羽生くんが1月14日のRE_PRAY佐賀公演で、アンコールの前にMCで語っていた。

「今朝、NHKでたまたま広島の原爆の特集を見て、ここ佐賀に近い長崎、広島のことなど重く重く受け止めながら、今日過ごしていました。」

 

Xで、おそらくこれだろうと教えて下さった方がいて、NHK+で私も観てみました。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024011430815

「"夢物語"と言われても〜広島・ある大学生の模索〜」

(配信期限 : 1/21(日) 午前8:56 まで)

 

21歳の高垣慶太さんは、広島・長崎で医師として被爆した2人の曾祖父の経験を知り、核廃絶運動に携わるようになって6年。大学で、韓国からの留学生と話して、自分の器が広がるような気がしたと。

 

韓国の青年ソン・ジェウォンくんは兵役を二年経験している。

「なんで(核廃絶なんてことが)行けると思うの? そっちがマイノリティじゃない?」

 

ここからは自分の感想。番組が伝えたい趣旨とは違うと思うし、ましてや羽生くんが受けた刺激とは全く関係がないと思うけれど。

 

ソン君は、核保有が戦争抑止力になると思っている(と思う)。

高垣さんは、核爆弾が使われることは二度とあってはならないから、核廃絶を訴える。

 

その2人が何故、同じテーブルにつき、相手を認め、意見を交換し合うことが出来るのかといえば、2人とも、平和を望み、戦争を回避したいからだと思う。

平和を実現するための手段が一方は核保有であり、一方は核廃絶。

目的は同じで手段が違うだけなのだから、深いところでは理解し合える。

 

私たちは、目的は同じなのにそのことを見失い、選んだ手段が違うからというだけで、諍いになったりたたき合ったりすることが多いような気がする。

異なる道を選ぶ人を尊重することが出来れば、もっと世界は住みやすくなるよ、と教えてくれたような気がした。

 

日本人は本質的に争いが嫌いで、恨みもすぐ水に流してしまえるし、話し合いで解決したがるし(責任の所在は曖昧)、平和は、みんなで祈れば実現出来ると思っている節がある(空想的(ファンタジー)平和主義、あるいは平和念仏主義)。

 

でも、この島国を一歩出れば、先祖の恨みを何百年、何千年と持ち続けることが出来る人たちもいるし、平和とは、戦って敵を倒した後にのみ勝ち取れる、あるいは敵を威嚇して戦いに持ち込まないことにより実現するもの(現実的平和主義)と思っている人たちもいる(多分そちらの人の方が多い)。

 

北朝鮮も、中国も、ロシアも、イスラエルも、パレスチナも、そういう国のトップの人たちの考え方を変えることなど到底できない気がするけれど、

 

それらの国には、羽生さんの演技が好きで、羽生さんの存在を尊く思い、羽生さんの平和への希求と心を同じくしたいと思う人たちがいるのも事実なのですよね。

 

 

私の考えでは、核廃絶は平和への手法としては、今の人間のレベルでは現実的ではないと思う。

ウクライナが核兵器を放棄していなければ、ロシアの侵攻はなかったと思うから。

 

ではどうすれば、平和は実現出来るのか。

1人1人の問題として捉えるには大きすぎる問題だけれど(上の番組の中で彼らがそう語っていた)、国のトップにだけ任せるのではなく、やはり1人1人が真面目に考えなくてはいけないのだと思う。

 

人間は1人1人は、精神性を高めていくことが出来るのに、国あるいは企業などという組織になったとたん、他組織に対して、原始的な支配欲望が前面に出て来るような気がするのは何故なんだろう。

 

 

私も真面目に考えようと思う。

 

 

平和念仏主義、空想的平和主義、現実的平和主義等の言葉は、伊沢元彦氏の『逆説の日本史』からお借りした。