羽生さんは、歌いながら練習をする。歌いながら陸上でウォームアップをし、歌いながら氷の上で練習する。音楽とともに練習するという、そのこと自体はそれほど不思議ではない。
バレエのレッスンも、常に音楽と共にある。疲れていても、音楽が鳴れば、身体が動くような気がするし、逆に音楽がなければ何も出来ない気がする。
でも、バレエレッスンでは歌わない。聴くだけ。聴いて音に合わせて身体を動かす。
羽生さんは歌う。声は出していないようだけれど、しっかり歌詞をつけて歌っている。
歌いながら、同時に身体もコントロールするというのは、難しくないのだろうか。
羽生さんは本番の演技ですら、歌のあるプログラムでは歌っている。
『花になれ』、『花は咲く』、『オペラ座の怪人』、『午後のパレード』、『Real Face』、『略奪』、『レゾン』。他にもあるかもしれない。
羽生さんは、陸上で自分の重心がどこにあるか確認するときも、氷上で重心を確認しながら基礎練習する時も、つまりしっかり感じたり確認したり考えたりして脳を使っている間もずっと歌っている。
ジャンプをするときも、口は閉じているけど、頭の中で歌っていると思う。
非常に複雑で精緻な身体コントロールをしながら、歌う。
これは、脳の色々な場所を同時に活性化していなければ出来ないのではないかと思う。そして本番でもそれが出来るように、普段の練習の時から同時活性化のトレーニングをしているのではないかなと思った。
たとえば羽生さんは、本番の演技中にジャンプをミスった時も、どうリカバリーすればいいか瞬時に計算し考えることが出来る。しかも音楽との協調は失わない。ご自身は「CPUが入ってるんですかね」と笑っていたけれど、スーパーコンピューターのように1つではなくて複数、いや膨大な数のCPUが働いているのだろう。そういう並列処理が臨機応変に出来るように、普段の練習から脳の色々なところを活性化する、歌うこともそのトレーニングの一環ではないかなどと、 『SharePractice』を観ながらつらつらと考えていた。
こんなことを考えるのは、単に私が、歌詞とともに歌を歌うことがすごく不得手だからかもしれない。でも、聴きながら、だけの方がずっと楽じゃない? まず歌詞を覚えなくてはならないし。それとも、羽生さんは歌を一回聴いただけで歌詞を覚えちゃったりするんだろうか。自分と頭の構造が同じという前提でつい考えてしまうから勘違いしてしまうのかもしれないなあ。
ところで、ちゃんみ~さんがSharePracticeの陸上練習で歌っていた歌を特定して、それをツイッターで紹介して下さった。その中の一曲、Mrs. Green Appleの『ダンスホール』と共に身体を動かす羽生さんを観て、感動してしまった。
1曲丸ごとはとりあえずyoutubeに置いてますが、すぐ消すのでお早めに😅
— ちゃんみ〜 (@myuchanyes) September 4, 2022
限定公開なので、このリンクからしか見れません⬇️
🔗https://t.co/GlOx21oyei
一曲まるごとのYoutubeを何度も何度も繰り返し観てしまった。肩のアイソレーションの練習(肩甲骨運動とも呼ばれる)のところである。眼福である。合間の廊下往復のテンポや腕の振りなども、すごく腑に落ちた。
曲と共に羽生さんの動きを見ると全てに意味があって、アイソレーション運動もまるでダンスである。時折の指ぱっちんもすごい愛しい。
すぐ削除されるということですが、間に合ったらYoutubeを是非観てください。
正直、音楽無しで、羽生さんの動きだけを見ているときは、「よく動くなあ。あそこまでキレキレに練習出来るモチベはなんなんだろう」と感嘆しながらも、距離を感じて眺めているだけだったけれど、『ダンスホール』の歌に乗せて踊りまくる様子を見たら、すっかり引き込まれてしまった。
ちゃんみ~さんが、「1人での練習も音楽に励まされてたんだと思うと感謝です」と言ってらして、「ああ、羽生さんが音楽と共に練習するのは、脳覚醒のトレーニングなんかでなくて、励まされているからなんだなあ」と心から共感した。
そう。音楽が羽生さんを元気づけ、1人での練習でも励まされていたことは、確実だと思う。2020年全日本前、とても苦しかったときに『春よ、来い』に励まされたと言ってらした。
なんか1人だけ、ただ、ただ、暗闇の底に落ちていくような感覚があった時期があって。で、なんかもう「1人じゃやだ」って思ったんですよ(苦笑い)。「1人でやるの、もうやだ」って。「疲れたな」って思って。「もう、やめよう」って思ったんです。けど、やっぱ『春よ、来い』と、『ロシアより愛を込めて』っていうプログラムを両方ともやった時に、「ああ・・・なんか、やっぱスケート好きだな」って思ったんですよね。スケートじゃないと自分は感情を出せないなって。すべての感情を出し切ることが出来ないなって。
(フィギュアスケートマガジン 2020-2021 vol.2全日本選手権特集号 p.45より)
でも、歌詞までつけて歌うの、大変じゃ無いのかな。なんでそこまでするのかなと思っていた私は、最近、やっと気づいた。羽生さんの歌う曲の歌詞の多くがとても素晴らしいということに。
確か2020年全日本の時に、羽生さんがback numberの『水平線』をよく聴いているとおっしゃったのを聞いて、早速Youtubeで聴いてみたのだが、その時は良さが全然わからなかった。出だしで、ギターの割れた音がアルペジオ的に和音を掻き鳴らすのを聴いただけでちょっと拒絶反応が出て、後は我慢して聴いていたので、例によって歌詞が全く頭にはいらなかった。
半年後くらいだろうか、イオンに行ったとき、あの耳障りな音が聞こえて来て、耳障りなのになんだか懐かしくて、スピーカーを求めて店内をうろついた。これ・・・、これ、羽生さんが好きな曲だ、確か水平線だ、と思い出し、家に帰ってもう一度Youtubeで聴いた。そしてびっくりした。歌詞に。
出来るだけ嘘はないように。
羽生さん、これ・・・、これを指針として生きてる・・・?
羽生さんは嘘をつかない。だからといって本当のことを全て話しているわけではないけれど。でも、どんなインタビューにも、誠心誠意、嘘をつかないように、心を砕いて答えているのがわかる。時々、天井に目をやりながら、どうしたら、嘘をつかずに、でも誰のことも傷つけずに、自分の思っていることを伝えることが出来るだろうと考えながら。
どんなときも優しくあれるように。
羽生さんはどんなときも優しい。自分が負けたときでさえ、勝った選手に優しい。かつて自分が勝って、悲しい思いをしたときに、そういう思いを後輩にさせることはすまい、と誓ったのではないだろうか。でも、そう思ったからといって、それを実行することは、普通の人は出来ない。
人が痛みを感じた時には、自分のことのように思えるように。
うわあ。それやっちゃ、身が持たないですよ。でも、羽生さんはそうなんだよね。コロナ禍で苦しんでいた医療従事者、感染した人たち(初期のコロナはすごく毒性が強かった)への共感力が、人並みではなかった。どれだけたくさんの人がそのことに感謝していたことか。また、痛みではなくても、表に出ず陰で支える人たちの気持ちを理解し、共感し、感謝している。
24時間テレビへの出演も、そういう羽生さんだからこそ、違和感なく続けられるのだろう。
正しさを、別の正しさで、無くす悲しみにも出会うけれど、
羽生さんの正しいフィギュアスケートが、とある団体の振りかざす「正しさ」で否定される悲しみに、ここ数年、何度逢ってきたことか。
必死に練習して世界選手権2020に備えたのに、コロナ禍で中止になってしまったこともありましたね。一生懸命準備するという正しさが、防疫という正しさの前に、消えなくてはならなかった。
なんか、すごく、羽生さんと重なる歌なんだな、と思った。
今回SharePracticeでは、back numberさんの『僕が今できることを』も流れた。
僕らは優しい人に支えられて
いつのまにやら誰かの分まで
生きなきゃいけない気がするけど
涙も汗も1人分しか流せない
だから自分の思うように
僕が今できることを
この歌は、2012年にリリースされたそうだけれど、羽生さんは2014年ソチ前には、back numberさんが好きだと答えていたらしいので、きっとこの歌を当時も歌っていたのではないだろうか。
震災翌年、羽生さんはトロントクリケットクラブで練習出来るようになった。もちろん羽生さんの急成長が呼び寄せた幸運であるけれど、たくさんの人の支えや好意でそれがかなったことを羽生さんは痛いほど感じていただろう。
故郷ではまだ苦しんでいる人たちがいる。その人達も支えてくれているから、今練習出来ている。だから僕はその人達の分まで頑張らなきゃいけない。そう思いたくなる。
でも、自分に出来ることには限りがある。焦っちゃいけない。
僕が今できることを、一生懸命やろう。
と、自分の気持ちが逸るのを抑え、心を平らかにして無心に練習する羽生さんの毎日を、この歌は道しるべとなって助けたのではないか、と想像した。
毎日少しずつよりよい自分になるため
きっとだれもが悩んでいるのだろう
この部分も、きっと羽生さんは胸に刻みながら練習していたのではないかなと思った。
最後に、SharePracticeで流れたもう一曲。Mrs.Green Appleの『僕のこと』
あー、なんて素敵な日だ。
幸せと思える今日も、
夢破れくじける今日も。
ふうむ、とうなってしまった。「夢やぶれくじける今日も」素敵な日だと言う。
なんか、達観してる、と思った。
作詞・作曲・ボーカルの大森元貴氏は、1996年生まれ。羽生さんより若い。
若い人たち、すごいな。というのが、正直な感想である。
宮川大聖氏も1996年生まれ。