みなさまこんにちは。

 

大阪桃谷のサロンLa Tierraにて

西洋占星術、タロット、タントリック・ダキニ・オラクル、宏林クリスタルカードでの

鑑定、レッスンをいたしておりますエストレアです。

 

「パニック障害を抱えながら生きる」②です。

 

チームドクターから心療内科を紹介され、そこで初めてパニック障害と診断された。

小谷野さんはもともと、人前に出るのが得意な性格ではなかった。国語の授業で

朗読を当てられそうになって、体調を崩して保健室に入ったこともある。

 

「野球だけが人に見てもらいたいと思える、唯一、自分を表現できるものでした。

パニック障害でそれも奪われた。当時の自分の心境を表すなら、『絶望』以外の

言葉はありません」

 

病気への無理解も、小谷野さんの苦しさに追い打ちをかけた。パニック障害は

見た目だけでは病状がわからない。寮で引きこもり状態になっている小谷野さん

に向かって、ある先輩選手が心ない言葉を浴びせた。

 

「なに休んでるんだよ」「精神的に弱いからそんなことになるんだ」

 

※一生かかても返せない恩ができた

 

転機となったのは、パニック障害を発症した年の秋に宮崎県で開催されたフェニ

ックス・リーグ。若手選手が実戦経験を積むリーグである。そこで小谷野さんは

当時2軍監督代行だった福良淳一さん(現オリックスゼネラルマネージャー)から

こんな言葉をかけられる。

 

「何分かかってもいいから、何回タイムをかけてもいいから、とにかくバッター

ボックスに入ってみよう。まずはそこから始めてみたらどうだ?審判から怒られ

たら、俺が謝ればすむ話だから」

 

その時点で、小谷野さんは「これが最後だ」と覚悟していた。練習すらまともに

できない選手と、球団が来季も契約するはずはない。小谷野さんは福良さんの

言葉通り、試合に出ることを決意した。

 

「セカンドを守っていて倒れたら、ショートの後輩が気づいてくれたり。バッティング

も毎打席、トイレに吐きにいったり、打席で吐いたり。それでもその一か月間は

『最後だ』とりあえず思ってやっていました」

 

そのたびごとに試合は中断する。だが、そのことで小谷野さんが怒られたことは

一度もなかった。福良さんがあらかじめ手を回してくれたのかはわからない。

小谷野さんはこう言って目元を赤くにじませた。

 

「福良さんには一生掛かっても返せない恩ができました」

 

このフェニックスリーグで小谷野さんは目覚ましい活躍を見せ、翌年の契約を

勝ちとる。「吐きながらでも野球ができる」という新境地に達していた…

 

「吐こうが今日も野球ができるなら、『勝った』と思っていました。いつ不安に

襲われるかわからないですけど、『これは不安でドキドキしてるんじゃなくて、

ワクワクしているんだ』とか、前向きな言葉に置き換えるようにしました」

 

                                      続く

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