先日の「不登校」をテーマにした講演会。
二つの話が印象に残った。
一つは、「マニュアルは作っていない」という事。
わかる気がした。人間相手の職業ならほとんど当てはまるのではないか。
だが学校はマニュアル主義だ。法律にのっとって運営されているのだから当然である。
根本的にミスマッチが生まれる場所なのかもしれない。
大事なのは、過去の事例と体験である。それを元に新しい対応策が生み出されていくのである。
もう一つは、不登校児に「『アドバイス』をしてはいけない」という事だ。
なるほどと思った。
アドバイスされた方は、結局は上から抑えつけられたように感じてしまうかもしれない。
その子は理由があって不登校になっているわけで、その理由は本人だけが理解しているものだ。
少しだけ話を聞いて、こうした方がいい、ああした方がいいと言うのは、その子との信頼関係を損なう事にもなるし、大人への失望を助長することになる。
ひたすら「聞く」事に徹することが大切である。
不登校がいいことだとは思わない。
学校は国が設置した、日本の未来を背負って立つ若者を応援する場であり、必要な見識を身につける場であるからだ。
同時に、子供の可能性の芽を摘むようなことはしてはならない。
不登校によって、別の可能性が膨らんでいくなら、それはきちんと応援していく必要がある。
学校に行かない事を、一つの「個性」として受け止め、その上で学校以外に興味のあることを肯定し、その達成のために何が必要かを一緒に考える。
おそらくは、大なり小なり学校で学ぶことが必要になる筈だ。
そうすると、学校に対する見方が変わってくるだろう。
多様性という言葉が一人歩きしている感もある現代だが、それは全てが自由という意味ではない。
やはり抑えるべき共通のものを学び、集団の中で個性を尊重する心を身につけることで、初めて多様性が理解できるのではないだろうか。