2002年初発の乳がん

夫は他人事だった




その14年後

首が痛くて起き上がれなくなった

まさかがんの再発とは思わず


夫にペインクリニックまで送ってくれないか

と頼んだ


もう顎を手で支えないと

立っても座ってもいられない状態






タクシーで行けよ

その一言で終わり





タクシーで行ったさ

病院ではMRIを撮って帰宅

結果は一週間後

一週間もこの状態かと思うと涙が出てきた




帰宅しても




自営業の夫は家にいたけど

何も聞いてもこない




孤独だな




って思ってまた泣けてきた




次の日

ペインクリニックから電話があり

至急来い



家電だったので

夫が電話に出たため

流石に車で行ってくれた




病院で

頸椎に腫瘍があると言われ

至急大きな病院に行け



もう私は乳がんの骨転移だとわかり


嬉しく思った





だって原因が分かれば

痛みが取れる。

治療ができる。




流石の夫も

昔手術した病院に


連れて行ってくれた






その時


主治医に

乳がん再発骨転移


を告げられた


その時主治医は慰めるために

骨転移では死なないからね

って言ったくれた


もちろん病巣が拡がれは死ぬんだよ






その後

首に放射線かけて

大部楽になった

それでも出来ない事がある




重たい荷物を持てないし

高い棚にあるものも取れない



夫に頼めば


骨がんじゃ死なないんだろ
骨がんじゃないしそんな事もわからない夫

って言う。


死ぬのと出来ないのは違う




悲しかった






その6年後


病巣は拡がり

肝臓に転移と


骨で血液が作れなくなり

今と同じ貧血で寝たきり



夫は毎年

仲間と泊まりでゴルフに行く


この時コロナ緊急事態宣言ギリギリ前

夫が行く前日の夜


私が食べる物が無いことに気づき

もちろん冷蔵庫の中とかに

食べ物はあるけど

それは全て手をかけないと駄目な物





そんな体力ないし

家から徒歩2分のコンビニで

お弁当を買ってきて

とお願いした



凄く迷惑そうな顔して

何がいいんだよ?

と聞かれ


鮭弁を頼んだ



次の朝早くから一泊して夜遅く帰る予定

本当に鮭弁1つだけ。


食べる物が無くて悲しいんじゃない


一人で暮らしてる人は

確かに鮭弁1つ自分で

買いに行かなきゃならないだろう

それも寂しいし辛いよね

孤独を感じるだろうな



でも

2人で暮らしているのに

孤独ってのも辛い