英語って、いつ役に立つんですかね | 本気の英会話日記

英語って、いつ役に立つんですかね

1年ぐらいですが、それでも毎日、

3,40分ぐらいの時間を割いて、NHKの英会話テキストを

勉強してきたわけですが、


結局、それはモノにはならなかった。


今考えると、ただ漠然と英語がしゃべれるようになりたいと

思いながらも、なんとなく惰性でやっていたというような、

そんな感じでした。


私に限らず、日本人は勉強好きな人が多いので、

習い事をする人が多いでしょうが、

習い事をしている人のいったい何割が、

そうした勉強を自分の人生に役立てているんでしょうね。


かたっ苦しい話じゃなくて、

何かをする上での核心はそこだと思う。



役に立つんか、立たないんかっていう。



役に立たない、つまらないものを、あえて時間をかけてやるぐらいだったら、

テレビを見ていたり、寝ていたりしたほうがよっぽど有意義かもしれないですし。


「英語がしゃべれるようになれば、将来、どこかできっと役に立ちますよ」

なんて答えは、雲をつかむような考え方で好きじゃないんです。


もちろん、将来英語がしゃべれるようになりたいと思って、

毎日コツコツ勉強を積み重ねていける人は、

それはそれですばらしいと思う。



でも、「将来のどこかできっと役に立つ」って、

いつ、どこでの話だよ!!



ずっとそんなことをぼんやり望んでばかりいたら、

年取って、死んじゃいますよ、いや冗談じゃなく。


こうしている間にも、時間がたって、年取っているんだから、

ムダ弾を撃たずに、狙った的は確実にしとめないと。


英語を上達させるという的をしぼったのなら、

今ある自分の何かを犠牲にしてまで、

自分を追い込む必要もあるんですよ。


仕事で使うとか、海外へ留学に出るとか、

それこそ1年くらい時間を使って海外を渡り歩いてみるとか。


そういう価値はあるんじゃないですか。


今ある生活の延長で英語をしゃべる能力を手に入れたいのなら、

それこそ常に、毎日やる気を燃やし続けて、

ひたすらコツコツ勉強するしかないのだけれど。


逆に、思い切って英語圏の世界へ飛び込んで言って、

四苦八苦しながら、短い時間でモノにしちゃうって

考え方もあるんですよね。


なんだか1年間それなり(?)に英語の勉強してきたけど、

これといって話し相手もいなかったし、

緊張感もなかったし、そんな状況だと、上達している感があまりなく、

だったら厳しい環境に飛び込んでいったほうが

ヘンに徒労感を味あわずにすんだかもしれないなんて

今さらながら思ったりもします。


向こうの世界に何かいいものがあるわけじゃないし、

向こうに行ったからといって、上達するかどうかは本人しだいなわけで。

どうせなら「英語がうまくなりたい」といった願望に、

長い間まどわされるようなことがないように、祈っております。