FaOI2023 in 新潟。今回質が高いような気がする。と思いながら羽生さんのプログラムの前まで結構楽しんでいたのに、羽生さんになった途端に余りの違いに愕然としました。
かもしだす世界が、技術のレベルが、支配する空間の広さが、まったく違う。
彼は氷の上を舞っている。氷の上を漂っている。彼は氷と共にある。他のスケーターは氷と戦いながら滑っている。
私がもしFaOIやSOIの出演スケーターで、羽生さんの演技をまざまざと見せつけられたら、完全にやる気を無くすだろうと思う。でも彼らは続ける。えらいなあと思う。自分を信じる力が強いのだろうか。
みやがツイキャスで「ちょっと見、普通の爽やかな青年なのに、氷の上に出て来た途端に、陰と陽を併せ持ったすごいラスボスオーラを放つ」と言ってて、本当にそうだなと思いました。
オープニングは、群舞の配置などがしゃれていて、動きもきれいで好きでした。羽生さんの部分はまたしてもハレーション起こしてしまった。記録したはずのフィルムを現像してみると、羽生さんの部分だけ白くなっちゃってる感じ? 光が強すぎて記録できないのですね。ライビュのカメラはほぼ彼だけを映してくれたのですが。
オープニングで技術的に思ったことは、羽生さんが上半身の腕、首以外の部分も自由自在に動かせてすごいなということ。胸を、背中をしならせ、鞭打たせる感じで動かし表現する。しかもそんなことをしていて、全く足下にぶれを生じさせない。
グラマラススカイは、存在、姿、動き、残像、全てがかっこよかったです。
氷の上の空間で踊っているような印象を受けました。それだけ、跳んでいた、あるいは氷に接している身体の部分が少なかったということなのかなあ。
まるでエッジで融かした氷の粒が一斉に羽生さんを推し進めているような、そういう滑らかな速い速い動き。跳ぶときだって(一体何回跳んだのやら、ずっと空中にいたような気すらします)、絶対氷達が羽生さんの動きを100%、精一杯助けている。そういう協力関係を氷から引き出している人、という気がします。
一度しか見られないというのは、とても欲求不満が溜まりますね。頭に残らないし、理解しきれないし、悔しいと思う。これはやはりJsprts4を契約しないとだめかな。
Aツアーの『IF』は、テレビで見せて頂いて、本当に衝撃を受けました。見ている間、息が出来ない感じでした。
羽生さんて本当にすごい。あの柔らかな滑らかなISSAさんの声に合わせてあの鋭角的な表現。それがぴたりと合って、新たな世界を、創造する。開拓者であり、改革者。たとえて言えば、『IF』という曲がXY平面で完成されていた楽曲だとして、羽生さんはその平面に模様を描いていくのではなく、Z軸を打ち立て、新たな次元空間の作品を作り出す。
今まで2次元の世界しか知らない者にとって、3次元の世界があるというのは衝撃で、その世界におののきながら新しい美を堪能する。
(ここでいう2次元、3次元というのは、アニメとか、実写とか言う意味ではありません。数学的な意味で)
マラーホフが「モーツアルトのピアノ協奏曲23番2楽章」で踊った『ボヤージュ』、ヘンデルの「私を泣かせてください」で踊った『アリア』を見たときの衝撃を思い出しました。曲が持つ世界から、踊りと共にある世界への、次元的な変容という意味で同じものを感じました。
Bツアーでは、ハビはやはり上手いなと思いました。『Pure Vida』かな、特に前半のプログラムは好きでした。うらぶれた雰囲気の衣装が似合ってました。彼は世界を創れるしそれを伝えることが出来る。
そこまで行かないスケーターは多いと思います。技術的にあるレベルに達しているだけでは、世界観を創れないしもちろん伝えられない。たまに、技術的にレベルは低いのにそれが出来る人もいますが、そういう人はせき立てられるように上手くなって行きますね。十代の羽生さんとか。
さっとんの後半のプログラム、『Slave to the Music』。ランビエールへのオマージュというもの。よかったです。アップテンポでそれでいて重さもあって。実はSOIを見ていたとき、さっとんはアップテンポの曲は下手だな、と思いました。ほんの、ほんの一瞬遅れるのです。特に群舞の時は目立ちました。アップテンポの曲で遅れるのは致命傷です。聞いていてはだめなんです。曲と一緒に演奏(スケート)しないと。でも今考えると、SOIの群舞は練習時間もなく、彼女の中で十分こなせなかったのかなと。
今回のを見て、さっとんの新しい魅力が開拓されたなと思いました。これからも楽しみです。
織田くんの後半のプログラム。小林柊矢さんの『瞳をとじて』とのコラボ。よかった。実は、前半では、「織田くんは可も無く不可も無くだなあ」とちょっと残念に思ってました。上手いんだけど、胸を打たない。なのに、『瞳をとじて』は切々として伝わって来るものがありました。織田くんの本気度というか。
デニスの『茶色のセーター』もよかった。これも小林柊矢さんとのコラボでした。デニスは後半の『ハレルヤ』もよかった。FaOIに出始めた時は、ランビのおまけみたいだったのに、今ではしっかりお客の気持ちを掴める演技になっているなーと感慨深かった。
順不同でごめんなさい。パパ・シゼの前半の演技。すごかった。いいもの見せていただきました、と思いました。音の捉え方も、その表現も、技術も最高レベル。その世界に見るものを巻き込んでいき、離さない。何度も見たいと思わせる演技でした。
実は私が何度も見たいと思う演技は、羽生さん以外ではほとんどないのですが。最近では百音ちゃんの『シンドラーのリスト』かなあ。
ランビエールのマーラーの交響曲のピアノ曲に合わせた演技もよかった。しん、としている感じ。スパイラルの姿勢がゆっくりと美しく変わっていくのを見ていると、なんだか美しい雪景色を見ているような気持ちになりました。すーっと片足で滑ってきて、そのまますっと止まる。美しく、極上の品質。
ジョニーの白鳥衣装の『月の光』を見て、私は初めてジョニーの演技は素敵だなと思いました。これまでは羽生さんが好きなスケーターだから、という意味で見ていた。技術レベルが下がってきて、エンタメ的にやってごまかしてるんじゃないかと思うこともあった。でも今回、ジョニーの真剣さが伝わってきて、やっぱすごい人だったんだなと思えてよかったと思う。
歌は、ディーンさんも小林さんも中島さんも、聞いていてちょっときつかった。特に低音部の音程が不安定で、どうにも聞いていて思わずしかめっ面になってスケートに気持ちが行かないことが結構あった。これはつらい。Toshlさんはよかったなあと思ってしまった。本当にみじんも揺らがない音程。ISSAさんもよかったし、宮川大聖さんだって少なくとも『レゾン』『略奪』では気にならなかった。
クラシックでは音程の正確さは基礎の基礎だから、まず音程が不安定な限りは演奏を聴こうとも思わない。子供の発表会は別として。プロなら。
でもきっとポップスの世界は違うんだろう。その声色、雰囲気、世界観がまず大切で、だってそれこそアーティスト独自のものだから。音程の正確さはアーティストのオリジナリティではないし。などと理解しようと考えていてずいぶん昔のことを思い出した。カルメンマキのライブに誘われて行ったことがある。40年位前だろうか。歌を聴いてその音程がずれていることに驚愕し、連れて行ってくれた男の子に「カルメンマキって音痴なの?」と言うと「そうだよ、それが何か?」と返されたことがある。
矢野顕子さんの曲が好きで、テレビで生歌を聞いてショックを受けたことがある。友人達は彼女の音程の不安定さを笑って受け入れて、そしてとても彼女を愛していた。
うん、きっとそんな風に、ディーンさんも、小林さんも、中島さんもファンに愛されているんだなと思う。自分が愛せるかどうかはわからないけど、少なくとも羽生さんは受け入れているんだ、そう思えば、大丈夫。
実際、舞依ちゃんの『雪の華』ではがっくりしてたけど、羽生さんの『NANA』になったら気にならなくなった。低音やばい、とは思ったけど、いやではなかった、というかそんなこと考えている余裕がなかった。羽生さんがすごすぎた。
ネガティブ発言ついでに、世戦二連覇の坂本さん。彼女の演技も私は見ているのがつらい。あまりに雑に感じる。ほとんどone footがないし。上手いのは2Aだけかなと思う。『アメリ』は好きだった。リショーの繊細な世界に果敢に挑戦していたと思う。今は体力と笑顔だけという感じがする。
私にとっては坂本さんより、世戦銀メダルのさっとんの方がずっと格が上なのです。でも多くの人にとってはやはり二連覇の方がすごいですよね。坂本さんの二連覇は時の幸運の賜物だと思う。そこのところも私が素直に坂本さんを認められない原因かもしれない。
他にもぶつぶつ言いたい人はいるのだけれど、読まされる方はえらい迷惑だと思うのでこの辺にしておきます。
25日の神戸大楽のライブ・ビューイングも見に行く予定です。
今度はもう少し、羽生さんの演技を頭に焼き付けられますように。
あと、阿部修英さんのFaOI2023新潟の記事がよかったです。彼はアナザーストーリーズ(羽生結弦編)のディレクターで、今では完全に羽生さんに沼ってる。テレビディクレーターの視点からの感想がいつも新鮮で刺激的です。一度見てこれだけ書けるってすごいなと思いました。
途中から333円で有料になるけれど、それだけの価値はあると思っていつも読んでいます。
テレビ制作費低予算化の中、若い人たちへの差配などに使いたいとのこと。