こんばんは。せおっちです。

先日、こういうニュースが流れてきました。アメリカのブラウン大学で、数理経済学の授業を持つ教授が、自分の試験のやり方を変えた。持ち帰り試験(家でやってよし、ネットも見てよし)だったクラスを、対面試験(その場で、紙とペンで)に切り替えたんです。

そうしたら、平均点が こうなりました。

持ち帰りのとき、平均 96点。対面に切り替えたら、平均 48点。

ちょうど 半分です。96が48。割り算しなくても分かる、きれいな半減([出典1](https://gigazine.net/news/20260629-ai-exam-brown-university/))。

教授は「AIでカンニングしている」と落胆したそうです。家でこっそりAIに解かせて96点、自分の脳だけで解いたら48点。つまり前半の48点ぶんは、本人ではなく AIの実力 だった、という話です。

私はこれを読んで、笑えませんでした。これ、試験室だけの話じゃないからです。私やあなたの仕事のデスクで、毎日 静かに 起きていることだからです。

あ…ありのまま 起こった事を話すぜ(点が、溶けた)

数字のインパクトを、もう一度だけ味わわせてください。

あ…ありのまま今 起こった事を話すぜ。「学生たちは 96点の実力がある と思っていた……が、AIを取り上げたら 48点だった」。な…何を言っているのか分からねーと思うが、教える側も、何を測っていたのか 分からなかったと思います。

——これ、ジョジョのポルナレフの困惑の名台詞を借りただけなんですが、要するに「自分の点数だと思っていたものの 半分が、実は借り物だった」という、けっこう ゾッとする話です。

ここで大事なのは、AIがズルだ、けしからん、という説教ではありません(それは別の人が山ほど書くでしょう)。私が震えたのは、AIを外した瞬間に、本人の本当の実力が 1ピクセルの誤魔化しもなく 露わになった、という点のほうです。

普段、私たちは自分の点数を 96点だと思って生きています。でも、その点数のうち何点が「自分の脳から出たもの」で、何点が「AIから借りたもの」か——測ったこと、ありますか。私はありませんでした。怖くて。

「認知オフローディング」。ちょっと何言ってるか分からない

この現象には、ちゃんとした名前がついています。認知オフローディング、というそうです。

……認知オフローディング。ちょっと何 言ってるか分からないですよね。要は『脳の外注』です。覚えるのも、考えるのも、計算するのも、ぜんぶ外(紙・電卓・検索・AI)に出してしまうこと。

これ自体は、悪いことじゃありません。電話番号を全部 暗記している人は、今どきいません。スマホに 外注しているからです。それで誰も困っていない。九九を電卓に外注しても、たぶん人生は回ります。

問題は、外注していい脳の仕事と、外注したら 自分が空っぽになる脳の仕事が、ぜんぜん違う、ということです。電話番号は外注していい。でも「数理経済学の、その問題が なぜそう解けるのか」を丸ごと外注したら、試験室で紙を渡された瞬間、点数が 半分 蒸発する。

外注 と 空洞化 は、見た目が そっくりです。どちらも「自分はやっていない」。けれど片方は便利で、もう片方は あなたの中身を こっそり 抜いていく。96点が48点になるまで、本人は たぶん 気づきません。

AIを使い倒す人ほど、基礎は自分でやる理由

ここから、私の本題です。ECを8年やって、AIエージェントを作って 約260社に配っている人間の、現場の実感です。

私は、自称「5分の作業をサボるために 5時間かけて自動化ツールを作る」種類の人間です。AIに任せられるものは 片っ端から任せます。請求書も、定型返信も、データの整形も。任せます。何も抱えません。

でも——任せれば任せるほど、自分で 手を動かして 体に入れておくものが、はっきりしてきました。逆なんです。AIに頼るほど、頼っちゃいけない一線が くっきりする。

なぜか。AIが出してきた答えが「正しいか」を判断できる人間が、最後に一人だけ 要るからです。その判断は、外注できません。96点ぶんの答えをAIに出させても、それが48点の出来なのか100点の出来なのかを見抜く目は、自分の脳に 焼き付いた基礎 からしか出てこない。

私はこれを 持ち帰り偏差値の罠 と呼んでいます(今 名付けました)。家ではAIと組んで 偏差値70の顔ができる。でも、AIを取り上げられた瞬間に出る素の数字こそが、あなたが本当に 戦える 場所です。持ち帰りで稼いだ点は、あなたの点ではありません。AIから 前借り した点です。

だから、線を引く向きが 学びと仕事で 逆になります。仕事では「任せられるものは 全部 任せろ」。手を空けて、判断に集中するために。学びでは「核になる基礎だけは、面倒でも 自分の脳を通せ」。判断できる自分を 作るために。

任せる量を増やすほど、自分でやる核は 減らしちゃいけない。これが、AIを 一番 使い倒している人たちが、なぜか こっそり 手で写経したり、紙に書いて 解いたりしている理由です。

じゃあ、何を「脳を通す」のか

全部を自分でやれ、なんて 言いません。それはAIが出てくる前の世界に戻れと言うのと同じで、ただの 懐古です。

線引きは、たぶん こうです。「間違えても やり直せる作業」は、迷わずAIに任せていい。データ整形、下書き、たたき台、調べ物。失敗しても 発注し直せばいい類のものです。

でも「その答えが 合ってるかどうかを、自分が 判断しないといけない領域」の 土台 だけは、自分の脳を 通しておく。自分の商売なら 数字の読み方、お客さんの心理、なぜ この施策が効くのかの理屈。そこは AIに 96点を出させても、自分が48点のままだと、いつか 対面試験 が来たとき——つまり、AIを使えない その場の即断を 迫られたとき——半分に なります。

「AIに 全部 任せれば、もう勉強しなくていい」。気持ちは、痛いほど分かります。私も そう思いたい。でも、そんなの関係ねぇ、とまでは言いませんが——任せた先で 最後に 責任を取るのは、48点の あなた自身です。そこだけは、誰も 外注させてくれません。

おわりに

ブラウン大の学生たちは、別に サボっていたわけじゃないと思います。家で、AIと一緒に、ちゃんと 96点ぶんの答えを 仕上げた。真面目に。ただ、その96点が 自分の中に 残らなかっただけです。

私は、自分の仕事を ほとんど AIに任せています。これからも、もっと任せます。でも、夜に たまに、AIを閉じて、自分の頭だけで EC の数字を 紙に 書いてみることがあります。出てくる数字が 48点だったら、笑えないので。

——なんて、偉そうに 書きましたが。この記事の構成、半分くらいAIと相談しました。せめて この一文だけは、自分の脳から 絞り出したつもりです。たぶん。

それでは、また。