誰でもネットにつなげる社会になったのはウィンドウズ95発売以降。

その前の年、’94年。大学一年生だった私はネットが社会に与えるインパクトについて一般教養の授業の中で学んでいた。そのときの先生は、もっとバーチャルリアリティを伴ったネット社会の到来を予見していたけど、私は既にパソコン通信からネットの世界に入っていたので、今日のようなレベルでの文章+画像程度の情報網を想像していた。この15年を振り返って、やはりネットはあのときの延長上で発達している。今後、あの時先生が言っていた様なバーチャルな世界が出現するのかも知れないが、まだ、しばらくはこの状況が続きそうだ。


 ネットの有り様はともかくとして、その先生から、「ネットが真の民主主義をもたらし、少数意見が尊重される理想的な社会が出現する」といった予想が世の中にはあるという事を教えてもらった。情報通信技術の視点から見れば正しい推論だったが、政治学的には、あまり正しくなかったような気が15年経った今している。”周りの意見を尊重しようとするあまり決断できない政権”が日本では長く続いている。同様にネットの力を示す事例がアメリカでも見られている。先ごろの中間選挙でティーパーティーという草の根政治運動が大きなうねりになり、共和党躍進、オバマ政権に路線変更を迫っているそうだ。ここではたと考える。果たしてこれが理想的な社会に繋がる動きなのだろうか?


 ネット社会というか高度情報化社会では、政権が少数意見に翻弄されるのは仕方がないのではないか?その沢山の意見の中でバランスを取っている振りをしながら、実はそれとは無関係な自分のやりたい政策をしたたかに遂行する小泉政権型の政権しか成立しないのではないか?抽象的な言葉、共感しやすいワンフレーズを紡いで国民のマインドを、それなりに味方につけながら運営するしかないのかも知れない。となると初めから日本の民主党のような合議制の集団では政権を維持できないというのは、ネット時代の政治として、当然の結果だったのかも知れない。


 騙されたのではなく、選挙民である我々が無知だっただけなのだ。上手に騙してくれつつ、キチンとした方向に日本を引っ張ってくれる事が政治に必要なリーダーシップに求められているのかもしれない。いづれにしても理想的な社会の実現とネット社会の発達が無関係になってしまっているのは何とも悲しむべき事の様な気がする。