雑誌が主な情報源だった時代、スポーツ雑誌は楽しみの一つだった。



定期的に買っていた雑誌もあった。



毎月のように買っていたサッカー誌は、特別号以外ほとんど処分してしまい、不定期に買っていた雑誌も、既にない。



だが唯一、捨てないで全て持っているスポーツ誌がある。



1976年以来8年間で、数十冊。



これ以前のものも古本屋で買ったりした。


かなり年月が経過しており、価値がないものばかりで、いつかは処分するのだが。


持ち続けている理由の一つは、このスポーツが、時代と共にレベルが下がっている、数少ないスポーツの一つだからである(個人の感想)。


主な原因は、国際団体の乱立と、階級の乱増である。


ボクシングが、興行として飛躍的に発達したのは1980年代。


中量級の興盛がもたらしたものだ。


それまではヘビー級しか米国人の関心を集めていなかったのが、ウェルター級のスーパースターによるビッグマッチの連続により、一気に市場が膨らんだ。


米国の興行主が絡んできたことにより、試合の規模が膨らみ、ファイトマネーも跳ね上がった。


スポーツから興行へ。



1984年のロサンゼルス五輪の成功もあって、スポーツがはっきりとビジネスへの道を歩み出した時代だった。


しかし現在は、当時より主要国際団体が二つも増え、それぞれ多くの階級を抱えている。


世界チャンピオン=ナンバーワンとは言い切れない。


四つも国際団体があれば、実力がなくてもどこかの団体で世界チャンピオンになれてしまう。


サッカーのワールドカップを、毎年行うようなものだ。


当然試合のレベルは下がる。


実際、スピードや防御技術の不足、何よりも必要な筋肉が不足しているのではと思える選手がいる。


なぜか子供の頃から好きだったスポーツ。幼心にその修練の深さを感じたのかもしれない。


倒すか倒されるか、極限の緊張感の中で、打たれるリスクを冒しながらも打たなければならず、一瞬後には、どちらかが倒れているかもしれない。


その緊張感に惹かれていたのかもしれない。


並外れた運動能力とスピード、凄まじいパンチ力、高度なディフェンス技術、無尽蔵のスタミナを持った選手。


かつて存在した、スーパーアスリート達を残しておきたいという意味もある。


いつかゆっくり読み直してみたい。