わたしは電話が聞こえないので
SNSやLINE、メッセンジャー等を使って
メッセージのやり取りをします。
届いたメッセージを読みながら
相手の人を感じます。
お返事を書きながら
「わたし」を感じていきます。
このときの「わたし」は
記された文字であり、表現です。
文章が書けたら
それを読んでみて
伝えたい思いと言葉が
心にフィットしているかを
自分に問いかけます。
「なんとなく違う」と感じるときは
何度も言葉を探します。
わたしが表現したいものに
できるだけ近い形で表現できるように。
書いた文章は「自分の分身」です。
わたしはこんなことを考えていて
わたしはこんなことを思っていて
この言葉で
このように表現している。
「これが、わたし」
時には
自分の書いた言葉や
そこに使った表現をみて
実はわたしは
こんなふうに思っているのか、と
気づかされることもあります。
たとえば
「聴覚障害」のことを
昔のわたしは
「耳が悪い人」と表現していました。
でも、今は
「耳が不自由な人」と表現します。
その表現が
わたしの今の心にフィットするからです。
今日、お話をさせていただいた方は
「聞こえに問題のある方」と表現されていました。
ここで紹介するのは
相手の方を避難したり、否定したりするためでは
まったくありません。
わたしの気づきの一つとして書いています。
昔のわたしなら
この言葉を読んでも
違和感を感じなかったかもしれません。
わたし自身が
「聞こえないことは問題だ」と
誰よりもそう思っていたから。
でも、今のわたしは
わたしなら選ばない言葉遣いだと感じました。
今のわたしは
耳が聞こえないことを
問題だとは思っていません。
何かの拍子に聞こえに対して
罪悪感や劣等感が疼く時はあります。
感情は無くなるものではないし
そのままあってもよくて
その時々の心の偏りに気づいて
修正できれば、それでいい。
そんなふうに思っています。
文字は自分の思考を教えてくれます。
どんな言葉を使うか。
どんな表現をしているか。
どんなことを思っているか。
今の自分は、どんな自分か。
自分では気付きにくい自分のことを
わかりやすく教えてくれる
大切な相棒なのです。
今日も、ありがとう。
いつも、ありがとう。