自ら死を選ぶことをどう思うのか。


それは時代と世の中と個人の価値観でも

変わってくるものだと感じます。





それと同時に

「自ら命を絶つなんて許されない」

そう思って生きてきたからこそ

わたしはここまで生きて来られたと思っています。





わたしの父が早くに亡くなったことで

わたしの母は突然シングルマザーとなり


わたしを連れて死のうとしたけれど

手を繋いだわたしを見て踏み留まったのだと

母が教えてくれたことがありました。





わたしは

死にたい気持ちになるたびに


踏み留まってくれた母の勇気と

母と私を置いて死ななければならなかった

父の無念を思って

 

「もう少し生きよう」と

心を奮い立たせてきたものでした。





コロナ禍になって

芸能人の自死に関する報道が格段に増えて

寂しい気持ちでいます。





でも、わたしは

生きることも死ぬことも

自分で決める権利があると考えます。





生きていたくても

生きられない人がいる一方で


ある日突然、何の前触れもなく

死にたくなって死んでしまう

そんな人がいることも知っています。





どうしようもなく死にたい思いに駆られた時、

人はどこまで自分で自分を止められるのでしょうね。





人の「死にたい」は

「生きたい」の裏返しだったりもして


本当に冷静なところで

人が死を選択することができるものなのか。


わたしには、わかりません。





わかっていることは

「死んだら、この人生は終わりだ」ということ。





死んだら


朝になっても、目が覚めないし

美味しい朝食を食べることもない。


ランチは何にしようかと迷うこともないし

仕事で失敗することもなく

落ち込んで誰かに励まされることもない。


愛する人を抱きしめることもないし

次の日の予定を思って眠ることもない。





今の人生が終わってしまったら

一体どんなものが待っているのかは

まったくもって想像もできないけれど。





それでも

誰かが死を選ぶと決めるならば


わたしはその選択を

肯定することも否定することもできないでしょう。





わたしはあくまでも

わたしの人生に責任を持つことしかできない。


あなたの人生は、あなたのものだし

どこかの誰かの人生は、どこかの誰かのものですから。


冷たく聞こえるかもしれないけれど。





人が100%自分のことを

他人にわかってもらうなんてことは

他人を真に理解するなんてことは

限りなく不可能に近くて


他人に寄り添っているようでいて

人は皆、自分に寄り添っています。


自分を通して、他人を見ているのです。





自分の価値観や

世の中の考え方で


こうしてほしい 

こうするべきだ

それは違うのだ、と


いろんなものを道具にして

他人に押し付けたり裁いたりする。





生きていてほしい

笑っていてほしい

苦労しないでほしい


すべて自分勝手なエゴ。





わたしは

自死を支持しているわけでもないし

容認しているわけでもないし

否定しているわけでもありません。





自死というかたちがあって

そういう人生の終え方もあるし

そういう決断もあるのだと考えるだけです。





それなのに


「自ら命を絶ってはいけない」という

教えの中で生きてきた分


もしもわたしの目の前で

自死しようとしている人がいたとしたら


わたしはきっと

黙って放っておくことは出来ないでしょう。





こういう考え方もあるよ

こんな生き方もあるよ


あなたが思っているよりも

あなたは愛されているんだよ


わたしよりも

本人の気持ちに近づけるような

同じ経験を持つ人と繋げてみよう、などと


わたしのエゴで

なんらかの行動を起こしてしまうでしょう。





そうしながら

「最後に決めるのは、あなたです」と

わたしは心の中で感じていると思うのです。





なんて矛盾している生き物なんだろう、

わたしという人間は。


理解してもらえないかもしれないけれど。





その人の人生です。

その人がやりたいようにやらせてあげたい。


それが死の選択であったとしても。





死を忌み嫌うから

死を特別なものに見てしまうし

自死を受け入れられない。





もしも誰かが自死を選んだとしても


その人が死んでしまった

悲しい、寂しい、という気持ちと同じぐらい


その人がそれを選んだならば

その人の今回の人生にとって

それは必要な経験だったのだろう、と

わたしは考えるでしょう。





わたしの愛のかたちは

「あなたがどうあろうと

 あなたを信じること」です。




あなたを信じるの中には

あなたの選択を信じる、が含まれます。


その選択を

あなたが後悔したとしても。





あなたが笑っていても

あなたが泣いていても

あなたが怒っていても


わたしは、どれでも構わない。





あなた自身が

あなたの人生に必要なことを

一つひとつ、精一杯に選択しているのだから。





わたしは

あなたが笑っていても

あなたが悲しんでいても

あなたが怒っていても


あなたが、生きているだけでいいのです。







今日も、ありがとう。

いつも、ありがとう。