「フランケンシュタイン」(メアリー・シェリー/新潮文庫)

「フランケンシュタイン」が、なぜ新たに新潮文庫から出されたのか不思議だった(今までは創元推理文庫だった)。第一刷は今年の1月。巻末を見ると、案の定新訳だ。
何故新しく訳してまで発行することにしたのか、興味を覚えて読むことにした
。
原題は「フランケンシュタイン~現代のプロメテウス~」という。プロメテウスとは古代ギリシャの男の神で、人類を創造したと言われている。発行は1818年。今から197年前だ。女性作家のメアリー・シェリーが20歳の時に書いた小説である。すご
知られている事だが、フランケンシュタインというのは、怪物の名前ではない。怪物を作り上げた人物の名前だ。
混同しやすい理由の一つに、この怪物に名前がついていない事が上げられる。尤も、フランケンシュタインという名を怪物の名とした映画が作られたりしているので、混同しやすいのも事実だ
。
近世の本を読む時は、時代背景を知っておくと分かりやすい。
たとえばこの本には、イタリアやドイツといった国名が出てくるが、当時はイタリア、ドイツという国家は存在していない。ドイツはプロイセン王国の一部だったし、イタリアは群雄割拠の都市共同体だった。これは訳者が、読者が地理を把握しやすいように配慮した可能性がある。イタリアが統一国家になるのは1861年、ドイツは1871年だ。
又、当時は「身分階級」があり、資本家が労働者を支配していた。この小説にも、金にあかせた倫理観にもとる展開が見られるが仕方ない。主人公のフランケンシュタインは大金持ちだ。ロンドンだのパリだのジュネーブだの、あちこち移動する。当時はクルマも鉄道もない。移動は馬車か徒歩か船。時間的な余裕がないと続けられない。
そして当時進行中の「産業革命」で電流の研究が急速に発達。この怪物も電流を通す事によって息を始めた
。時代を反映させているのだ。
スイスの大学生フランケンシュタインは、生物学に傾注し、やがて人造人間の製造という禁断の研究にとりかかる。ちなみに彼は博士でも何でもなく、一介の大学生だ。だが息吹を与えた人造人間は、あまりにも醜く、怪物のようだった。彼はその生き物を放置して逃げてしまう
怪物は徘徊し、いつしか知恵をつけ、自分を見捨てたフランケンシュタインを探し求める。その過程でフランケンシュタインの弟を襲っている。人間という生き物には友人や配偶者がいる事を知った怪物は、フランケンシュタインを探し当て、ある要求を突き付ける。
その要求とは「女子の怪物を作る」事だ。
つまり彼女が欲しいってことだ
。なんとまあ、カワユイ望み
ところがフランケンシュタインはこの要求をのんで、女子の怪物の創造にとりかかるってんだから仰天だ
。おいおい、いいのかよ
しかしフランケンシュタインは、完成直前になってその行為に疑問を感じ、そして破壊してしまう。怒り悲しんだ怪物は、フランケンシュタインの親族や友人を襲い始め、ついにはその婚約者も手にかける。不幸のどん底に落ちたフランケンシュタインは、今度は逆に怪物の追跡を始めるが、怪物は付かず離れず逃亡を続ける。
やがてフランケンシュタインは衰弱死し、それを見届けた怪物は、1人静かに自分で自分を埋葬する事を決め、いずこともなく立ち去る。
この小説は、航海中の冒険家が、怪物を追跡中のフランケンシュタインを助け、その告白を聞き、絶命した後で、現れた怪物の短い独白を聞くという、日記形式なっている。最後の怪物の独白は、悲しみと絶望に満ちたものだった
。
物悲しいラスト。だが一つ疑問が湧く。
なぜ怪物は、真っ先にフランケンシュタインを襲わなかったのか?親族や関係者は襲ったのに
。
この理由は作品中にも書かれていないし、解説でも述べられていないので、想像になるが。
創造主は親と同じ。怪物にとってフランケンシュタインは親である。どれだけひどい仕打ちを受けても、怪物は親だけは殺めることはできなかった。怪物は最後まで親からの愛情を信じ、その親が世を去った後、自分も親の元へ行くべく、自ら命を絶つことにしたのではないか。
そう考えると、この作品が、科学が人間を破壊するという未来への警笛以上に、もっと深い人間的なものを表現しようとしていたとも思える。
同時に、今の日本の社会問題のテーマにもなりうる題材でもあり、これが出版社が新たに発行した理由なのかなとも考えた
。
しかし、名前くらいつけてやれよな(笑)。