもしれないが長兄は、

資本君を何度も利用したそうです。

資本君は、子供の時の優秀な長兄を信用して、ほとんど疑って居なかったそうです。

30年の間に5回完全に騙されたと言っていました。 自宅を2軒差し押さえられたそうです。

最初は、絶対迷惑をかけない、次は、事業資金の借り換えなど言われて!

最近、資本君は、身内も日本も周りの信用出来るような所が

一番危うい、騙されやすい、信用できない
、と確信しています。