君はネイティブさんを見たか!
私の職場では、英語がペラペラな人がたくさんいました。
その人たちを観察していると、ほとんどが留学経験アリで、
性格も前向きでポジティブで明るいんです。
仕事のメンバーでバーベキューに行ったときも、
そのテンション高さたるや・・・ゲームやりながら、
「オウ、イエーー!!」
とか言って、ハイタッチしたり、
「ここ一角は、完全に外国になってる!
」
と、和風人間シャイボーイだった私は、
その文化の差を感じずにはいられませんでした。
アメリカ大陸というフィルターを通すと、
奥ゆかしいあの日本人も
金魚からブラックバスに進化するような、
変貌を遂げるのでしょうか。まったくもって謎です。
私は英語を、単なる「仕事上の道具」としてしかみておらず、
留学経験もなく、英語を勉強して日も浅かったんですが、
それ以上に英語の能力が、
留学組>>>(見えない壁)>>>私
ほどあったのではないかと実感していました。
そのころになると、私も仕事でそれなりに英語を
使いこなして自信が出てきたころでしたが、
それでも、彼らとは根本的に何か違うなと感じてはいたんです。
彼らを見ていると、非常に勉強家でもあるんですが、
人との付き合い方がうまく、友達も多くて、
積極的にイベントに参加する人たちなのです。
おそらく留学先でも、ひとり部屋にこもって
勉強ばかりするタイプではなく、
積極的に現地の人たちと交流していたんでしょう。
留学先の文化をいろんなかたちで、
肌で感じてきた人たちは、その国の言葉もしなやかで、自然で、
しゃべっていて安心感を与えてくれる感じで、
かたや私の英語は、さしずめ、ネットで翻訳されたような角ばった、
ときどき意味のよくわからないシロモノものだったことと思います。
それを知って、自分の英語の語学力が、どんなに向上しようと、
しょせんは、彼らと比べてうすっぺらいものなんだなと、
ショックを受けました。
(今は開き直っていますが、何か?
)
言葉というのは、その国の文化の一部分であって、
その国の言葉だけを勉強していても、言葉の端々からは
「その言葉が使われている土地の雰囲気」
がしてこないもんだなあ、と
うっすら実感しました。
無機質な技術だけのものになりそうで、
そんな"道具”のようなものに、今後も愛着を持って使い勝手を
よくするために自信を持って磨いていけるのか
不安でもあったたのです。
今から留学したいとは思わないけど、
現地に行って、そこの人たちとなんらかのかたちで触れ合うことも
いい勉強になるんじゃないかと、
うまくしゃべれなくても、そこの空気を吸うだけ、何かが違うのかも。
ただ漠然と海外に行って、現地の空気を吸っても、
何の感慨もおきないかもしれませんが、憧れとか不安とか期待とか、
いろんな想像をごっちゃまぜにして、その国へ行ってみて、
想像通りだったり、期待を裏切られたり、想像以上ヘンだったり、
そういう体験って貴重なんじゃないでしょうか。
だからといって言葉が今までより、うまくなるかはわかりませんが。
違う国の文化に出会って「驚く」ことから、
なにか吸収するものが違ってくるのかも。