昨日、けいこヴァールハイトさんの先祖系解除セッションの音源を聞きながら、

先祖供養をするならどういったことが必要なのかを考えてみました。

 

 

まずは、自分でも供養できるように自宅に何かしらを準備することだと思ったのですが

超絶、面倒臭がりな私としては、これを調べるのも準備するのもメンドクサイ、、、。

それに宗教オタク(?)な父の姿を見ていたこともあり、

正直に言うとやっぱり抵抗感があります。

 

と言うのも父は遡れるだけの戸籍をコツコツ調べて、

過去帳(というのが一般的な名称なのかわかりませんが)を作っていました。

 

これはどんなものかと言うと、亡くなった日付に名前と生年月日を書いたものです。

(こんなのを準備しなきゃいけないの? と想像するだけでもメンドクサイ)

過去帳にどんな人の名前が書かれていたのか、まったく覚えていませんが

おそらく父方の家系のものだけだと思います。

そして、あげていたお経も(これもうろ覚えですが)日蓮宗に関連するもの。

 

片や母方は、おそらく浄土真宗。

ぼんやり思い出したのは、祖父母が亡くなったときに葬儀をお願いしたのが

その宗派のお寺でした。

 

母方先祖のお掃除が済めば、父方先祖のお掃除に入るはずなので、

継続してお寺にお願いするとするなら、宗派を問わないお寺が大前提になってきます。

 

 

そしてこれが私のなかで問題となっているのが、読経の上手さ。

昨日のブログでも書きましたが、世の中には

「お経をあげるのが下手」なお坊さんが存在するのも事実。

 

30代のころに出会ったヒーラーさんは、過去世でも縁があった人でもあるのですが

この人が言っていたのが、『お経は 「あげる」 もの』 ということ。

 

日本語ネイティブなので「お経」とくれば、一緒に使う動詞は「あげる」。

コロケーション云々、なんてものは全く考えなくても 「読む」 より 「あげる」 になります。

「あげる」だから、目的語の「どこ?」が必要になってくるのですが、

そんなことを言われるまで、「どこへ」 あげるのか全く考えたこともありませんでした。

 

 

もちろんお経には、意味のある言葉が書かれてあるので言霊や、

声に出すことでの音霊もあります。

 

でも『お経を「あげる」』を主眼として読経を聞いてみると、あげられていないお経がたくさん。

(昔、三か月ほど葬儀場で働いていたことがあります)

声が良くて朗々と響き、一見、上手そう、と思えても

エネルギー的に見てみると、あがってないなぁ、、、と思ったことも多々あります。

と言うより、あげることができていたお坊さんは三か月のなかでたった一人。

 

なので単純に、あげられていないお経でも供養になるの? と疑問に思ってしまいます。

それにせっかく対価を支払ってお願いするのであれば、効率よく成果も期待したいのが本音。

こんなことを臆面もなく思い、ブログにも書いてしまうので、

母方先祖からは、この子は、私たちの意向に沿わない(怒)

なんて言われ、嫌われていたのですが、、、(汗)。

 

 

阿刀田高さんの 『コーランを知っていますか』 という本のなかに、

コーランは詩歌であり、神の音楽である。

朗読されて、快く響くこと、それが一つの価値であると力説されている。

と書かれてあるのを読んだことがあります。

加えて、だからアラビア語でしか朗誦されない、とも書かれてありました。

 

それで考えると、あまり深く考えなくてもいいのかなとも思いますが、

それでもやっぱり下手な人よりも上手な人がいいと思ってしまうのが正直なところ。

 

 

こんな注文の多い依頼者にぴったりなお寺は見つかるのかな?

何から手をつければいいのかな?

そもそも絶縁状態の私ができる先祖供養ってどんなの?

と疑問は尽きませんが、今の私にできることと言えば、

セッション満了日まで、浄化依頼をお願いすることです。

 

私の疑問はここに書いたのであとはよろしくお願いします! と宣言して

高次元の存在たちに丸投げして(ちゃっかり)サポートしてもらおうと思っています。

 

 

いつもサポートしてくださるガイドさんと高次元の存在に感謝します。

(とってつけたようですが、本当に思っています!!)